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さかもツインの健康で文化的なようでそうでもない生活をお送りいたします

その女、とろけるチーズにつき

それは看護学校2年の夏のことであった。

ねねが通う看護学校では2年生は林間学校に行くというカリキュラムがあり、2泊3日キャンプ生活を送るというものだった。

コテージがあるがベッドや布団はなく寝袋で寝ることになる、と聞き埼玉のシティガールとしては初のキャンプ生活に怯んでいた。周りの女子たちも「布団がないなんてあり得ない」と散々文句を行っていたが学校で決まっていることは覆せる訳もなく生徒全員が2台のバスに詰められ福島県の生江も場所もわからぬ湖畔に強制連行させられた。

 

梅雨明けのしていない7月初旬。小雨が降り肌寒い。コテージは湿気っていて気持ち悪い。テントをはってもいいと言われたがぬかるむ地面を歩けば歩くほど靴が濡れて気持ち悪い。テントは一部のアクティブガール達が張ったがほとんど皆コテージで「こんな雨じゃ…」文句を言っていた。

予定されていたハイキングやオリエンテーリングは中止となりメインコテージで簡単なゲームをして食事当番が作った夕食を食べた。そのあとはおとなしくコテージの寝袋で眠る。まだ10代の子がほとんどでアルコールを持ち込みする者はいなかった。

人生初のキャンプ、人生初の寝袋。小雨。普段の生活からかけ離れて居心地がいいとは言えない環境にげんなりした。早く帰りたい、寝袋気持ち悪い、虫がたくさんいる、最悪。みんなが口数少なく眠りについた。寝袋は寝汗をぐっしょりかいてしまいねねには合わなかった。

 

翌日はなんとか晴れカヌーに乗ったり泳いだりして遊んだ。それはかなり楽しかったのだがいざ陸へ戻ろうとすると波が立ち沖へ流されそうになったのでライフジャケットの浮力と己の腕力を頼りに「待って!待って!流される!待って~」というあんまり好きではない友人を無視して陸へ戻った。こっちも必死だったので。その友人も後から「死ぬかと思った」と言いながら戻ってきたので死人は出ていない。後々霊感の強い友人に聞くと湖畔に結構見えてはいけない者たちがいたらしく「頭痛くて水に近づけなかった」と話していた。あれは多分怪奇現象だったんだろうなと思っている。

 

その日の夜は湖畔で星を見ながら友人たちと妄想パーティーをして、焚き火をくべながら椅子に座り青春の長い夜を過ごした。今思い出してもあれは本当に楽しかった。一部の友人は寝袋で寝ていたが、ねねはもう寝袋には入らないと決めていたので一晩椅子で過ごす決意をしていた。楽しい話は尽きず明け方まで6人ほどで焚き火を囲っていた。

先日濡れた靴を焚き火に当てて乾かす。10足くらいのスニーカーが焚き火をぐるりと囲んだ。

恋のはなし、落とした単位の話、これからの話、たくさん話した。ふと気付くとナイキのスニーカーの靴底が一足だけとろけ始めていた。

「あ!あのスニーカーとけてる!」

ねねは叫んだ。火に近すぎたらしい。無邪気な友人は言った。

「とろけるチーズじゃん!」

あぶられて固形物がどろりととろけてしまったその姿はとろけるチーズ以外の何物でもなかった。靴がとけるという惨事がおきているのに皆大爆笑していた。

その靴を火から遠ざけ、このとろけるスニーカーは誰のものだろうか、という話になった。

「それ、Iちゃんのじゃない?」と誰かが言った。

Iちゃんとは決して目立つタイプの子ではなくうすらぼんやりとした子なのだがすぐ男を好きになりズルズルな異性交際が噂になっている子だった。

「他にもナイキのスニーカーあったのになんでIちゃんのだけとけたんだろう?」

「もしかしてIちゃんのスニーカー、ナイキじゃなくてとろけるチーズなんじゃない?」

「そうだね、とろけるチーズじゃなきゃあんなとろけかたしないよね」

「これ気付かなかったらもっととろけてなくなってたよね」

と話しているうちにまたIちゃんのスニーカーがとろけ始めていることに気付く。

「ちょっと!またとろけてる!離したのに!」

「さっき離したのにとろけたりないんかこの靴は」

「どこまでとろける気が!」

と一同を叫ばせた。幸いかかと部分がとろけてはいたが火から遠ざけたら固まったのかはけないものではなかった。皆その事をIちゃんには伝えず、Iちゃんは朝になりなに食わぬ顔でその靴をはいていた。

 

最終日はとろけるチーズと誰かが口にする度に笑ってしまいどうしようもなかった。腹がよじれるほど笑った一晩の話だ。

Iちゃんの靴はとろけたが無事にキャンプの行程を終了し我々はまたバスに詰められ埼玉へ帰った。あれだけ嫌がっていたキャンプもとろけるチーズのお陰で楽しい思い出となった。Iちゃんにはあのとき靴がとろけていたよ、と話すことはなく卒業した。

 

なぜか今日ふと思い出してめちゃくちゃ笑ってしまった。10年以上たってもまだ笑ってしまう強烈な出来事だったのだ。

Iちゃんは今4児の母である。交流はSNSだけでだが元気そうなIちゃんの顔を見る度にあのときIちゃんのスニーカーがとろけるチーズで話題になっていたこと、それでもIちゃんのスニーカーを守るために手は尽くしたということを話せなかったもやもやを少しだけ抱くのである。