そんなものがあったとしても時間を止める魔法はいらない。
永遠というものは幸か不幸かわからない。桜の花が散るように夕陽が沈むように消えて無くなる儚さを美しいと言うならば、永遠という存在が少し厚かましくも感じる。
全ての瞬間は消えるから留めておこうとカメラを持つ。オリンパスのミラーレス一眼。誕生日に買った。写真の技術があるわけでないからそこそこいいカメラにした。足りない技術をカメラの機能で補う。
あの日の空の色、出掛けた場所、食べたもの、私、あなた。
私はあなたを撮るのが好きだ。あなたを1番上手に撮る存在でありたい。
カメラを通して自然な顔をしているあなたを1番上手に撮れたなと思って見返す。
私のオリンパスペンを向けられて撮られたことのあるあなた。
撮った写真をプリントアウトした。
見ているだけで幸せな気持ちになる。
膨大な量の写真だった。2014年から2017年までの祖父母の家に遊びに行ったときの写真だ。
見やすいようにアルバムを作る。
何気ない日常の餅つきというちょっとワクワクする時間を止める魔法をかける。
93歳の祖父母がついた餅の形を整える。
下ばかり向いてしまい表情は映っていない。腰の曲がった祖母は「腰が曲がってみっともない」と言うけども、私にはそれがみっともなくは見えないしたくさん働いてきた素晴らしい人の背中だと思っている。
3年分の写真をまとめて祖父母の家に持っていった。手紙を添えて。
祖母は自転車で転んで腰を痛めたらしく寝ていた。声をかけると起きて少ししゃべった。元気なようだがいつも動いている姿が横になって休んでいると身体弱ってきたのかなと不安になる。93歳、いつ何があってもおかしくない。いつまでこうして会えるだろうかた思うと悲しくなって涙が滲む。
33年間祖父母にはお世話になっているがどれだけありがとうと言えたか。どれだけ感謝が伝わっているだろうか。祖父母のところまで車で2時間かかる距離。年に数回しか会いに行かないけどいつだってあなたたちが長生きしてくれていることが嬉しくて誇りに思っていてできればいつまでも元気でいてほしいと思っていることを知っていてほしいのだ。
そんな想いを詰め込んだアルバムを渡した。
祖父は写真を見たとき驚いたような笑顔になった。その顔を見たとき時間を止める魔法はかけられたと思った。最近耳が遠くなり会話がスムーズではない。写真をゆっくり眺めていた。
祖母は寝ていたが我々が帰ったあと起きて手紙を何度も読み返していたらしい。祖母にもしっかり魔法をかけられたようだ。
例えば私が結婚したり子どもを産んだりすれば祖父母はとても喜ぶだろう。だけど結婚していなくても今幸せに思えることは多少なりとも持っているのでそれは知っていてほしい。昭和から多様性の時代となり結婚だけが全てではないから。アルバムの中の私ももちろん自然な笑顔だったので表情で幸せなことが伝わればいいと思う。
結婚式などで感謝の気持ちを表だって伝える機会もなくここまできてしまったから1度しっかり形にした。
目に見える分かりやすい幸せというものがない私がありがとうという言葉に代えて時間を止める魔法を使った。
永遠などなくていいけど、あなたと過ごすなんの変哲もない永遠に続いてほしい日常こそ私にとっては大切な宝物なのです。