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さかもツインの健康で文化的なようでそうでもない生活をお送りいたします

ずっとずっと元気でいてね

3月は別れの季節。年度末で退職される人がそろそろ有給を残して職場を去っていく頃である。ここに4年も居就いてしまった私は見送ってばかりだ。職場が嫌で辞めていく人、身体がついていかなくなってしまった人、遠くへ行くので辞めてしまった人、いろんな人がいる。

 

その度に少しの思い出話とあなたがいなくなるとさみしくなることとありがとうとお元気で、またいつかどこかで、という話をする。

またいつかどこかで、これを繰り返し繰り返し言ってきたがそのまたいつかが来たことはない。もう2度と会えないことを知ってしまっている。もちろん連絡先を交換してまた会う人もいるが、年代が違う人が大半で連絡先を交換する機会もない。そんな社交性も持ち合わせていないので、来るもの拒まず去るもの追わずでやってきている。職場の人は友達ではないので職場での付き合い以上のものはないのだ。さみしさはあるがそこはそういうもんだと割りきる。

 

今日もまたひとり辞めていった。

今月で定年退職という話は聞いていたがまさか今日だと思わなかったので慌てて挨拶に行った。

その人は職種が違えどいつも声をかけてくれて優しくていつもお菓子をくれる人だった。餌付けされたわけではないけど、会えば声をかけてくれる人の存在というのは心強い。その声にどれだけ救われたかわからない。仕事面で助けられることはわずかであったけどその人がいる日はなんとなく味方がいるような安心感があった。職場のギスギスした雰囲気に味方がいると思えることは心強い。

 

だから最後の日はお菓子に手紙を添えて贈ろうと思っていたのに急に今日のお別れを告げられて何も用意できずお別れの挨拶も考えられず頭の中は真っ白になってしまった。

 

休憩時間にその人のところへお邪魔して「今日で最後なんですって?」と顔をみて話始めたら涙がでてきてしまった。いつも声をかけてくれてありがとうと、その優しさにたくさん救われたと、言おうとしても言葉が出てこない。優しい見慣れた顔を見ればどんどん涙がこぼれる。声が詰まる。言いたいことは涙に溶けてしまって何も言えない。

その人も一緒に泣いてしまったのでその涙を見たらまた泣いてしまう。

 

きっともう2度と会うことのない人なんだと思って悲しくなる。その現実と向き合ったとき「ずっとずっと元気でいてね、お願いです。ずっとずっと元気で。」と言葉が出てきた。

私の手の届かないところで暮らすその人にかけられる言葉はそれだけだった。私の心配など必要ないくらい元気で幸せで楽しく暮らしていてね、そしたら私も安心だから。

 

ずっとずっと元気でいてね。

さよならもまたいつかどこかでもそんな建前はなにもかも言えないから、最後に私のわがままを。

 

ずっとずっと元気でいてね。

優しい声に私は救われてきてきっとその声はこれからも誰かの救いになるから誰かに元気で声をかけ続けて。

 

ずっとずっと元気でいてね。

大好きな人だから、ありがとうのかわりにずっとずっと元気でいられるように魔法をかけて。 

 

できればいつかまたどこかで会いたい人。ずっとずっと元気でいてね。