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さかもツインの健康で文化的なようでそうでもない生活をお送りいたします

あなたはもう私の1番好きな人ではないのです

ずいぶん前に好きな人がいた。一目惚れしてしまうほどに好きな人だった。話したり一緒にいるうちにその人の持つ独自の空気感とかあっさりしているところが好きになった。多分こんなに誰かを好きになることはないだろうと思っていた。

「好き」と言ったが関係を進める展開にはならなかった。「なぜ付き合ってくれないのか」と聞いたらうやむやにされたが1度だけ「君と釣り合うような人間じゃないから」と卑屈な答えを頂いた。無理強いしてまで付き合うことをこの人は望んでいないと思いそれ以上関係を進めるのを止めた。

 

たまに連絡をとりたまに会う。それでもその時間はとても愛に溢れていて幸せなものだったと思う。

 

昔は何にでも頭の中で色を着けていた。

17~20歳は光溢れるような黄色~オレンジ、20~25歳はオレンジ~ピンク、25~27歳はちょっとくすんだ黄色、27~30歳は深い水色、といったように色のイメージというのがある。

 

付き合っている彼氏が駅まで迎えに来てくれるときは黄色に輝いた世界に花が舞う色。

帰り際の電車の扉が閉まるときはくすんだ灰色。休みの日の朝は爽やかな黄緑。休み明けの朝は悲しげな青。

 

10代の頃はこの色がよく見えていたけど最近はあんまり見えていないことに今気づいた。

 

好きな人との時間はとても深い緑かと思えばエメラルドグリーンのような、ホッとするような美しい色に見えた。

 

多分夏の終わりの昼間にデートしたときに見た庭園の緑と青い空が混じりあっているのだと思う。その景色をいつまでも見ていたかったが蚊に刺されまくってボリボリみっともなくかきむしっている姿を見かねて好きな人は帰ろうと言った。「また来ようね」と言ったがその景色は2度と見ていない。

 

ある日好きな人に恋人ができた。私ではない。たまに交わした愛の言葉のようなものは完全に『ようなもの』に過ぎなかった。

それを聞いたとき、とても悲しくて悔しくて許せなかった。なぜ私じゃないのか。なぜその恋人を選んだのか。

もちろん我々は付き合っていたわけでない。好きな人が恋人を作ることになんの罪もない。 

法に触れるような犯罪者でもなんでもないけども、好きな人は永久戦犯のように憎しみの対象となった。

が、あれだけ卑屈になっていた人が愛されることを知り誰かとちゃんと向き合い恋人を作ることができたとすれば、巣立つ雛鳥を見送る母鳥のように私は私の役目を果たせたのではないかとも思いこの気持ちに決着をつけた。

好きな人は2度ごめんと言った。ありがとうとは言ってくれなかった。

また会いたくなったら連絡してと言った。

好きな人の中で私はどんな存在だったか、確かめることもできずに恋は終わった。

 

 

しばらくして連絡がきた。

「会いに来ないの?」

「愛が足りないんじゃない?」

 

目を疑うような言葉だった。「彼女第一」と言いながらまだ私から愛を注いでもらおうとしているのか。

やり場のない怒りがこみ上げしばらく無視した。すぐに返事をしたらきっと嫌な言葉しか出てこない。

仮にも好きな人であったため気持ちが落ち着いた頃返事をした。

「もう返事してくれないかと思ってとても悲しかった」と。

好きな人は取り返しのつかないことをしたのだと気づいていなかったようだ。いつまでも私が好きでいてくれるものだと思っていた。あなたの悲しみはわからないでもないが残念ながら前みたいにあなたはもう私の1番好きな人ではないのです 。

たくさんあった好きなところもあの美しい緑ももうすっかり思い出せなかった。今は暗い暗い色もない世界にあなたを置いている。

好きだった気持ちというのは憎しみや悲しさにかき消されてしまった。きっとこれから先もあなたは私の中で永久戦犯である。

あなたが傷つける気持ちはなくても私は傷ついたし傷つけられた心は忘れない。

いとも簡単に人を傷つける人とはもういられないのだ。

 

「あなたが私の気持ちを踏みにじって彼女を作ったことに比べれば返事の来ない悲しみなど生ぬるいものでしょう。」とだけ返事をした。

また「ごめん」と返事が来た。あなたの「ごめん」はもう聞きたくない。何度言ったとしても許してあげられることではないから。

 

いつまでも私の中で1番好いてもらえているという思い上がりはやめて。

そうだと思って見くびるのはやめて。

 

こうやって「好き」の終わりがあることを知る。永遠の愛を誓いあう人たちはどんな気持ちで誓いあうのだろう。私には永遠の愛というものが向いていないことなのかもしれない。