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さかもツインの健康で文化的なようでそうでもない生活をお送りいたします

「あたしおかあさんだから」とあたしのおかあさんへの感謝

「あたしおかあさんだから」が呪いの言葉だ、もやもやする、おかあさんだから我慢しなくてはならないことだらけ、等大変話題となっていますね。

独身彼氏なし33歳女性のねね(姉)としては、同世代のおかあさんたちは子育てしててえらいなぁと頭が上がりません。

 

「あたしおかあさんだから」の歌詞を読んで思うことは、自分が母になったら苦労するということ(多分結婚や出産を色々諦めてしまっているから)よりも、自分の母についてでした。

 

さかもツインの母は戦後の貧しい時代に生まれ農家の娘でした。長女ということもあり色々と家事や下の兄弟の世話を押し付けられ苦労したと聞いています。調理師として働き2年ほどして結婚、専業主婦となりました。

 

子どもはひょんなことから4人産まれ、エンドレスな子育て生活だったようです。

専門学校時代や職場での思い出は楽しそうに充実していた話をしますが、子育てについては大変だというネガティブな発言ばかり聞かれました。

昭和の高度経済成長の中、社会に出て働くということはやりがいや活気に満ちていて自分の能力を存分に発揮する喜びがあったことでしょう。

40年前の一おかあさんが子育てに専念するよりも働きに出るほうがやりがいや充実感を感じながらも専業主婦として家にこもっていたと思うときっと沢山悩んだり外に出たいと思ったり自由を欲していたのだと思います。

 

家でどんな子育てをしていたか、毎日毎日、子どもたちのご飯作りに始まり掃除洗濯買い物…毎日どれだけやっても毎日次から次へご飯掃除洗濯買い物の繰り返し。地獄のよう。

職場ならやれば終わる書類、やれば終わる会議、やれば終わる事案、終わればぱあっと飲みに行き給料が出る。

家事と子育てに給料は出ず、ぱあっと飲みに行くこともない。

仕事ではヘルプ要請ができても、さかもツインの父は仕事しかできない人間で家事など一切せず子育てヘルプ要員にはならなかったようです。そんな父のことを母は晩年まで役立たずとぼろくそに文句を言っていました。そりゃそうだ。独りで子育てや家事をやらなければならなかった憎しみは消えることはないでしょうから。

 

子育てについてはまぁ本当に申し訳ないと思うほどにさかもツインが双子で産まれてしまったから…すごく大変だったそうですね。

もう子育て大変だって上の子の時に思って、自分が腹空かしてまで子どもに飯を食わすのはこっちの身がもたない、と思ったらしく、ご飯だけはツインが泣いていようが自分が先に食べてからあげるようにしていたと言っていました。

それでいい、それでいいよ。それでもツイン死なないでちゃんと育ったから。おかあさん本当にありがとう~。ご飯食わしてくれてありがとうと思うのです。

 

またこのツインは病気しがちのひ弱子どもだったためによく風邪をひいていました。

・布団にゲロ吐く

・下痢漏らす

・40℃超えの熱を出す

これを2人で交互にやられてみ、死ぬよ、きっと。

そう、同時期にかかるというよりはたいていどちらかが先に風邪を引き、時間差で同じような症状が現れるので倍の看病労力と期間がかかるのです。

今になって思いますよ…おかあさんゲロついた布団夜中に洗ってたなぁ、その布団結局どうしたんだっけ…多分干して普通に使ってたんだろうなぁって。

 

もうこんなん労力というか苦行でしかないでしょう。

我が子と言えどゲロもうんこもしっこも臭いからね、なんでちゃんとトイレでしてくれないのって叫びたくなりません?

あの頃に戻れるならちゃんとトイレでゲロ吐きたい。おかあさんの手を煩わせないようちゃんとトイレに行きたいです。あの夜のことは「なんか起きたらゲロ出ちゃった…」という一切罪悪感のないバカの子どもの気持ちなので自分の幼少期を振り替えると、子どもというのは悪意のない悪魔だなと思います。

 

母とは仲良し親子というには程遠く、恐怖政権の独裁者のように強い存在でした。何度も怒られうざったく思うことも多々ありましたので思春期にはさかもツインのダブル反抗期と母の更年期とでさかも家はひどく荒んでいました。

 

20年近くに及ぶ子育てが一段落して母は母なりに公民館のサークル活動に出かけたり、空いた時間を見つけ何かしらやって楽しみの時間を作っていました。

 

子育ては大変、地獄の中にもイベントの時には張り切って凝った料理を作ったり、嫌がる子どもたちを連れて山登りに出かけたりとかなりバイタリティーのある母だったと思います。

 

自由がない中でいかに息抜きをするか、そういうものだと受け入れるか、持ち前の気力と体力で乗り切っていたのでしょう。

 

さかもツインも成人し、母が55歳を過ぎてからは比較的穏やかなさかも家となりました。それでも父は母の恨みを買い続けいつまでも罵倒されていましたが、父も慣れたもので気にしていませんでした。怒鳴り声から日曜が始まるさかも一族なのです。

 

母と2人で旅行に行くと清々しそうでしたが「ここはいいところだから今度みんなで来よう」とおかあさんがすっかり染み付いていました。

 

自由を奪われてそのうちおかあさんであることが生き方となっていたのです。

でなければ、毎日家事を頑張らなかったと思うし、40代で患った乳癌は抗がん剤と手術で体をボロボロにしてまでも生きようと強く思わなかっただろうと思うのです。

 

独りだったら…好きなもの自由に好きなように食べ行きたいとこに自由に行き、治療をを受けるも受けないも生きるも死ぬも自分のためだけにあるのです。

 

おかあさんだから。

 

おかあさんだから生きようと思った。

おかあさんだからみんなと同じ景色を見る。

おかあさんだからみんなの好きなものを一緒に食べる。

 

 

ねねはそんな思いを抱きながら我々のおかあさんであったのではないかと母に対して思うのです。

残念ながら母は乳癌を再発させ他界してしまったため本意は聞けませんが。

 

我々はおかあさんの自由を沢山奪ってきただろうに。でもそれでも毎日ご飯を作って暖かい帰る場所を作っていてくれて本当にありがとう。

ありがとうでは足りなくて、この恩義をもう返すこともできないことがねねには心残りですが、この「あたしおかあさんだから」の歌詞を読んで、あたしのおかあさんに感謝するべきなのでは、と思うのです。おかあさんの人もおかあさんではない人も。女の人だけでなく男の人も。

 

おかあさんの自由の代償などもはやどこにもないけれど、おかあさんにありがとうや労いを。おかあさんと過ごすささやかな幸せを大切にしてほしいものです。

 

誰もがおかあさんに育てられている訳ではないと思うので育ての親でもあなたの生きるを支えてくれた人でも誰でも。大切な人にありがとうと言えたらいいですね。

 

ネットで炎上して叩くのもひとつですが、火が消えた先の新しい世界もまた燃やしてしまわぬように。

何かを考えるきっかけとして叩く先のことを見つめる考える時代がくることを願って。

 

ちなみに家事育児を手伝わなかった父は本当に本当に憎まれて43年の結婚生活を死別という形で終えたので、子育て中のお父様方は根に持たれないよう「おかあさん」のことを大事にしてほしいものです。