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さかもツインの健康で文化的なようでそうでもない生活をお送りいたします

愛する男に食わせたい飯

もしも私に愛する男がいたならば、その男が心身ともに健康になれる飯を作って食わせたい。

肉や魚といったたんぱく質を中心にビタミン、食物繊維の豊富な野菜を添えて。脂質は少な目に。愛する男が野菜嫌いだとしても一手間でも二手間でも加えておいしく食べさせたい。それくらいの料理の腕前は持ち合わせている。

 

そしてそれを一緒に食べ「おいしいね」と微笑みたい。これは私のささやかで叶いもしない夢なのである。

 

もしも愛する男が元気を無くし落ち込んでいたら私はシャウエッセン丼を食わすだろう。

シャウエッセン丼とはごはんの上にシャウエッセンを乗せただけのものだ。私の料理の腕前は一旦無にする。


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これはどうやら見た目が悪いらしい。私にはわからない。こんなぷりぷりのシャウエッセンが並び「パリィッ」と噛る音が聞こえてきそうな、その音を想像しただけで唾液腺が熱くなる。はち切れんばかりのシャウエッセンに見た目の悪さなどない。これは美。わかる人にわかればいい。

 

私は4本だけシャウエッセンを乗せたが、愛する男のには12本(2袋)くらいのせてやろう。

 

愛する男が項垂れてソファーに座っていたら「飯だ!飯だぞ~ぉ~!」と法螺貝を吹きでんでん太鼓をでんでん鳴らそう。

 

何で悩んでいるかは聞かない。知らない。だけどその陽気なシャウエッセン丼に愛する男は笑わずにはいられないのだ。笑ったらもうこっちのもんである。愛する男を悲しませるのは全部私が葬ろう。

シャウエッセン丼を目の前にして自作のシャウエッセンソングを披露し、「さすがに12本は食べられないな…」とはにかむ愛する男を見たら私は生きていて良かったと思うだろう。味変タイムと称してマスタードとケチャップを献上する。

「そういうことじゃないけど、そういうことかもしれない。」と愛する男に諭される。世界で一番甘美な男女の時間。

 

しまいに愛する男が残したシャウエッセンは私が食べる。その姿を愛する男に見られると私ははにかんでしまうのだ。この瞬間は永遠に続いてほしいのである。愛とはそういうもんだ。

 

明日愛する男のシャウエッセン丼とシャウエッセンソングのためのでんでん太鼓を買いに行こうと思ったが愛する男などいなかった。でんでん太鼓は今のところ必要ないらしい。

 

ならばこのシャウエッセンソングを披露したい気持ちはどこへやればいいのか。私は醒めない夢の中にいる。でんでん太鼓を手に取ろうとした瞬間にすべては虚無であることに気付くのだ。