人は誰でも死ぬ。ねねも死ぬ。これを読んでいるあなたも死ぬ。それはいつだかわからないが死は必然であることは言える。
今日は死についての話。
ねねは病院で看護師として働いている。詳しく言うと医療療養型病院だ。
医療療養型病棟とは、急性期治療が終了し、病状が比較的安定しているが引き続き医療的なケアや病院での療養を必要とする方を対象とし、医師の管理下で看護、介護、リハビリテーションなどの必要な医療を受けることができる病棟のこと。
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患者さんとはざっくり分けると急に病気になる急性期、病気が良くなる回復期、治療が必要となりながらも日常生活へ復帰していく慢性期、死へ向かう終末期に分類されると看護学校で習った。
医療療養型病院では、在宅復帰困難・介護困難な慢性期の患者さんがほとんどである。
ほぼ寝たきりの患者さんばかり。口から食事をとる人は少ない。
経鼻経菅栄養(鼻からチューブ)や胃ろう(腹壁から胃へ直通するチューブ)を入れて流動食を注入するか、中心静脈栄養(太い血管から高カロリーの点滴をする)のどちらかだ。
チューブや点滴の栄養管理で何年も食事をとらなくても生きている人もいる。
そういう人たちの看護をしている。熱を測ったり痰をとったり栄養剤の用意や注入をしたり床擦れの処置をする。排便処置もする。
目標は「現状維持」だ。
悪い方向へ転がらないようにリスクを回避して苦しさや痛みが最小限になるよう細々と看護をし、細々と患者さんの命を見つめている。
看護師になって命を見つめて12年が経とうとする。
たくさんの命と死を見つめてきた。
今日も死を見つめてきた。そんな日は切なさと無力感がこみ上げてくる。色々と考えてしまう日もあるのだ。
ねねの働く療養病院では月に何件か死を迎える患者さんがいる。
看護師さんたちは「死ぬ」とは言わない。「ステルベン」と言う。ドイツ語でsterben(死)というところからきている。
ステる、ステった、ステりそう、という感じで使われている。
療養病院では回復の見込みがない場合積極的な治療をせず緩和ケアをメインにしていることが多い。患者さんの年齢や体力なども考慮して積極的な治療をすることが適切でないこともあるからだ。
患者さんの苦痛を緩和し、死を迎える瞬間までなるべく穏やかに過ごせるように看護する。
ラウンドしたらすでに息を引き取っていたというレアケースもあると聞いている。ねねは経験したことないが、行ったらステっていた、という経験をする看護師や介護士はいる。
入院していても誰にも知らずにステってしまう方もいるのだ。
資格を持った医療従事者としてなるべくなら死の兆候に気付かないといけない。
だいたいこんな感じ↑というのがまとまっているので興味があれば。
死の兆候としてざっくりまとめる。
意識レベルの低下、血圧や尿量の低下、体の浮腫み、皮膚の変化、アザのできやすさ、出血傾向、独特の臭気、呼吸の苦しそうさ、などがある。
これをキャッチして、スタッフ一同で情報共有し、家族や会わせたい人に面会に来てもらいお別れの準備をしてもらうことが1番大切な業務ではないかと思っている。
死へ向かう人はそのまま何もなくなるけど、遺された人たちは別れの悲しみや辛さを背負って生きていかなければならない。
なるべく穏やかに、最期に会えて良かったね、と別れの前に何かできたという気持ちを持って明日からもまた歩いていけるように、ご家族にも納得してもらえる別れの形であることがいい。
死の兆候を見ていく過程はいよいよか、と覚悟を決める。
徐々に悪くなっていく体、視線が虚ろとなり、動きが少なくなっていく。
見ていて悲しくなる。この人の命が尽きてしまうと思うと切なくなる。
患者さんは他人であれど、ベッド上の淡々とした入院生活の中でも思い入れがある。
表情、しぐさ、言葉、みんな違う。一つ一つのその人らしさがかわいらしくユーモラスで笑わされることもあるから。
「元気なとき文句ばっか言って唾吐いてきたよね」
「歯磨きしようとしたら噛まれたよね」
「おはようって言ってたよね」
「独り言すごい言うよね」
「目が合うとうんうん頷くよね」
「すごい床擦れができてあのときは大変だったよね」
次から次へ患者さんへの思い出の言葉は出てくる。他人であるが身近に命を見つめている。家族でも友人でも何でもないけども、患者さん一人一人、命をお預かりする大切な人である。
そりゃ唾吐かれてめちゃくちゃ腹立つこともあるけども。噛まれて「ギャーやめてー」と叫ぶこともあるけども。いいことばかりであるわけがない。それでいい。
先週ぐったりして朦朧とする患者さんに「ずいぶん痩せちゃったね。大丈夫?つらい?」と聞くと「うんうん」と頷いていた。頭を撫でて「そっかぁ…」としか言えなかった。多分患者さんも死が近いことをわかっている。お互い言わないけど。
意識レベルが徐々に落ちていると申し送りを聞く。別れの予感を察する。悲しみや涙をぐっとこらえる。様子をチラチラ見に行く。
いよいよ呼吸リズムの変化がくる。
下顎呼吸という終末期の呼吸だ。とても苦しそうに見える。死に行く意識の中なので苦しくはないという話も聞いたことがあるけど苦しそうに見える。
正直眠るように安らかに、という人はあまりいない。
死の数日~数時間前くらいから呼吸が苦しそうになってくる。はぁーはぁーと息づかいが聞こえる。これは酸素を投与しても変わらない。死の段取りだから。
心電図モニターの心拍に合わせてピッピッとなる音を聞く。
いよいよか、と話す。
かわるがわるスタッフが様子を見る。
モニターのアラーム音が変わるとき、心電図の波形はフラットになっている。
みんなで「あぁ…」と悲しみを漏らす。
医者が来て死亡確認をし、エンゼルケアと呼ばれる死後処置をする。
「苦しかったね、楽になったね。頑張ったね。」と言葉をかける。泣いている暇はない。
そして霊安室からそれぞれの退院先へ向かう。
霊柩車に乗り、ご家族からお礼を言われる。涙ぐんだご家族を見るとつられて泣きそうになってしまう。
霊柩車が見えなくなるまで頭を下げたまま見送る。
頭を上げて何事もなかったかのように職場へ戻る。
1番涙が出そうになるのは苦しそうな呼吸をしているときと、お別れをするときのご家族が泣いているときだ。一緒に泣いてしまうこともある。記録を書いたり処置をしたり泣いている場合じゃないのでなるべく涙をこらえて働くが、仕事が終わって帰るとき、ぐっと堪えていた気持ちがふっと緩んで歩く足を止めてしまうこともある。
前に進まなくてはならない。けども1人の命が尽きて2度と会えない、こんな悲しいことが他にあるだろうか。
みんな平気な顔をしているけど、寂しいねと言い、空いたベッドを見つめては「○○さんいないんだね。」と話す。
看護師を見て平気な顔をして死に慣れているのかと言われればそんなことはない。
平気な顔をするのがうまくなっただけだ。
永遠の命などないけども、わかってはいるけども、もう少しあなたと話したり笑ったりしたかった、と思うのだ。散りゆく桜とともに共にこの世を去ってしまったのは、洒落っけのあるあなたらしい。花びらの舞う美しい空をみたらいつも笑顔のあなたを思い出すだろう。