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さかもツインの健康で文化的なようでそうでもない生活をお送りいたします

知る人ぞ知るいい女

女優やモデル、見てくれのいい女だけが『いい女』ではないと思っている。

もちろん見てくれのいい女は見ていると惚れ惚れする。昔は美人は性格悪いなんて言ったが、美人ゆえひねくれどころがなく明るくて優しくていい人が多い気がする。性格悪いのは美人を妬むひねくれ精神の持ち主である。

いろんなタイプのいい女というのがいて、優しい気配りができる女、いるだけで花が咲きほこる春のような女、聞き上手な女、仕事が早い女…。

いい女とは見てくれだけの話ではないからいいところがあれば全ての女はいい女なのである。

 

いい女だから結婚しているのか、そうとも限らない。女の幸せが結婚だけでないから、この辺は複雑で事情もあるからなんとも言えない。そうは言っても幸せ=結婚や出産、孫の顔という色眼鏡が濃すぎて「この人こんなにいい女なのに結婚していないのはもったいない」と思ってしまうこともあるのだ。

私がそう言われたら「でしょ?全国の男性はわかってない!何にもわかってないのよ!」と怒りをぶつけて笑うが、他人にそう思うのは余計なお世話ということは重々承知しているから口には出さない。

 

今この人いい女だなと思うのは職場のおばちゃん。

いつだって誰にでも優しい。この人の優しさに救われた人がどれほどいるだろうと思う。マザー・テレサ黒柳徹子だけが優しさで世界を救っているのではない。小さな街の片隅で名もなきおばちゃんが人の心を救っている。それは大きなことではなく誰の目にも写らない。映画やドラマになるようなことではない。職場の一部の人だけがあの人の優しさはすごいことを知っている。いい女であることを知っているのだ。

 

そのおばちゃんは独身で「こんなにいい人なのになぜ独身なのだろう」と思っていた。後々そのおばちゃんの人生を聞いてみたら結婚適齢期に親や親戚の介護に明け暮れて大変だったことを聞いた。そのひたむきさに涙せずにはいられなかった。ひとりで背負ってきたものが大きすぎてそれを乗り越えてきたからこその優しさや強さがあるんだなと思った。

 

人の優しさというのはその人が経験してきたもので変わってくると思う。辛いときにどんな言葉をかけてほしいか、辛いことを通ってこなければわからない。ただ辛いことは避けて通れればそれが1番で、100%満足のいく言葉が返せなくても一緒にいてくれたり話を聞いてくれる優しさというのもある。

 

おばちゃんの優しさは辛さを通りすぎてその先も生きていけるような言葉をくれたりするからすごい。背中を押してくれるいい女だ。

 

このおばちゃんに愛される人はきっと世界一幸せ者だろう、と思ってしまった。余計なお世話だけどもこの人の優しさを知らないのはもったいない。全国の男性を集めておばちゃんの優しくて素敵なところをプレゼンしたいところだ。

知る人ぞ知るいい女というのは気づいていないだけで意外とたくさんいるのかもしれない。いい人いないかな~と探しているならいい女の定義を叩いて壊して新しいいい女の定義を作ってみてほしい。

そして私も誰かに選ばれないなら人知れずいい女だありたいと、世界を一段上から覗いているくらいのいい女でいたいと思うのだ。