ここから先は私のペースで失礼いたします

さかもツインの健康で文化的なようでそうでもない生活をお送りいたします

人生の終わりかたについて

こんばんは。めめです。

 

ニュースを見た。安楽死と言わず自殺ほう助と言うのか。

安楽死を希望していたオーストラリアの研究者デビッド・グドール氏(104)が10日、自殺ほう助によりスイスで死去した。豪自殺ほう助推進団体「エグジット・インターナショナル」が発表した。


オーストラリアの104歳研究者がスイス到着、10日安楽死へ - SWI swissinfo.ch

 

終わり方について命を全うするべきだとか安らかに終わりを迎えるのは良い事だと色々な意見がある。

 

 

めめは生きているし、病気や事故でいつ死ぬかもわからない。なので自分がどのような終わり方をするのか検討もつかないしあまり考えても考えてもその時が来ないとわからない。

 

 

長年の苦しみから解放されるなら、その本人がそう望んでいるならその選択を尊重してあげたい。その本人しか感じ考えることしか出来ないし安楽死と言う選択をした強さよ。

もちろんその苦しみと戦い生き抜く人の強さも素晴らしいと思う。

 

 私はアメリカに留学をしていたことがありその当時よく面倒をみてくれていたおばちゃまがいてある日その人の父親が亡くなってしまった。

アイムソーリーと彼女に言ったら『長年病気苦しんでいたからそれから解放されて父はハッピーだと思うわ』と話してくれた。

 

ハッピーと言う言葉が出てきたのは正直驚いた。人の死は辛いとしか感じられなかったからだ。

そしてお葬式の時に『父は悲しいのは望まないはずなので皆でダンスをしましょう』と明るい音楽を教会で流して皆で泣いたり笑ったりしていた。

もちろんアメリカ人がお葬式でダンスをするのは一般的ではないが流石自由の国アメリカで型通りに儀式を行わないんだなとも衝撃を受けた。

 

人は死ぬ。

死んだら私達はどう受け止めるか。死は苦しみからの解放。そんな事を考えさせられたお葬式だった。

 

 

死は平等に起こるもの。

それをあれは違うこれは正しいとなんか言える訳がない。

 

ニュースを見て人生が苦しみで終わらない終わり方があるのかと知った。

安楽死を肯定も否定もしないしこのブログはただ私が思った事を書いただけ。