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さかもツインの健康で文化的なようでそうでもない生活をお送りいたします

くじけないために

連日コロナウィルス感染症のニュースばかりで気が滅入る一方なのだがひとつこれはどうなんだというニュースがある。感染症法改正についてのニュースだ。


「強要なら行政が院内感染に責任を」コロナ患者受け入れ「勧告」に民間病院は困惑 感染症法改正:東京新聞 TOKYO Webf:id:sakamotwin:20210118211956j:image

 

ざっくり言うと民間病院でもコロナウィルス感染症患者さんを受け入れましょうね、応じなければ病院名を公表しますよというものである。

 

現在入院待機中の患者さんが増え自宅待機中に死亡する事例も出てきている。基礎疾患のある方や高齢者の方の急変リスクを考えると入院治療がベターだろう。だからどの病院でもコロナ患者さんが入院できるようにしろ、というのは難しい話である。

 

人々がかかる病気はコロナウィルス感染症だけじゃない。癌なり脳血管疾患なり免疫疾患なり外傷なりそれはもうありとあらゆる病気がある。生死に関わる病気も沢山ある。病院はそんな人のためにあるところだ。

 

もちろん免疫機能が低下している人も沢山いる。抗がん剤ステロイド治療、新生児、周産期のママさんたち、高齢者、できれば外の感染症に触れないよう入院生活を送れるのがいい。感染症の病床と他の疾患の病床が完全に分けられる必要がある。

大きな公立病院では分けられることができても民間病院では分けられないことも多々ある。免疫力の低下した患者さんが感染症にかかれば致命的になることだってありうる。民間病院としては今ある病床と入院している患者さんを守らなければならない。コロナ患者さんを受け入れないなんてどういうことなの?というのは今いる患者さんを守るためでもあるのだ。

 

また民間病院は大きな病院と検査機器や呼吸器の設備がないところもある。

大きな病院なら院内に検査室があり採血の結果も1時間もしないうちに出るが、民間病院での採血は外注が多く今日した検査が明日にならないと結果がわからないということもざらにある。

 万が一呼吸不全となり気管内挿菅が必要になったとしても呼吸器がなければ気管内挿菅、呼吸器管理のできる病院まで救急車で搬送しなければならない。病院に入院していても受ける医療レベルは違うのである。気管内挿菅や呼吸器というのはどこの病院でもできる医療ではない。

  

正直なところ私も民間病院に勤めていて、じゃあ今からコロナ患者さんを受け入れますということになったら「呼吸器ないけど?気管内挿菅できる先生いないけど?検査室レントゲンしか撮れないけど?採血は明日にならないと結果でないし血液ガスだって調べられないよ?私呼吸器もう5年近く看てないけど…ECMO?見たことも触ったこともない…ねぇ、どうするの?今いる患者さんは?高齢者ばかりのこの病院でクラスター出たら終わりだよ…ねぇ、本当にどうするの?」と言うと思う。

 

 患者さんを受け入れる前に民間病院もコロナ以外の入院患者さんがいる。だいたいどこも病床稼働率80~90%くらいなのでは?おおむね満床なのにどこに入院するのか。全くわからない。

 

 

それでも病院名を晒すというその現実とかけはなれたことをワイドショーでやいのやいの言うのは勘弁してほしい。

ついこの間まで「医療者のみなさんありがとう」と言っていたのに医療崩壊だとなれば「コロナ患者さんを受け入れなければ病院名晒す!」みたいになってしまったのは恐ろしい。コロナ患者さんを受け入れない病院は悪なのか?

人の心というのは信用に値しないとつくづく思った。

 

 

こんな状況でも最前線で働く医療者の人にいつだって「大変な状況を頑張ってくれてありがとうございます」と思っている。

正直この状況はストライキが起きても仕方ないレベルだと思う。それでもひたむきにコロナと戦い続けているのは「救えなかった命の重たさ」を医療者ひとりひとりが背負っているからだと思う。

生きたいと願った人の、手を尽くしてもどうしようもできず亡くなっていくあの虚しさをできればもう2度と経験したくない、今できることを全力でやるしかない、そんな強い気持ちで医療に向き合っている。

 

そんな医療者の気持ちがくじけてしまうからどうかテレビでクラスターが出た医療崩壊だどうしたらいいのかとどうしようもないことをごちゃごちゃ言わないでほしい。先の見えない日々をずっと手探りでやっていて、現場の人間の声なんかどこにも届かない。テレビのコメンテーターだけの声が大衆に届く。若い人が出歩いている、飲食店が営業している、マスクをしていないのは若い人だ、なぜ誰かを責めるのか?私はその責める声を聞くたびに心が張り裂けそうになる。

出掛けるなりお店を開けるなり、その人たちの理由がある。一概に言えることではない。正義だと信じてペラペラしゃべるコメンテーターに虫酸が走る。正義なんて言葉は振りかざした時点で正義じゃなくなっているのだ。

 

感染者数が増える一方でより強い規制ばかり作るようになってしまった。もう出歩くなとも店をやるなとも言えない。皆生きるためにやっていることだから責められない。収入がなければ生きられない。

 

だから今一度感染症対策を。

マスク、手洗い、消毒、具合の悪いときは外出しない、睡眠食事しっかりとる。自分にできることをしっかりと。願わくば誰もが責められない世の中になりますように。それが私のささやかな願いである。