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さかもツインの健康で文化的なようでそうでもない生活をお送りいたします

その男の不思議な愛の話

高円寺には浮世離れた不思議な人が多く住んでいると聞く。その中のひとりの男の不思議な愛の話をしようと思う。

 

その男の名はウクレレ高円寺という。本名は別にある。私がその男を初めて見たのは肌寒い春の手前の雨の日だった。

とある地下のライブハウスの舞台の上でウクレレを持ち唾をとばしながらハーモニカを吹く男の姿があった。地下のライブハウスには不釣り合いな地味なスーツを着たその男こそウクレレ高円寺である。

そしてスーツケースから大量のテンガを取りだしテンガの歌を歌っていた。

 

ウクレレ高円寺を初めて見たときテンガも初めて見たことになる。

そしてその歌を引きつった顔で見て引きつった笑顔で拍手をした。衝撃が大きすぎたのだ。

 

どうかしている…

 

そんな初対面であった。その男の第一印象はテンガをたくさん持っていてテンガの歌を歌う男、である。

 

その後サボテンサトシとウクレレ高円寺と私の3人で細やかな打ち上げが行われた。

 

実際話してみると、ウクレレ高円寺はとても物腰の穏やかな丁寧な人で、普段は普通の社会人をしているらしい。スーツ姿でコロッケのようなものを食べる姿が印象的であった。帰り際自主制作のCDをくれた。次の日聞いたらテンガの歌もあったけど、日曜の昼下がりに丁度いい優しい声の歌だった。

 

うん。やっぱり変な男だな。

変な知り合いが増えてしまった。でも嫌悪感ではない、その男に秘められた不思議な力を知りたいと思った。

 

「今度、大好きな帯金ゆかりさんの舞台の脚本を書いたんです。良かったら観に来ませんか?」と言われたので「行きます。」と即答した。

 

帯金ゆかりさんとはウクレレ高円寺の想い人だ。舞台女優をやっている。

http://terborch1.rssing.com/chan-1579471/all_p37.html
帯金ゆかりが軽はずみの日々!

聞けば大学からの付き合い(恋人ではないしそういう関係になったこともない)らしい。ずっと片想いをしているそうだ。

残念ながらウクレレ高円寺の片想いは報われることもなく帯金ゆかりさんは別の男と結婚してしまう。

ウクレレ高円寺は帯金ゆかりさんの旦那さんとも面識があり3人で行動することもあると聞いた。

 

ウクレレ高円寺の恋は帯金ゆかりさんの結婚によって終わることはなかった。恋心はいまだにあるようだ。好きらしい。ただその恋心が叶わないことを、帯金ゆかりさんと結婚できないことは重々理解している。これがウクレレ高円寺のすごいところで、普通叶わない恋なら次の恋へ進むなり、その人とは距離を置いたりするだろう。

 

ウクレレ高円寺という男は違う。帯金ゆかりさんへの愛を歌ったり、帯金ゆかりさんのための舞台脚本を書いたりしている。まるで帯金ゆかりさんを輝かす為に生きているようだ。

 

GWの最終日に一人芝居 ミュージカル短編集というものを観に行った。


「一人芝居ミュージカル短編集vol.5」|伊藤靖浩/Yasuhiro Ito|note

 

帯金ゆかりさんは「ナイチンゲールと私」という演目を演じた。30分の一人芝居である。

ウクレレ高円寺は「帯金ゆかりさんを抱きたい」という歌を歌った。それを嫌な顔をして見つめる帯金ゆかりさん。その視線をウクレレ高円寺は悦悦とした表情で浴びていた。

 

ナイチンゲールの一生を演じる帯金ゆかりさん。その一言一言はとても力強く私の知らないナイチンゲールを教えてくれた。

ナイチンゲールとは?https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%AB
フローレンス・ナイチンゲール - Wikipedia

イギリスの看護師、社会起業家統計学者、看護教育学者。近代看護教育の母。病院建築でも非凡な才能を発揮した。クリミア戦争での負傷兵たちへの献身や統計に基づく医療衛生改革で著名。国際看護師の日(5月12日)は彼女の誕生日である。

37歳(1857年)の時に心臓発作で倒れてしまい、その後は慢性疲労症候群に由来すると考えられる虚脱状態に悩まされた。死去するまでの約50年間はほとんどベッドの上で過ごし、本の原稿や手紙を書くことが活動の柱となった。

 

力強い白衣の天使というイメージであるが、実際は慢性疲労症候群でベッド上の生活を送っていたということを知らなかった。

 

舞台上でナイチンゲールの一生を演じる帯金ゆかりさん。前半は看護師になりたい、人の為に生きたいという力強さを声高々に演じていたが、徐々に身体が弱り声も細くなっていく。その弱々しい姿をナイチンゲールという人間を知る人のうち何人が想像できただろう。

