ストロングゼロという手軽にヤバいほどに酔える悪魔の酒があるらしい。いや、婉曲するべき事実ではないか。ストロングゼロという酒がある。
ストロングゼロ文学という言葉まで生まれてもはや酒に酔うことにすらファスト化されている手軽で安易な社会現象を我々はコントロールしていると思うのか、されていると思うのか。
渋谷の街をストロングゼロを抱えて歩いてみた。いくら強がっても強くなれない弱さをストロングゼロに埋めてもらいたかった。
都会のオアシスのようなストロングゼロを見つけた。
ここに迷いこんだらきっとこのストロングゼロを飲まずにはいられないだろう。渇いた喉を潤すのは水。乾いた心を潤すのはストロングゼロ。
渋谷の某デパートの前はひっきりなしに人が通る。ストロングゼロが置いてあってもこの場所を行き交う人々はどことなく満たされておりストロングゼロのことなど誰も気に留めない。
心の弱い者だけがストロングゼロを欲するのだ。
歩道橋の高みから車の往来を見る。
ストロングゼロはなにも言わずそこにあるだけ。
世界を少しだけ見下ろし飲むストロングゼロは我々をどこに連れていくのか。
途中ストロングゼロの亡霊を見つけた。
なぜだか悲しくなった。胸が締め付けられた。
ストロングゼロの中身だけを吸い尽くされてもまだストロングゼロと書いてある。ストロングゼロだったものなのだろうか。中身を吸い尽くした人間は強さを手に入れたのだろうか。
こんな場所にストロングゼロを置き去りにするしかできない弱さしか伺えない。ストロングゼロを飲んでも強くはなれないのだ。強さを手に入れたふりをしてストロングゼロに弱さを溶かしているだけだ。
キリンのストロングもひしゃげられてそこにあった。ありのままのストロングゼロを並べてみたがなんの供養にもならない。
この街をさ迷い続けるのは人だけではないらしい。ストロングゼロも一緒にさ迷っていた。早く安息の地へ辿り着けることを願いストロングゼロをそっとしまった。弱さはいらないけども身の丈に合わない強さもいらないと小さな声で言い渋谷を後にした。
※撮影同行者=本当はゲスい日本昔ばなしでお馴染みチエノワ先生
作中にストロング系アルコール飲料が登場している。心の中の足りないところをストロングゼロで埋めようともがく姿、未読の方はぜひ読んでみてほしい。