ゴールデンウィークが終わり月曜日の憂鬱に包まれる世の中を電車の車窓から見る。いつも通りの平日が戻ってきたと思った。そして今日はケーキを買って帰ろうと決めた。今日は遠い昔に好きだった人の誕生日なのだ。
初めて一緒に過ごした誕生日は何年前だったろう。私はとても意気込んで誕生日プレゼントに腕時計を、ディナーの場所は彼の寮から近い駅の彼の好きな洋食のある、少しだけ洒落たレストランを予約した。
仕事が終わり急いで電車に乗る。腕時計の紙袋には手紙をそっと入れた。後で気付いて読んでもらえるように。
どうやって待ち合わせしてどうやって店へ行ったかは覚えていない。
コース料理を頼み、おいしいものが次から次へ出てきた気がする。
なんて言葉をかけて誕生日プレゼントを渡したっけ。彼はとても驚いてとても喜んでいたと思う。
帰り道は食べ過ぎて苦しいね、と言いながら帰路についた。ありがとうと何度も言い彼は乗り換えの駅で電車を降りた。私はその2駅先でお腹が痛くなり電車を降りてトイレに駆け込んだ。そのことを彼は知らない。言ってないので一生知らないだろう。知らなくていい。彼の前でお腹を壊す醜態など見せたくない乙女心がある。
あの日私は彼が残した分のビーフシチューとパンを食べたし、なんなら仕事が終わってレストランに行く前に腹ごしらえとしてランチパックを食べたので私のお腹は完全にキャパオーバーとなったのだ。
そんな思い出がある5月7日。
腹痛も収まり、帰ってから届いたメールは何度も読み返し素晴らしい誕生日祝ができて良かったと思った日である。
その後も2人で色んな場所へ行き色んなものを食べたが、何をどこで食べたかほんの少ししか思い出せない。
コートレットのオムライス、伏見夢百衆の清酒アイスクリーム、冨美屋のうどん、六曜社のコーヒーとドーナッツ、出町柳の名代豆もち。
次の年の彼の誕生日は家の近くでケーキを買い、持ち運ぶのに失敗してぐちゃぐちゃのケーキを笑いながら食べた。ショートケーキのイチゴが抹茶のケーキに乗っかっておかしくて笑った。
夢のように楽しかった日々と食べ物の記憶はずいぶん篩にかけられなくなってしまった。それでも残しておいた少しの記憶は大切にとっておこうと思う。
今日は私のために1つだけケーキを買う。小さな小さなケーキを。
いつだってケーキを買うことができる大人になったけどケーキは特別な食べ物であるので特別な時にしか買わない。ショーケースに並んだケーキをあのときのように目尻を下げて選ぶ。
イチゴのケーキにした。
今日は話す相手もおらずひとりでそっと大切にケーキを持ち帰る。
崩すことなく無事持ち帰れた。久しぶりに食べるケーキは甘くてとてもおいしかった。
その彼とは結局別れてしまい、もう会うことも連絡をとることもない。今彼がどうしているかは知らないが、真面目で努力家でちょっとだけずるい人なのできっと会社でもうまくやっていると思う。もしかしたら結婚して子どももいるかもしれない。できればたくさんの幸せを持っていてほしい。日々の暮らしに満たされ私のことなどすっかり忘れていたらいいと思う。また会いたいとかよりを戻したいとか思わないけど私は時々彼を思い出す。ちょっと困った顔を思い出すことが多い。篩にかけられ残された幸せな記憶は少しだけ私を笑わす。
世間の言うような幸せは手にしていないが、私なりに幸せなことは少しは持っていて誰にも依存しない類いの幸せも持っている。それはとても誇らしいことだと思っている。
彼がいなくても生きていけるところまで来たんだなと立ち止まってみる。あのときからずいぶん遠いところまで生きてきたなと思う。
小さなケーキも小さな幸せもフォークで救って口に運んだらすぐになくなった。何にしたってそんなもんだ。
5月7日。これから憂鬱な平日を乗り切るためケーキを食べようと思ったことを彼の誕生日に重ねたら思いの外たくさんの気持ちと思い出が溢れてきた。涙は一滴もこぼれなかったので幸せな記憶は幸せなままとっておけるのだなとふと思った。