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生理バッジについて思ったことーそれでも時代は前に進むー

生理バッジというものが今よくも悪くも話題になっている。 


「生理バッジへの批判は覚悟していた」 それでも大丸梅田店が店員の生理をオープンにした理由 | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)

基本的にねねは世間のニュースやトピックを話題にブログを書かないようにしている。他の人が散々話題に触れもうニュース見たくないよね、うんうん、わかる。おばちゃんお腹いたくてトイレに駆け込んだ話とか、おいしいもの食べた話とか、レトロなラブホにひとりで行ってきた話とかでお目直しして~、楽しいこと考えよ~!というブログでありたい。満員電車に乗り込み社会に出て頑張るあなたに、ねねに、現実はもう十分押し付けられている。恋したいおいしいもの限りなく食べいたい楽しいことしたい、そんな夢を見る平凡な婦人でありたいのだ。

 

ただ、この生理バッジと炎上については思うところがあるので述べさせていただく。楽しいことしたいだけの婦人のブログを読みたい人はここで離脱して大丈夫!またあなたを満足させられるだけのものを書くね!今日だけちょっとごめん!

 

この生理バッジというのは大丸梅田店の生理用品、女性向け商品を扱うフロアで生理中のスタッフが任意で生理バッチをつける取り組み。生理をオープンにすることで生理に対する理解を深めたいというものらしい。

賛否両論ありTwitterで見ていると否定意見の方が多いように思われる。

賛成意見として、生理中のスタッフへの気遣いがしやすくなる、生理について話しやすい、相談しやすい雰囲気を作れる、というのがあるようだ。

否定意見の主なものはプライバシーの侵害。

他人の生理も知りたくないし他人に知らせたくないというのが一般論なのではないか。

長期的に見れば順調に生理が来ない人もいてそこでの配慮に欠けた発言も予測される。婦人科疾患を持っている人だっているだろう。生理が来ないのは本人にとっては大問題である。他者に介入されたくないこともある。(オープンに私生理不順なんで!と言える人はいいけどもっと繊細で配慮が必要な問題だ)

 

新しい試みには否定的な意見の方が多いだろう。ねねはこの生理バッジにはどちらかというと否定的な意見を持っている。

そもそも生理が辛くて大変な日は出勤したくない。痛み止を飲んでもずんずんじんじん痛い腹。だるい、眠い、むくんで体が重い、イライラする。こんな日は暖かいお茶を飲んで寝るに限る。どちらかと言えば生理が重い方なのでバッジをつけるなら休みがほしいと思う。

では生理が軽い人はどうするのか?バッジをつけながらテキパキ働いていたら生理でも働けるじゃん。ねねさんは休んでさ、怠けてるよね?ということにならないか?なりますよね。

生理が来ない人は毎月重い生理で生理休暇をとるとしたら月1日、年だと12日の生理休暇がある。生理の来ない人は不平だと思うだろう。年に12日の差があると数字ばかり見てしまう。だけどその1日1日、本人は冷や汗をかきながら痛い痛いと泣いているかもしれない。

生理の重さで休んだ分負担は必ず誰かにかかる。生理が平等でない限りこの負担は必ず不公平になるのだ。

逆にこの生理の辛さ、痛みは代わってあげられない。休みたいならこの痛みを背負ってねと無理強いもできない。

生理の軽い人には重い人のことはわからないし、重い人のことは軽い人にはわからない。軽ければそれはいいよねとも思うが本人にしかわからない悩みもあるのだから簡単なものではない。

更年期や閉経期にもさまざまなトラブルがある(職場で更年期のおばちゃんが血圧が爆上がりし吐きながらも休まず仕事をしているのをみて更年期キツすぎると震えた)。辛いのは生理の人だけではない。女性のホルモンというのはそれほどに複雑で体に大きな影響を及ぼす。生理に限定するのはだいたい40歳以降(更年期~閉経期)の女性をターゲットにしていないフロアだからだろうか。

今は生理の人も更年期はいずれ通る道である。更年期の人への配慮もしてほしいところ。世界は生理のある女性のためだけにあるのではないから。

 

生理をオープンにするなら職場スタッフ内だけでいい気もする。「ごめんね、今日トイレ多いかも」「今日体辛くて座り作業多めにしていい?」とかそれでよくないか。

実際生理のときに働いて「薬のんできます」「ちょっと休みます」と言うことはある。職場での生理日のコミュニケーションが良好にとれてから生理バッジを外に出しても良かった気がする。

ここでいうコミュニケーションとは 

・体が辛くてどうしたいかきちんと正しく伝えられる

・辛そうなスタッフに「大丈夫?」と声をかけられる

・お互いが声を掛け合えるような雰囲気をつくる

ことだと思う。これを徹底していればバッジなんていらないだろう。

 

