昨日勤め先の病院のテレビが一斉にTOKIOの謝罪会見を流していた。
おばちゃん達は「辞表出したんだって」「辞めるんだって」とテレビが言ったことをそのままオウムのように喋っていた。
TOKIOの謝罪会見はワイドショー好きなおばちゃん達の好奇心を煽るらしく面会に来たおばちゃんは「会見見てたら来るの遅くなっちゃった。2時間もやるんだもん!」といつもよりちょっと高まったテンションでやってきた。
そんなざわざわとした昼下がりの病院。寝たきりの患者さん達はどんな犯罪が起きようとどんな災害が起きようとベッドの上で流れる時間を静かに過ごしている。
昨日も静かな午後だった、いつも通り静かなはずだったが、とある喋る男性患者さんが「女子高生はいいよな!若いからな!」と嬉しそうに喋りだした。TOKIOの件を知ってか知らずか喋りだした。
いくつかの言葉も食べることも動くこともたくさんのことを忘れている。けれども女子高生のことは忘れていなかった。
ここ数年女子高生など見ていないはずなのに「女子高生はいいよな!」と喋ったのだ。
久しぶりに見る悦悦とした表情だった。
高校時代の甘い記憶がフラッシュバックしているのか、ただ単に女子高生への憧れなのかは分からない。
「女子高生好きなの?」と聞くと「好きだよ」と言った。理性を飛び越えて全くの本心だと思う。
そんな輝く瞳で言われたら…
そんな幸せそうな顔で言われたら…
女子高生のことを考えることを咎められない。
それを聞いた我々は「今それはまずいよ…」と口々に言ったが、そんなことはどうでもいいらしくしばらく嬉しそうにしていた。
あの表情を見たとき、薄れ行く自我のなかでも男にとって女子高生は永遠に輝き続けているのだと悟った。
今回のTOKIOの山■氏の件について思うことは、アルコールに溺れて薄れ行く自我のなかでも女子高生が輝いて見えたのではないかということである。
輝く者にすがり、寂しさや苦しさを忘れたい。そんな気持ちがあったのではないか。
もちろん強制わいせつはいけないが、アルコールに溺れなくてはならないほどの彼の苦しみを、国民的大スターであり続けなければならなかった彼の重荷を理解しようともせず世間がで叩きまくるのはどうかと思う。
起きてしまったことを叩くだけでは前に進めない。メディアはなぜアルコール依存性になるのか、それに気づいたときどう対処すればいいのか、アルコール依存性とどう向き合っていくのか、ということを学ぶきっかけにしていってほしい。
女子高生は永遠に輝いている。その輝きをセクハラや痴漢、強制わいせつなどの犯罪から守るためにも周りの大人が努力していかなければならないことにどうか気づいてほしい。まだ日本は女子高生を守るためのスタートラインに立っていないのだ。