ここから先は私のペースで失礼いたします

さかもツインの健康で文化的なようでそうでもない生活をお送りいたします

2020年5月のこと

緊急事態宣言が解除され街に人がちらほら戻り始めている。6月1日から色んなことが通常営業となるようだ。やっとデパートに行けると思うとうれしい。とはいえまだまだ油断はできないしいつ自分が感染するかという不安はある。コロナ慣れなどというが今一度気を引き締めていかなければならない。

 

5月いっぱいもそれなりに仕事に行っていた。電車がスカスカでとても快適だった。

面会制限をしている病棟は少し寂しげで、ただこの面会制限が始まってから患者さんの死亡率がガクンと落ちている。大きな声では言えないがお見舞いの人が持ってくる風邪なりウィルスなりというのは免疫力の低下した入院患者さんにとってかなりリスクのあることだったのかもしれない。

 

休みの日は実家の家庭菜園で土いじりをしていた。道の駅で米ぬかが安かったので買ってきて土に混ぜた。いい土壌、いい作物、夢は膨らむばかり。

常々しゃがんでいるので足が痛い。右の股関節の筋肉が異常発達して固くなっていると整体の先生に言われた。背中に鬼がいる刃牙の父親みたいに右の股関節に鬼のいる女と呼ばれたらどうしよう。ちょっと恥ずかしい。しゃがんで仕事をするのは控えようと思った。

 

道の駅のおやつが好き。
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実家でみんなで食べる。バラエティー豊かにして選ぶ楽しみを。私は最後に残ったぼた餅を食べた。おいしかった。こういうのが好きになってきた35歳。

 

IKEAアフタヌーンティーセット。
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3回使って

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派手に割れた。

うちの一族は注意欠陥一族なので気を付けなければならない。

 

自粛期間中スーパーに行くとお菓子の詰め合わせがよく売っていてステラおばさんのクッキーの詰め合わせを買った。
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たくさん入って1,000円なのでうれしくなった。
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こうやってどこにも行けなくなると自由にお出かけしていた日々が輝いて見える。過去の写真を見たり次に行きたいところを探して過ごしていた。新緑が眩しく気温もいいこの季節にどこにも行けないのは退屈極まりなかった。自粛期間中みんなよくやったよ、そう思っている。きっとこれから元通りの生活に、新しい生活様式に、頑張ろう日本と言うだろう。

いやいや、もう十分頑張ったんですよ。コロナに負けるな(見えないウィルスとどうやって戦えって言うんだ)ってキャッチコピーもうんざりしてたところに頑張ろう日本ときちゃぁ、「正気ですか?」と言いたい。

これからやってくる不況や、五月病(というか六月病?コロナ鬱?)がどれくらい世界を悪くさせるか。

未知の出来事だらけで、なるようにしかならない世界に身を投じなければならないのは恐ろしい。

幸い医療職なので職がなくなることはないだろうが病院も潰れる時代だから分からないよな。自粛明けたら遊ぶぞなんて意気込んでいたが世界の様子を伺わなければならない。1年先の見通しがたたないくらいだもん、彼氏を作ったり結婚したり、そういう対人コミニュケーションに消極的になってい現状。

 

テレビで「最前線で働く医療者のみなさんに感謝」という言葉が頻繁に流れた。それを聞いて私たちは戦時中の兵隊さん扱いみたいだなと思った。そういう意図はないにしても危険なところで戦う人を遠巻きに見て応援してる。戦地に出向く若者を旗振って見送った婦人会の人かいな。お国のために命をかけて亡くなっていった兵隊さんにも家族がいてどんな思いでその死と向き合ったか…。

私にとっては医療者は仲間だしその医療にも家族がいることを認識している。「感謝」という言葉で医療に縛り付けてしまっていないか。

大切な人を守るための行動と言っておきながワクチンも治療薬もないウィルスの猛威と向き合って、家族の待つ家に帰る不安。計り知れない。友人の病院もコロナ患者を受け入れることになったとき「無理だと思ったら辞めてほしい」と言いたかった。あの子のまだ小さい娘さんの顔まで目に浮かんだよ。たくさんの命を救う前にあの子は妻であり母である。結局「一段落したらまたご飯行こう」しか言えなかった。要は現場以外の人間ができることは感染予防対策以外ほぼないのである。励ましもなにもかも無力。なにもできない自分の立場というのがあっていいのだから蚊帳の外から善人のような言葉を発さなくていいのである。

 

この騒ぎで初めて自分の職業が危険なものだと思い知らされた。

ノロウィルスが流行って病棟がノロ患者さん以外受け入れなくなり一日中ゲロの掃除をしていたときも、高齢者の猛烈不穏で暴れる患者さんを数人がかりで押さえながら殴られたときも、患者さんの歯磨きをして指から血が出るまで噛まれたときも、こんなもんだ位にしか思っていなかったけど本当は危険だったんだな。多分甥や姪が大きくなったら医療者になるって言ったら危険な仕事であることをじっくり話すと思う。やめろとは言わないけど夢だけで出きる仕事ではないということは伝えたい。

 

さぁ、6月。どうなることか。とりあえずオリンピックが中止になって本当に良かった。そんな5月のふりかえり。