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人生で最後に読みたい本を一冊挙げるとしたら

 人生で最後に読みたい本を一冊挙げるとしたら。

私は間違いなく『全身編集者』と答えるだろう。この目が見えなくなる前に、この手がページを捲れなくなる前に、最期にもう一度読みたい本だ。

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その昔ガロという雑誌があった。私はこの雑誌について知らない。この雑誌を知っているかはこの本を読むにあたりたいして重要ではない。『全身編集者』はそのガロという雑誌に人生を捧げた男、白取千夏雄という人物の半世紀である。

ざっくりまとめると白取氏の生い立ちからガロに携わりガロが休刊に追い込まれ自身も病と闘い愛する妻を看取り死期を悟りながらも本を作ることに携わり続けた記録、となるが情報が多い。

それでも全177ページをさらっと読めるのは白取氏の語り口調と、本を作ることへの情熱、そしてこの本を編集した劇画狼氏のテンポの良さだと思う。普段本を読まない、ガロを知らない、難しいことは理解できない私でも読めたのだから相当な編集技だと思う。

一言で言うと「愛」に溢れた本だ。ガロへの愛、仕事への愛、妻への愛、たくさんの愛がかわるがわる文字になって私の目に飛び込む。どんなロマンチックな愛の物語だろうと思わせたらそうではないので私の言い方が悪いだけだろう。男女が愛し合いいちゃつくだけが愛の物語ではないからね。ただひたむきにまっすぐな白取氏のすごさについては最終的にもういいあなたを形容する言葉が見つからないから「愛」にしようと丸め込みたくなるのだ。

 

白取氏はブログも書いていて、特に最愛の妻を看取る日々のブログは読んでいて胸が締め付けられ言葉が詰まってしまった。表現力がすさまじい。


白取特急検車場【闘病バージョン】 連れ合いが倒れた 詳報

看護学校の看取りの教科書に載せてほしいレベルだ。愛する人を見送る寂しさ、やりきれない気持ち、全て事細かに書かれている。読んでいて涙が止まらなかった。紛れもない現実の世界、映画やドラマじゃない命と向き合う本当の心に触れる機会など滅多にないからこそ読んでほしいブログだと思った。

 

白取氏御本人も白血病や癌の転移で闘病されている。患者としての言葉がどれも胸に刺さる。

これは亡くなる数日前のブログ。
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たどたどしい日本語。また必ず!!という結語。中井のところはきっとなんかいいことと言おうとしたのだろう。亡くなる前の人とは思えない希望を込めた言葉に何も言えなくなってしまう。何か言おうとしたら涙しか出てこない。人が亡くなるということはどえらいことなのだ。

 

この本の編集は劇画狼氏であり、最終章は白取氏と劇画狼氏とのこの本を作るにあたってのやりとりとなる。

この本の中で一番ぐっときた場面が白取氏の入院中頼まれたおつかいをして面会に来た劇画狼氏が本人が寝ているからと起こさず帰った時の話だ。鶏皮串を買っていったが置いていくわけにもいかず持って帰って食べてしまったことが書かれている。頼まれたものを渡せない切なさとか、起きている時間が減って死に近づく様子を目の当たりにする。寝ていて渡せなかった、で済む話で、その鶏皮串を食べてしまうというのは書かなくても良かったことかもしれない。が、白取さんの鶏皮串をちゃっかり食べちゃったよ~ん、みたいなかわいらしさがあってなんか救われるのだ。

こんな切ない鶏皮串の話は聞いたことがない。今でもこのシーンを読み返してわんわん泣いている。だけど鶏皮串を食べる描写がたくましくてかわいらしくて泣きながら笑ってしまう。とても好きな場面である。

知らない雑誌の編集をして難しい病気にかかっている見ず知らずの違う世界の人をより身近に感じたのは鶏皮串を食べたがっておつかいを頼むというこの場面で、知っている食べ物を架け橋として我々を繋いでくれたのは劇画狼氏の手腕でもあるなと感動している。

何度も手術して片方の眼球も摘出して向こうに見えるは三途の川の人という人が鶏皮串を欲するのもかわいい話だ。次にハムカツを頼んでいるのもまたかわいい話。

 

一通り読んでみてガロの休刊の話などはさらりと読んでしまったがわからなくてもいいと思った。得たものはそれ以上に大きい。本の中で故人が生き生きとしていることが一番驚いた。死ぬことというのはまるで救いがない。本人の苦痛、経済的負担、不安からは救われるだろうがそれ以外はまるで救われない。死んだ本人は死んで救われたよと言わないから余計に。遺された人は巻き戻せない時間をいつまでも慈しみ、悲しみ、拭いきれぬ虚無感に包まれる。心の中で生きているとかそんなうわべだけの言葉はいらない。生きていた証を見せてよ遺してよ。白取氏はこの本の中で有り余るほどの生命力で本作りに駆けずり回っている。死んでいるけどこんなに生き生きしている人見たことないよ。劇画狼氏が永遠の命という魔法をかけたみたいだ。死の延長線を希望と共に切り拓いた世界の創り方を初めて見た。この本の素晴らしさはそこにある。

 

最後のページをめくったら少し眠ろう。鶏皮串の話、おもしろかったな。そういえば劇画狼氏って実のお父さんに野球がうまくなるからって甲子園の土食べさせられたことがあるんだよな。さすがだな、甲子園の土ってすごいよな、ミネラルとか豊富なんだろうな、だからこんないい本作れるんだろうなってクスリと笑えればこんなおもしろくていいことはないよ。

 

 

 

『全身編集者』の感想まとめはこちら↓


元ガロ副編集長の自伝/漫画史『全身編集者』が足かけ2年をかけてインディーズ出版 - Togetter

 

『全身編集者』はおおかみ書房という独立出版社(個人で出してるやつ)なので通販か一部の本屋でしか入手できない。貴重な本なので気になる方は確実に早めに手に入れてほしい。というか個人でここまでのクオリティの本を出すのが異常、すごすぎる。書店に並ぶどんな本にも引けをとらない。個人の力の圧倒的な強さを見せつけられた。


白取千夏雄『全身編集者』 - おおかみ書房.BOOTH - BOOTH 

25日ごろより東京・中野のタコシェ、新宿の模索舎まんだらけ札幌店、宇都宮店、渋谷店、中野店、秋葉原店、名古屋店、心斎橋店、うめだ店、福岡店にて取り扱われる。