10月だというのにまだ暑い。夏はいつまでも居座り秋はどこかへ隠れてしまった。それでも日が沈めば少しだけ涼しくなる。明らかに日が沈むのが早くなり急ぎ足で帰路につく。
米を5kg買った。独り暮らしの女に5kgの米は多いのではと思いきや、あっという間に食べてしまう。お米があれば何でもいい。帰宅早々米を炊き始める。
先月は自炊をするのもしんどいくらい暑さにバテていたがこれくらいの気候なら自炊を再開しても問題ない。なんとなくカレーが食べたくなった。魚の擂り身が安かったのでそれも買ってきた。お吸い物によさそうだ。カレーとお吸い物が合うかはわからないけどカレーのあとで作ろう。
玉ねぎを切り炒める。狭いキッチンはあっという間に玉ねぎの匂いでいっぱいになる。夕食時の匂いだ。バターをたっぷり入れてゆっくり炒める。食事が出来上がるのを待つ人はいない。カンロ飴のあの色になるまで気長に炒める。
他の野菜も炒め肉も炒め水を加えた頃にごはんが炊き上がる。煮込んでルーを入れて出来上がり。炊きたてのご飯はつやつや輝き美しかった。
ソファーに座ってカレーを食べる。ここに座るとテーブルに置いた鏡と目が合う。ふと自分の顔を見ると右の鼻から鼻くそが出ていた。まぁ良くあることだが、いつからでていたのだろうか。終業しマスクを外したときには気にならなかったからそのあとだろう。電車に乗ったとき?米を買ったとき?これは迷宮入りの事件だ。時計の針を巻き戻す方法がない以上この鼻くそがいつからここに居座っていたかわからない。となると自分に都合のいいように解釈するしかない。
この鼻くそはさっき出たやつ。
鼻くそ出てるのが恥ずかしくって生きていられっかよ、と開き直る。もしこれが愛する男と暮らす家だったらどうなっていただろうか…。
鼻くそを出しながら5kgの米を担いで帰って来て踊るようにカレーを作る。愛する男に今日あったことや安いから買ってみた普段は買わない魚の擂り身の話をする。
ふたりでソファーに座ってカレーを食べる。ふと私は鏡を見る。そして見つけてしまったのだ、いつからこんにちはしているかわからない鼻くそを。
背筋が凍りスプーンを持つ手が止まった。カレーどころの話ではない。愛する男はこの鼻くその存在にきっと気づいている。でも言わない、そう、この男はそういうことを言わない男だ。しかし私は気づいてしまった。愛する男に鼻くそを見られてしまったと意識したときにどうするか。
「今夜鼻くそのワルツを踊らないか?」
カレーの皿を置き愛する男に訊ねる。きょとんとする必要はない。本能のままに踊ればいい。ワルツは苦手だよ。3拍子にうまくのれないんだ。大人になってから始めたクラシックバレエでピルエットもジャンプもできない、ワルツステップだけやたらと叩き込まれたけどリズムにのれなくて苦労したワルツ。変な緑の衣装をあてがわれて嫌すぎて辞めたバレエ。あれからワルツは踊っていない。だけど今夜はワルツを踊りたい。愛する男に「ごめん。鼻くそ出てたね。」と謝罪しながらステップを踏もう。カレーは一旦おいといて、鼻くそが出ている私を許してそして愛してと囁くのだ。
鼻くそが出てても出てなくても私は私。全て愛してとは言わないけど多少の隙は受け入れてほしい。受け入れたら踊ろうよ、鼻くそのワルツを。
ワルツを踊ろうとして3拍子を刻んでみたら、私には愛する男などいなかったと気づく。鼻くそが出ていることに気づくくらいの分かりやすさだ。
そして今夜もひとり、踊れない鼻くそのワルツを激しくときに優しく踊るのだ。