先日軍艦島の歴史をご紹介したので次は軍艦島の名物、高層アパート群について知り得たことを書いていきたいと思います。
軍艦島について知ったこと~歴史、炭鉱で働くことについて~ - ここから先は私のペースで失礼いたします
軍艦島高層アパート群
軍艦島は面積6.3㌶、外周約1.2㎞の小さな島です。東京ドーム(4.7㌶)約1.3個分です。この中に炭鉱、学校、病院があり、居住地面は約3.78㌶でした。東京ドームより小さい場所に最高で5267人も住む人口密度の高さ。超過密な海上産業都市です。
狭い土地にいかに多くの住居を構えるとなると高層住居が必要不可欠。
大正5年竣工の日本初の鉄筋コンクリート造アパート30号棟や317戸のマンモスアパート65号棟など3~10階建ての高層アパートが軒を連ねていたのです。
30号棟は地下1階、地上7階。中央は採光を考え6㍍四方の吹き抜けがありました。台風やシケの日は各階に雨風が入り込み大変だったそう。
建設当初は4階建で、上3階は増築されたものです。
上の方にちょんちょんとポールのような棒が立っていますが、建築基礎でこの上に更に増築も考えていたとかいないとか。
昭和29年に地階~4階までの鉄筋入れ換え工事を行っており、上3階をジャッキで支えながら工事したと聞きました。無茶苦茶感があるけどやってのけるのが昭和の人間ですね。
コンクリートはセメントと海水を混ぜたものであること、吹きつける潮風という環境面から通常より劣化が早く、ツアー中もコンクリート崩れていく音が聞こえることもあるそう。年々姿を朽ちた形に変えていく場所なのす。
30号棟の隣には31号棟。
軍艦島西側の塩害を受けやすい場所にあり海に面した側は窓が小さく造られ浸水を防ぐため約1㍍程1階の床が高く造られています。
場所に応じた建築をしていることにすごいとしか言いようがありません。
アパートとアパートの間には渡り廊下が張り巡らされ雨の日も島中を傘をささずに歩き回れたそうです。
30号棟が出来たころの東京は…
大正3年に東京駅が、大正4年に東京ステーションホテルができました。
鉄骨レンガ造りの3階建て。日本初の鉄筋コンクリートアパートが東京や京都といった大都市ではなく長崎県の小さな島に建てられたことはかなりセンセーショナルなことです。
第一次世界大戦(大正3年~7年)が始まり輸出事業で好景気となっていた日本にとって怖いものなし造れや増やせや近代建築という勢いのある時代背景にも押され軍艦島がメキメキ発展していったのでしょう。
軍艦島西側は午前中のツアーだと逆光になりますのでカメラ写りはあまりよくないです。
が、逆光がかえって軍艦ぽく写るのでかっこいいです。
軍艦島についてまだまだ続きます。今日はここまで。では。
参考文献はこちら↓
http://www.e-bunken.com/smartphone/detail.html?id=005000000005&category_code=ct5&sort=order&page=1
長崎游学4「軍艦島は生きている!」 廃墟が語る人々の喜怒哀楽