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さかもツインの健康で文化的なようでそうでもない生活をお送りいたします

恋愛相談をしてきた話

ねねさんは平凡じゃぁ、ないよね。

いつもお世話になっているマッサージの先生(以下先生という)に言われて少し悩んで「そうかもしれません。はい。」と答えた。

とても腕のいい先生で少し不思議な力のある人にそう見透かされて言われてしまい私はびっくりしてしまった。

この話になった流れとしては恋愛・結婚の話になったからだ。いいご縁に恵まれず流れ流れて35歳。この先どうなっちゃうの~、結婚した~い、という意図を汲んでくれたのか結婚についての話となったのである。

 

平凡じゃない、についてどのような点がどう平凡でないかは私とその先生がわかっていればいいことなのでここでは割愛する。

平凡な婦人の顔つき(丸顔、一重に近い奥二重)に見合わない強烈な自我を持ち合わせており、「我が強すぎて他者に有無を言わせない」「清楚ぶった変態」と言われることもあった。(言われて多少のショックは受ける)

多分そこらへんも含め平凡じゃないのだろう。いい意味でも悪い意味でもない、言葉の通り。その自我を受け止められる器を持つ男を選びなさい、という話から始まった。

 確かになぁと思いながら聞く。初めはおしとやかにデートをしてもそのうち我が出て来て引かれることがある。男性に「この子思ってたのと違う」と思わせてしまえば完全にこちらの敗けである。「君とは合わないみたいだ。」といなくなるのが相場だ。

 

 器の大きさだけではない。私の場合「好き好き」と好意全開にされてしまうとちょっと引いてしまうのだ。「この人は私のどこが好きなのだろう?本質?うわべ?」とか下らないことを考える。疑ってかかるから純粋な好意をうまく受け取ろうとしない性質がある。恋愛下手なのだ。

 

恋愛に対してかけひきとかワクワクするようなこととかを求めがちでいつも優しく尽くしてくれる人よりも、たまに会ってリップクリームをそっと塗ってくれるような洒落た男のほうを好きになる20代だった。

30代になりますます何を考えているかわからない男を好きになった。

それを先生に言わせると「好意をアピールして近づいてくる人はもしかしたらあなたのエネルギーを奪う人かもしれない。愛情が満たされないからあなたが発する溢れる愛情を求めてくる。なぜあなたに近づいてくるのか?本質を見極めないとダメ。本当にあなたの愛情をもらわなくても平気であなたのことを好きならば好き好きアピールしてやってこない。あなたがアプローチしてくるのを待てる。」とのことだった。

 

納得です。

 

逆を言うと私は好きな人に「好き好きアピール」が強すぎたように思う。20代の頃はとくに。今はもうひとりでもどこでも行けるし私プラスαという愛情を注げる余裕ができたから彼氏がほしいと言える。20代の頃はなかなかひとりでできることはあっても彼氏に依存したり、自分のなかで支えなければならないものがたくさんあり重荷でひとりで立っているのすら大変な時期があった。それを彼氏に支えてもらいたかったという弱さがありそういうのを含めてうまくいかなかったのだと思った。

 

 少し穏やかな気持ちで、どんな生活をしたいか。

話をしていて明確になったのは、高級な鞄もアクセサリーもいらない、こじゃれたレストランも連れていってくれなくていい、好きなものを好きなように着て食べ出かける生活がしたい。

春になればセリ摘みにいって帰ってから天ぷらにしておいしいねと食べる。

夏は暑いからあまり出掛けられないけど(夏がめちゃくちゃ苦手)夜ベランダに出て作ったコーヒーゼリーを扇風機に当たりながら食べる。

秋はやっと動けるねと温泉にでも行き紅葉を見て世界が色を換える瞬間を目に焼き付ける。

冬の寒い海辺を歩き芯から冷えたねと喫茶店でおしるこを食べる。

そんな生活がしたい。カメラを手に持ちたまに写真を撮りながら流れていく1年がいとおしく思える人と過ごしたい。そういうことだった。

 

今までの恋愛の価値観とはやや違うものの気がする。好きな人に大切にされてたまに花を買ってきてもらってちやほやされたいというのは身の丈に合ってないし愛情を求めてしまう心乞食だ。

花がほしけりゃ自分で買えばいい。独り身が長くなってきたからそこらへんはよく自覚できているだろう、男になにかをしてもらえるなんて思うなおこがましい、と。

 

愛情を注いだ分私にも注いでねと器を出さない。

愛情がほしいほしいと言うわりに愛情を注ぐ器を持っていない人に愛情を注がない。そういうところを気を付けようと思う。

 

愛情を注いでも注ぐ器がない人というのもいる。もしくはいくら注いでも器がいっぱいにならない人がいる。愛情を注がれた経験の少ない人だ。

これについてはわかる人はわかるだろうし、こう言ってもピンとこない人もいるだろう。

自己肯定感の低い人と言ったら伝わるだろうか。これは他者からの肯定を受けてきたかどうかが大きく影響するものなので今日明日で自己肯定感が作られるものではない。

いくら「愛してる」「あなたは素敵だ」と言ってもその言葉を受け入れてくれない人も中にはいる。心を満たそうとしてもうまく満たしてあげられない。少しずつ変わっていくかもしれない。そういう人を好きになるには人生はあまりにも短い。

注げる愛と時間には限りがある。いつまでも振り向いて受け止めてくれないなら見切りをつける必要があるし、自己肯定感をきちんと持っている人に愛を注ぐ方が手っ取い。これは婚カツしている方に申し上げておきたい重要なポイントです。

今までの恋愛のダメな癖がよくわかったし、男を見る目がないという強烈な指摘も受けたので明日から頑張りたいと思います。(なにを?)

「うまくいかないことは「縁がなかった」と割りきること。縁があればまた何年か後に会えるから。不思議なもんでそういうもんなんです。」と先生は言っていたので今までの恋愛は全部縁がなかったということにします。振り返ってみてとても穏やかな気持ちになれたし「あいつにフラれた、むかつく」とかそういう憎しみも自分の人生の成長のためのものだったと考えられるようになったから人としての格が上がったかもしれません。こういう自己肯定感の過剰さを受けられる器の殿方募集しております。よろしくお願いいたします。以上。