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さかもツインの健康で文化的なようでそうでもない生活をお送りいたします

髪の長い男と暮らせなかった

髪の長い男は素敵だ。結ぶもよし、下ろすもよし。髪の毛がサラサラツヤツヤでなくてもいい。癖毛で波打っていても剛毛でゴワゴワしていてもいい。その個性の全てを受け入れよう。

 

では髪の短い男は素敵でないのか?という声もあるだろう。髪の短い男も素敵だ。というか男の髪の毛についてはよくわかっていない。わかっているのはどんな髪型でもよいということ。坊主でも長髪でもその人がしたい髪型をするのが1番だ。どんな髪型をしてほしいと強要するなど野暮なことである。

 

ひとつもの申すとすれば、スタイリング材をめちゃくそにつけてギチギチにセットしているコンサル系サラリーマンはなんつうかだな、そんなに光らせてどうする?とだけ言っておこう。めめ(妹)に「ギチギチのとんがった靴はいてそうなサラリーマンの七三ヘアーはまるでゴキブリ」と言ったら「言い過ぎ」と怒られた。そういうところは今後気を付けていこうと思う。

 

男の髪型、服装についてよく分かっていないのだが最近わかったことがある。シャツを羽織っている服装、あれは女子のカーディガンと同じような扱いなのではないかと。合ってる?なんでシャツをボタンあけて着ているのだろうとずっと思っていたけれどカーディガンのようなものなら着たり脱いだりするからボタンは開いていた方がよい。駅に向かう道でふと気付いて壮大なアハ体験をしたのである。それがカーディガン扱いでなければこのアハ体験は撤回せねばならない。

 

髪の長い男に好きだと言わせて付き合ったことがある。自分より髪の長い男と過ごした。髪の長い男の髪は抜ける。家は抜け毛のごみが2倍、いやそれ以上になった。

 

掃除機をかけてクイックルワイパーをかけても髪の毛が落ちている。「私のいない間に掃除機をかけておいてください。」とお願いして戻ってきたら掃除機はかけていたけどまた抜け毛がはらはらと舞っていた。

気が狂うかと思った。

1度気になり出すと美しい波をうつその男の髪の毛が好きから嫌いに傾いた。お風呂場の排水溝の掃除をしながら「もう無理かもしれない」と思った。

 

髪の長い男と暮らせなかった。

ほかにも気になる点があり一緒にいるのが無理と判断し一緒にいるのをやめた。髪の毛が嫌だとは言えなかった。ちゃんと言えて髪の毛についての問題に前向きに話し合えたら違う結末をたどったかもしれない。多分今なら髪の毛の長い男の抜け毛を許せるだろう。なにがいいとかだめとかはその時々によって違うので難しい。

 

それでも髪の長い男は美しい。今日もこの世界のどこかで髪の毛の長い男たちが生きている。いつかまた髪の毛の長い男に出会えたら「素敵ですね」とほめてみよう。一緒に暮らせなかった人にかけられなかった優しい言葉たちを成仏させるかのようにたくさんほめてみよう。