私たちのフロアは生理の辛い日こういう対応をしていますという職場スタッフの声が聞きたい。いつ生理が来ているかよりそちらの方が大切。男性スタッフもいるならばどう気遣っているか、男性スタッフのこういう対応がうれしかった、など具体例があってもいい。

 

ねね個人の話だが、病院で働いている以上生理だからといって仕事が免除されることはない。業務はいつも平等に重い。目の前に自分より具合悪い人が寝ている現実に「今日生理なんで調子悪いっす」とは言えない。現場というのはそういうものだ。休める人は休んでというなら人員補充してくれないと…。休むにも休めない状況で働いている人のほうが圧倒的に多いと思う。仕事場に限らず育児や家事をされている家庭という現場の女性たちも。

今は現実と理想論が大きくかけ離れているのでそれを埋める途中なのだ。色んな意見と向き合っていく必要がある。

 

個人的には生理を同性に知らせるのもちょっと抵抗がある。言わなくていいことは言いたくない。わざわざ言わない。異性ならなおさら。

初潮がきたら家庭で赤飯を炊くという文化が我々の世代(30代)にはまだあった。今でもそうなのだろうか?

なんでもない日に赤飯が出て来て父親が「お?」となるシーンがドラマなどではあった。あれは今思い返しても心底気持ちが悪い。

生理が来たことを赤飯で伝えるというのも異性の親が第2次性徴を知るのも気持ちが悪かった。

性の問題はまず自分だけのものにしておきたいときに他者から好奇の視線を向けられることはとてつもなく苦痛だ。幸いねねのときは赤飯を炊かれなかったかわりとよく赤飯が出る家だったから気にしないですんで良かった。

私が母親だったら娘の初潮のときは赤飯を炊いて家族で食べることはしたくない。2人きりで娘の食べたいものを食べに行ったりして大人の仲間入りを祝ってあげたい。性徴においてプライバシーを守れる信頼のおける大人がいるという安心感が何よりも必要だと思うのだ。

 

今回生理ちゃんという漫画を描いている作者の小山健氏がけっこう叩かれている。生理バッジのフィクションなのに叩かれている。過去に描いた作品を引っ張り出されて今回の作品の見所も関係なく叩かれているのはさすがにやりすぎな気もした。


【漫画】ツキイチ!生理ちゃん 19 | オモコロ


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歩み寄ろうとするのは男性だけでなく女性もでないといつまでたっても目指すところにたどり着けない。生理ちゃんを読んでいて全部が全部感動したという感想ではない。これフィクションだし作家男だしどうせわからないよねという感想が出てくることもある。それは性差別だと気付く。女だからわからない、男だからわからない、それはあって当然なのだ。だからこそ話すきっかけ理解する努力は常に行わなければならない。我々女性性のほうが体の負担が大きいのだからわかってよ💢みたいな態度はより対立を深めるだけだ。

 

フェミニストという人たちがいる。Twitter上では攻撃的なツイートをしていることもある。言いたいことはわかる。だけど正義という名のもとに声を荒げ誰かを攻撃したらそれは全員にとっての正義でなくなるのだ。自分の信じる正義が本当に正義かきちんと考えて行動しなければいけない。正義は常に疑え。

 

そのフェミニストたちのことを知るわけでないので悪く言うのはいけない。もしかしたら男性に性的ないたずらをされたり何かしらトラウマのある人たちなのかもしれない。なにかを悪くいう前になぜこの人たちはこういうことを言い正義を語るのか。それを知ることはできなくても何かを攻撃する、悪く言う前に考えなくてはいけないことというのは必ずある。生理バッジやばい、生理ちゃんやばい、それを炎上させる人たちはなにが気に入らなくてなぜ攻撃するのか。また攻撃する前になぜそれが気に入らないのか、気に入らないからといってこの攻撃は妥当か適正か、自分達も加害者になっていないか確認してほしい。

 

それでも時代は進んでいく。

70歳のおばちゃんに若かった頃の生理のときの嫌だったことを聞いた。

「あのころはナプキンなんてなくて、ゴムパンツに脱脂綿を敷いてたのよ。休み時間にポケットに脱脂綿をパンパンにしてトイレに行こうとすると男子がふざけてポケットの脱脂綿をとるのよね。今じゃ考えられないでしょ。脱脂綿も蒸れてかぶれて夏は大変だったわよ。今はいいわよね~、良くなったわよ。」ねねは黙って聞いた。本当に良くなりましたね、いい時代です、と答えた。

生理の大変さは変わらないけど生理用品は変わった。生理をからかう風潮はなくなった。確実に時代は進んでいる。きっとこの生理バッジもよりよい議論が交わされ生理と無理なく付き合えるよう変化していくだろう。今は大いに議論しよりよい道を探す時期。長い目で変化を見つめて見届けていけたらいい。