吉祥寺の井の頭公園のほとりにひっそりと佇む旅荘がある。その名を和歌水という。
この道は何度も通ったことがあるのにここに旅荘(ラブホというより連れ込み宿と言った方がしっくりくる)があることに気付かない、見える人にしか見えない建物だ。
初めての訪問は去年。9ヶ月ぶり2度目の訪問となる。
旅荘和歌水 ぼたん に潜入 - ここから先は私のペースで失礼いたします
桜の開花が迫り井の頭公園へ向かう人たちで賑わう通りにある和歌水。誰ひとり気にとめず歩いている。入ろうとすると「え、そこ入れるの?なにここ?」といった視線を投げかけられた気がしたが気にしない。
この扇形(?)の看板。宿主の強いこだわりが感じられる。
バストイレつきという当たり前が当たり前でなくて売りだった時代の名残。
自動扉が開いたら吸い込まれる。
覚悟を決めて中へ。
ただならぬ昭和感。これが昭和だ、と言わんばかりの目映さ。心が震える感覚。昭和ラブホ巡りでよく味わう感覚だ。
フロントからは元気な女将さんが出てくる。3階の部屋は休憩で5500円。紙の敷かれたスリッパをはいて部屋に案内される。
階段を上りきると右の方に『ぼたん』という部屋があり左の方に進んでいくと更に部屋がある。「和室しか空いてなくて。」と和室へ通してもらう。どうやら他の部屋も個性豊かな部屋のようだ。
森林のような壁紙の廊下の突き当たりにすぎはあった。この左方向にも部屋がありかなり入り組んだ造りになっている。
「部屋に入ったら中から鍵をかけてね」「帰るときはフロントに電話して」と言われる。
あ。好きな色だ。
飴色の電球と赤い布団。欄間のシルエットがどこか懐かしくて遠い場所へ来た気持ちにさせる。
影までもが美しい。
少し高さのある布団とベッドの中間くらいのやつ。家でも旅館でもない、旅荘の布団というジャンル。
これは…
鏡。
旅荘の布団に鏡。この組み合わせは昭和の色情。風営法の関係でベッド周りの鏡の数は減らされているためこの鏡は昭和遺産に近いものがあるのでは。
鏡があると盛り上がるかはここに来た人だけが知っていればいい。
丸みを帯びたランプシェード。紐が下がってカチカチとやって消すのがいい、こういうところでは特に。
床の間だってちゃんとある。ちゃちに造らなかったからきっと今の今まで現役なんでしょう。こだわりが色褪せないよ。
優しいカーブの窓は開けたくなる。
つまみがかわいらしいから優しくね。
やっぱり好きな光が差し込む。晴れの日も雨の日も雪の日もこの窓から差す光はきっと美しい。
振り返ると部屋の全貌がわかる。
ガラスの灰皿、座布団、向かい合って何を話そう。何も話さなくていいかもな。
寝室は襖で仕切れる。夢のベッドルームと現実の和室。冷めた目でタバコを吸うのはこちら側で。
使わない鏡に布をかけるのは昭和の流儀。電話の下には電話用の座布団。
たんすの中には
タオル。和歌水と書かれている。いいな。心遣いが。
こちらの窓からは井の頭公園の緑が見える。
のぞくとこんな感じ。
金庫もある。ファブリーズも。やたら大きい花瓶、百合なんか活けてもいいかもしれない。
ここから先は水回り。
特に時代を感じさせるのが水回りなのでバスルーム、洗面所は昭和ラブホ巡りでかなり楽しみな領域だ。
あ…
完全に昭和。大好きなやつだ。
ピアノの鍵盤のようなタイル張り、円形の鏡。目が覚めるような鮮やかな昭和水色。
洗面所とトイレの色がお揃いだとかわいい。
昭和昭和と言っても洋式トイレだとうれしい。
若干透けるけど…おおらかなとこがいいね。
シャワーカーテンの奥は…
バスルーム。
ぼたんの部屋よりは小さめ。洗面所と同じタイルの壁が統一感があっていい。
浴槽のためるシステムはよくわからなかったがわからないところを含めてこれは全部いいバスルーム。
さて、帰ろうか。
フロントに電話すると「忘れ物ないようにね」と言われる。部屋を見回しうしろ髪を引かれながら部屋を出る。
急な階段をゆっくり降りる。
どこから来たか分からなくなるのは昭和と令和の時空の歪みのせいかもしれない。
他の部屋も気になるからまた来よう。
ここを下ればフロントだ。
玄関には靴が用意されていて紙の敷いてあるスリッパとお別れ。先ほどの女将さんとは違う人が見送ってくれた。
訪問は2020年3月。
この疫病でひっそりと閉業していくところもある。今和歌水がどうなっているかはわからない。
世界がまた何事もなかったように戻れるかわからながそのときにまだやっていてほしいと思う。勝手かもしれないが。
ここを大切に守り続けている人がいるから今こうして変わらぬ昭和のままの姿であり続けるのでしょう。その人たちのこの旅荘への愛とか優しさとかひたむきさを称えずにはいられない。