今年はパーマをかけようと思った。
10年くらい前にパーマをかけたが当時はロングヘアーを束ねるスタイルで過ごすことが多くかけたパーマはすぐ落ちてしまった。パーマがかかりにくい髪質のようで、痛むだけだしかけることもないかとヘアスタイルの選択肢に入れてこなかった。
だけどなんとなくパーマをかけたくなった。ふんわりとしたヘアスタイル。今のぺしゃっとしたショートヘアはなんとも老けてみえる。それを脱するにはパーマしかない。パーマをかけると決めて1週間、お馴染みホットペッパービューティーでポチッと予約した。パーマへの道は案外あっさりと進める。
馴染みの駅前から歩いて数分。スマホの地図を見ながら歩く。あまり来ないエリアはずいぶん寂れて地方都市感がある。地図が示す場所には黒いマスクをした大きな男が看板を出していた。開店準備をしているようだ。ただ美容室には見えない。どう見てもタトゥーサロンか怪しげな民族雑貨を置く店のようだ。予約の時間まで15分ほどある。地図が間違っているかもしれない。ここはスルーして他にそれらしき店はないか探す。地図を見直してもやはりあの大男がいる店で間違いないようだ。
これはまずいことになったぞ…
不安に襲われる。怖い。初めて行く美容室というだけでも緊張するのだが、黒いマスクの大男がいるタトゥーサロンのような美容室だ。私のマスクは白い。黒いマスクをして行った方がよかったか。縁側で猫の世話だけをして生きる老婆のメンタルでは入れない…。心を少し若返らせどこへでも行ける私になろう…。そう、この気持ちが私の人生で1番大切。曲がり角の物陰で時間を潰し、定刻に美容室へ向かう。
赤い椅子のある薄暗い美容室。全体的に赤い。大男に案内されるがままソファーに腰掛け少し待つ。
本棚には『きょうの猫村さん』『ネコノヒー』のほのぼのゾーンと、『つげ義春』『カネコアツシ』の多分大男の趣味全開ゾーン。見知った漫画が心をほぐす。知らない土地のセブンイレブンやイオンのように旅人を安心させるのは知っている日常のみ。
『つげ義春』を置いている時点でこの大男の店主を完全に信頼することにした。もうどうにでもなれという気持ちも少しはある。
カット台に通されオーダーを言う。
「髪の毛がぺしゃっとしてしまうのでふんわりとさせたい。髪の毛は伸ばしていくつもり。」の2点だけを伝える。
右背後から髪の毛を触り難しい表情をしている大男。この間が怖い。任せるつもりではあるが大男の存在感と黒いマスク、腕にはとかげのタトゥー。性質の掴めない謎の大男と沈黙の時間を共にすると脇から嫌な汗が出ることがわかった。
「シャンプーなに使ってます?」
突然聞かれる。
シャンプーに興味がなくとりあえず良さそうなものをドラッグストアで買っている。メーカーもよくわからないため「白くて四角いボトルの…名前がわからないけどKがついてた気がします。」と言うと「あとで調べてみるね」と返される。
どうやら先ほど髪質を丁寧にチェックしていたらしく、「このゴワゴワは酸性のダメージ。多分シャンプーが合ってないかも。使ってるシャンプーの成分がわかればいいんだけど。僕はシャンプー開発もやってたことあるからあとでシャンプーあげる。もし市販の使うならクラシエのいち髪(ピンクかイエローのボトル)か、ヒマワリがいいよ。」とつらつら喋り始める。私は思った。
こいつ、髪質とシャンプー成分オタクだ!
と。
※オタクという言葉はプロフェッショナルという意味に近い。ここでは響きがいいからという理由でオタクと呼ばせてもらう。好きや興味をとことん追求した人への敬意を込めている。
自作のシャンプーを売り付けるでもなく髪質改善のために今どういう状況か、何がダメージを与えているか、どうしたらいいかをきちんと提示してくれたので絶対的にこの大男を信頼することにした。ここまでで30分経過。界面活性剤の話はもうわかった。そろそろ髪の毛をどうこうしてくれないか…?
ざっと輪郭、骨格、髪質を見て、サイドにボリュームを持たせ襟足を軽くしましょうという話になった。「はじめましてなのでどうしましょうか…」と遠慮しつつも完全に大男のペースでほぼお任せになった。
1度髪を流す。シャンプー台には梵字のタトゥーのアシスタントさんが案内してくれた。さっき亀に餌をやっていたのできっとこの人もいい人だ。信頼しよう。シャンプーの指圧が絶妙で気持ちよかった。男の人の指かと思うくらいどっしりとした指圧だった。この美容室はどうかしている。テクニックがありすぎる。
そうしてやっとカットへ。
下を向いて、と指示されずっと下を向く。雑誌を見るわけにもいかないので黙って目を閉じた。襟足を軽くしているようだ。鏡を見るでもなくただ下を向く。どうなるかはわからない。
カットが終わるとパーマのロッド巻き。
大男がアシスタントさんに黄色、黄緑、あれやこれを指示する。オペ室のような緊張感が漂う。目を閉じて時が過ぎるのを待つ。たまに目を開けて壁の装飾を見つめる。ギターやCDが飾られている。この大男、ギターを弾くのだろうか。ならば聴いてみたいがそんなふざけたことを言える雰囲気でもないのでこの謎の空間にぽつんと放り込まれた感覚を楽しむ。
パーマ液をつけて待つ。
待っている間つげ義春の漫画が読みたいと言おうかと思ったが雑誌が4冊用意されていたのでとりあえずそれをパラパラめくる。小顔マッサージのページをよく見ながら待つ。2時間が経過していた。
スチームをかけたり水をかけたり熱を当てたり大変そうだ。
途中シャンプーの特定ができたとのことで成分を一つずつ説明される。要約すると髪にプラスになる成分はほとんど入っていないとのこと。「悲しみですね」と苦笑いするしかなかった。
パーマが仕上がりロッドを外す。さすがにトイレに行きたくなりトイレをかりた。やはり赤い空間で便座カバーがふかふかだった。丁寧な暮らしだなぁと思う。ここのトイレ好きだな、と思った。
シャンプー台に通されまた髪を洗う。大男が作ったシャンプーは優しい香りがした。添加物っぽくない香り。
再びカット台にもどりドライヤーをかけていく。ざっと乾かしくせ毛っぽく仕上げた方が黒髪パーマのわざとらしさがなくていいと言う。シャンプーがいいようでパーマをかけたあとなのに滑らかな髪の毛になっていた。
ドライヤーのあとヘアオイルをつけて仕上がる。別人のようにふんわりとした髪の毛。なにもしなくても決まっている。ありがたい。おしゃれでかわいい。この大男に任せてよかった。
帰り際シャンプーをもらい使い方の説明を受ける。アシスタントさんが笑顔で見送ってくれる。大男も頼もしげに誇らしげに見送ってくれた。私は気分よく帰る。全ての行程が終わるまで3時間を所要した。パーマでこんなに時間かかるのかなと思ったが、無駄話世間話一切なしのオタク気質。私はそういうのが好きである。妥協しない、適当にしない、そんな強さがあった。惚れ惚れするほどのクセの強い美容室だった。このスタイルがキープできなくなったらまた行ってみよう。そして次こそはつげ義春の漫画を読ませてもらおう。