 

ベッド上で執筆活動をするナイチンゲール。看護覚え書きは看護師を目指す人なら何度も目を通す。動かない身体から紡がれた言葉は看護の力を信じる者の言葉だった。そしてそれは看護覚え書き発表後158年の今にまで変わらず生きている。帯金ゆかりさんはその時間を見事に演じきった。

最後歌を歌っていた。それはウクレレ高円寺が作った歌だ。過去のナイチンゲールが未来の我々に投げかけたであろう言葉が歌詞だった。

「救えない命もあるでしょう。」

文明の発展も医療の進化も必然である死には抗えない。だけども生を見つめて生に全力で向き合う素晴らしいフレーズだった。

あぁ、ウクレレ高円寺とは人の命をここまで見据えているのか。この言葉の重みを帯金ゆかりさんに背負わせ歌を託した。この信頼関係は間違いなく愛だった。

お涙頂戴、の陳腐な歌詞ではない。偽りや陳腐なものはたくさんある中で、この言葉は本物だった。

 

この歌を歌う帯金ゆかりさんをウクレレ高円寺は舞台袖からじっと見ていた。そしてそっと目尻をぬぐった。

 

それは間違いなく愛だった。尊敬や感動、信頼、達成感、すべてを混ぜてこの男の愛にしたものだった。その愛をとかした涙が男の目尻を濡らしたとき、私は少しだけ泣いてしまった。

 

私の見たい舞台はそこにあった。主役を輝かせるために何人もの人が関わって造り上げた世界なのだ。 

 

そして、男女の愛とは付き合ったり結婚することだけではないことを思い知らされた。

片想いだろうが叶わない恋だろうが、2人がこうして舞台で何かを作り上げ人々の心を震わせたことは2人の愛(帯金ゆかりさんサイドとしてはこう言われて嫌かもしれないけども。)であるのだ。

 

ウクレレ高円寺の愛は現代版『痴人の愛』だと思う。

 『痴人の愛』(ちじんのあい)は、谷崎潤一郎の長編小説。カフェーの女給から見出した15歳のナオミを育て、いずれは自分の妻にしようと思った真面目な男が、次第に少女にとりつかれ破滅するまでを描く物語。小悪魔的な女の奔放な行動を描いた代表作 ※Wikipediaより

 

1人の女を輝かせることに命をかけた男の話だ。それを純愛と呼ぶか狂気と呼ぶかは読んだ人次第だが、ここまで愛を貫くのは並大抵の気概でできることではない。

 

帯金ゆかりさんに光を絶やさず当て、時には踏み台となり、時には下僕となり、それでも愛を絶やさない。ウクレレ高円寺にとっての幸せは帯金ゆかりさんの輝きを見続けることだと思う。

そしてそれ以上の幸福を望まないし帯金ゆかりさんとの距離を縮めたりしない。細やかな幸福を、形にならない幸福を彼はとても大切にしている。

 

結婚したら幸せ、家庭を築いたら幸せ、そんな目に見える分かりやすい幸せだけが評価されるならば、ウクレレ高円寺は不幸だろう。悲劇の渦中にいる。

でもあの涙を見たときこんな幸せな人はいないと私は思った。ウクレレ高円寺にしか享受できない幸せをしっかり享受していたとき、あぁいいな、と心の底から思った。

 

 ウクレレ高円寺のTwitterは鍵アカウントであるが毎朝素晴らしい言葉を呟いている。仕事場へ行く満員電車の中で頑張ろうと思える言葉を探しているようだ。

たまに帯金ゆかりさんへの気持ちを呟いている。
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 僕がしあわせにします、とか僕といればしあわせになれるよ、とかしゃしゃり出ずただただ帯金ゆかりさんに無償の愛を投げるだけの男だ。

愛が投げ返されることがないことを知っている。

孤独で不思議な痴人の愛が男の人生を不思議な色で染めている。その色を私は美しいと思っているのだ。どうかその男の幸せが輝き続けるように。そしてたくさんの人の心を豊かにしてくれるように願う。

 

 私事だが、ウクレレ高円寺の愛をとかして涙を見たときどこかにしまっていたとても優しい恋心がふらりと現れて書いたブログが今日ケーキを食べる理由である。


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愛や幸福は連鎖する。そんな連鎖の発端がウクレレ高円寺であるというのは私も痴人なのかもしれない。ただウクレレ高円寺のひたむきな真っ直ぐさは誰よりも強い。その強さはウクレレ高円寺の周りの人を幸せにする。

 

友人にこんな知り合いができた、と話すと皆苦笑いで「また変な知り合い見つけてきたね」と言われる。その変な人たちのことが私はとても好きなのでそれがいいか悪いかわからないがそういう幸せを持っているということを誇らしく思うのだ。