ここから先は私のペースで失礼いたします

さかもツインの健康で文化的なようでそうでもない生活をお送りいたします

最後に笑わしたもんが勝ち

場末の療養病院に勤めて4年目。その前も小さな病院の病棟勤務をしていたので老年期の患者さんと接することが多い。

高齢者の入院の理由としては、脳血管疾患などによる寝たきり、誤嚥性肺炎、褥瘡、経口摂取不良からの脱水、認知症廃用症候群などなど今までの活動が維持できなくなったときが多い。国の方針としては病院に入院する期間を減らし急性期を過ぎたらリハビリをして在宅での療養生活を、とのことだが実際には無理な話だと思う。在宅医療、介護を舐めているとしか思えない。排泄、食事、清潔動作、勉強して資格を取ってやっていても困難さを感じるのに一般の人に家族だからやれというのも難儀なことである。赤ちゃんの世話と同じと考えてはいけない。まず体の大きさが違うし、ひとりの力では着替えをさせるのだっておむつを変えるのだって汗だくになるのだ。腰や肩、腕を痛める。体がキツくなってくると心にもゆとりがなくなる。負担は大きい。

家に帰れる状況でなく生活に誰かの介入が必要、ということで入院している患者さんたちということになる。病院をたらい回しにされている患者さんがいるという現実が今の老年期医療なのである。

 

そんな現実に嫌気がさして療養病院という長期療養ができる職場にやってきた。もちろん高齢者がほとんど。80~90代の方がほとんど。介護認定では要介護4~5。日常生活動作はほぼ寝たきりという患者さんである。

 

患者さんは認知症や脳血管疾患から会話ができない人が多い。会話ができたとしてもちぐはぐな会話だったりする。

 

認知症とひとくちに言っても色んな症状がある。皆さんは認知症についてどんなイメージを持っているだろうか?

メソメソ泣く人、怒鳴る人、怒る人、攻撃する人、何も喋らない人、意味不明なことをぶつぶつ喋る人、まぁ色んな人がいてひとりとして同じではないから対応が難しい。

 

対応が特に困難だな、と思うのは暴言、暴力。めちゃくちゃ暴れる人もいる。唾をかけたり殴ったりつねったり杖で叩いてきたり。「何するんだバカヤロー」は常套句かと思うほど聞いてきた。1度興奮状態に陥ると本当に大変で身体を抑制して気分が落ち着く薬を投与し落ち着くのを待つ。高齢者と言えど暴れてしまわれると女性看護師が4~5人で押さえても隙を見て殴られる。患者さんの正面に立つと蹴りとパンチが飛んで来るので後ろに回ることにしている。後輩が腹パンチを喰らったとき泣いていたのを見てこの行き場のない怒りはどうしたものかと落ち込んだこともある。一言で言うと修羅である。ほんわかとおじいちゃんおばあちゃんとかちゃんづけにして呼べたもんじゃない。「○○さん落ち着いて」と振りかざす拳を押さえるので精一杯である。(推定体重100キロのナースが暴れたおじいさんに馬乗りになり「力で勝てると思わないでね」と言ったら静かになったという武勇伝を聞いたことがある)。力には力で対応しなくてはならない場面(鎮静剤が効くまで)にも出くわすのだ。実際の現場で看護師、介護士が暴力をふるった、というニュースは多々あるが、認知症患者さんがふるった暴力は病気だから仕方ないで済まされてしまう。気分が落ち着く薬をコントロールできないのもひとつだが現場の人間として言わせてもらえばそんな簡単なものではない。殴られて、暴言を吐かれて傷付かないわけないのだ。それに対応するのも我々の仕事ではあるがお金を貰っても生活の為でも仕方ないの一言で済まされない、削り取られていく部分がある。このような患者さんは急性期の病棟でよく見かけたが療養病院では色々とコントロールがつき落ち着いた患者さんが多い。なので私はだいぶ気持ちが楽に働けるようになった。他の病院は知らないので何とも言えないが。

 

全ての患者さんが暴力的であるわけでもないので今日も今日とて働き1日が無事に生きて終われるよう生きる手伝いをする。

 

同じ事を繰り返し叫んでいる患者さんも話しかければ会話ができる。我々を呼んでいるらしい。ひとりでいるのが不安なのか見に来てくれないことに苛立ちを感じるのか、憶測でしかないがこうすると落ち着く、というパターンがあったりするのでなるべく落ち着く方向に持っていく。赤ちゃんが泣いて欲求を満たしてもらうのに近いのかもしれない。その声が「誰か助けて」とか「人殺し」とかだとギョッとしてしまうがそんなこともあるのでちょっと笑ってしまう。

 

目を見てじっくり会話すると優しい言葉をかけてくれる人もいる。「ごくろーさん」とか「ありがとね」とか「お金あげるからご飯食べてきな(実際にはお金はないしもらったこともないが)」とか。子どもや孫を育ててきた人たちの穏やかさが表れることもある。そんなときは「ふふふ」とついつい笑顔になる。

頑張ればこちらの名前を覚えてくれる人もいる。名前で呼ばれるとそれもうれしい。

お風呂で目尻を下げて気持ち良さそうに浸かっている姿もなかなかにいい。喋れない人がそんな表情をみせてくれたりすると我々は「気持ち良さそうだね」と笑顔になる。人と人の関わりなので自分のした看護や介護に笑顔で返されるとうれしくなるのだ。

 

今よく独り言を言う患者さんがいる。今日は訪室するたびに「○○さん生きてる?」と聞いたら「…生きてる」と答えてくれた。○○さんが生きててよかったな~と思い退室する。そんなことを何回か繰り返していたところ「お腹すいた」と言われたので「じゃあ何が食べたい?」と聞いた。経口摂取ができない患者さんなので食べさせることはないのだが聞いてみた。

患「白いごはん」

私「白いごはんだけじゃ寂しいでしょ?おかずは?」

患「黒いごはん」

私「黒?五穀米的な?そんなのでいいの?」

患「金玉ごはん」

私「金玉ごはん!?」

もう笑わずにはいられなかった。腹を抱えて笑った。金玉ごはんとその後も何回も言っていた。

 

完全に下ネタだしギャグである。想像もしないような突拍子のない言葉が出てくるのである。人生で金玉×ごはんのコラボには出会ったことがなかった。パワーワードすぎてしばらく笑ってしまった。金玉ごはんと何回か言ったら疲れたのかお休みになられた。

 

認知症の患者さんの突拍子もない展開には笑ってしまう。入れ歯を味噌汁の中に入れて混ぜ混ぜしていたり、抜いてはいけない管を抜いて、それを発見したとき看護師が「あぁっ!」と言うと「やべ、見つかった」みたいな顔をするのも全てがコミカルでユーモラスなのである。

 

最後に笑わしたもんが勝ちだと思う。我々が患者さんを笑わすか、患者さんが我々を笑わすか。圧倒的に患者さんに笑わされることの方が多いと思う。ふふふ、完敗です。笑ったら負けよ。あっぷっぷ。また来るから。来たくさせちゃうんでしょ、そうやって。と甘くなってしまうのだ。

 

簡単な仕事ではない。悪いことも嫌なことも辛いことも多々ある。でも悪いことだけでも嫌なことだけでも辛いことだけでもない。笑ってしまうこともあるならそこそこいいのではないか。認知症の患者さんと接してそう思うのである。(エネルギーはめちゃくちゃ消耗するけども)