こんばんは、ねね(姉)です。
今日職場に新しく入職された主婦の方と昼休みにちょっとだけプライベートの話をしました。
主婦の方にお子さんの話を聞いたりした流れで「ねねさんは独身ですか?」と聞かれたので「独身ですよ、結婚は諦めました。」と言うと「諦めないで~!」と励まされましたが、結婚を諦めるというネガティブワードが自分の口からポロッと出てしまったのでこれは独り身の化身としてもう少し明るくポップに、楽しくとらえていこう、と思いました。
あと独身の人ががなぜ結婚していないのかってやっぱり気になるでしょうし。(ねねの場合は本当に相手がいない、彼氏すらいないから)
結婚を諦める→私に釣り合う男がいない
うーん、これは高飛車すぎる。良くないですよね。そんなにお前は良い女なのか、否、しがないくすんだ埼玉県民である。
中条あやみ(ねねが今1番好きな美人さん)になったら言っても許されるが残念ながら中条あやみではないのでお口チャックしておきましょう。
あと男のせいにするのも良くないですよね。そういうところがもう結婚できない所以じゃないですか。
結婚を諦める→好きな人は平井堅だから
わかる、わかる、わかるよ、平井堅の良さ。平井堅はいいよ、本当にいいよ、大好きだよ結婚してくれるなら結婚してほしいし、毎日囁くような素敵な歌声で寝かしつけて欲しいですよね。
だけど平井堅は雲の上の人だから。住む次元が違う人を夫にしようと考えるその頭脳は木っ端微塵にして2度と再生できないようにしないといけないほどの独身女の危険思想。独居房に今すぐぶちこんで!
結婚を諦める→仕事が家族だから
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結婚を諦める→結婚よりも大事なことがあるので
なんかベビーなのきそうでやだ。この話の続き興味のなさしかない。めんどくさい。
結婚を諦める→私は独りでいる運命ですから
わかるようでわかんないし独身使命感感じちゃってるとこにスピリチュアルオタクっぽさを感じるからなんかやだなー。そんな運命あんまり聞きたくないし。
結婚を諦める→誰かと一緒にいるの向いてないんですよ
わかる、わかる!孤高のスナフキンが急に所帯を持ち始めたらそれはもうムーミン作品との中のさすらい人して成立しない。
どんな奥さんなんだ、意外と子煩悩かもしれないという2点は気になるがそれ以外は目を背けたい。あのスナフキンがギターを下ろして赤子を背負ってるの、誰が見たいのか。
自由とは孤独でもあるのだが、誰かと一緒にいられない、ということは社会生活においてこの人大丈夫なのか?と心配されかねない案件です。
自分の社会人としてのコミュニケーション能力を理解して頂いてからやっと言える一言でしょう。
結婚を諦める→彼氏か○人いて選べない
○に巨大数を入れると嘘っぽさが増すのでおせっかいおばちゃんとかには言ってもいいジョークなのでは。「またまたぁ!」と嬉しそうにワイドショーを見るようにニヤニヤするおばちゃんの顔が目に浮かびます。
○に3とか、微妙にありえなくもないリアルな数字を入れると相手方を困惑させてしまうでしょう。いい歳なのであまり人を困惑させないようにするべきだと思います。
結婚を諦めました→出会いがなくて彼氏すらいません
まぁそうなんだけど、それが本当なんだけどネガティブだよ暗いよ世も末だよ現代日本感がでてしまうので切なくなってしまいます。もう少しポップにいこうか。
結婚を諦めました→独身を諦めてないのです
諦めない努力を称える日本のスポ根様式美ですよね。ちょっと何言ってるかわからないですけど、これが1番しっくりきました。若干バカっぽく聞こえる点も好きです。
独身を諦めない→自分自身の力を高める、信じる、やりきる。
要は1人で頑張る!という決意の現れですね。
人に頼らない強さを感じさせる反面マイペースというか自己中心的なんだろうなとも思われそうですが。
正直なところねねの身内への当たり方がめちゃめちゃきついので、夫となる人といえど他人にこんなにきつい当たりをしてしまってはならないというせめてもの配慮があるのだ。ねねは誰かと一緒になるべきではない。
これは結婚を諦めようと思った決定打だ。
片付けばやや苦手だが掃除はこまめにするし、料理もたまにめちゃめちゃになるが程よく上手い、ガーデニングもできるし、買い物も目を利かせよくやる。家事というスキルについては申し分ないと思われるのだが自分のペースを崩されるのがとても苦手でそういうことがあるとその人を排除するまでもしくは許せるまで攻撃するような嫌な一面があるので良くない、こんなのは人と一緒にいるべきでないのだ。
独身を貫いて自分のペースを守る生き方の方がきっと向いているのです。
(ブログタイトル、ここから先は私のペースで失礼いたしますはそんなさかもツインの性格を表してつけたものである)
独身を諦めないで、色んなところをほっつき歩き見つけた景色を独り占めしたいものです。たまには誰かと共有したくもなりますが。
独身の友人に「独身同志だね」と言われたとき独身であることを許された気がして救われたのもこの思想に大きな影響を与えています。
独身でいるということは今後身寄りのない独居老人になることが予測されるので寝たきりになったり収入がなくなったときはできれば安楽死を選びたいのですが日本ではまだ認められていないのでどうにかねねが死ぬ頃には安楽死という選択肢がある世の中になってほしいですね。自由である対価は生産性がなくなったら死というものだとねね自身に対してはそう思っているので。
安楽死を薦めるわけでも働けないなら死ねと言っているわけではないことを理解してほしいです。
他の人の自由の対価は知りません。それをねねがどうこう言う立場ではないのて。言えることはどうか満足いくように長生きしてください。そしてその人生ができれば幸せであってほしいということですね。
ねねも独身を諦めない幸せをこれからもたくさん見つけていきたいです。では。