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さかもツインの健康で文化的なようでそうでもない生活をお送りいたします

明日はとりのささみを3本買って帰ろうか

  白くてかわいい猫、ゆんゆん丸が我が家に来て1ヶ月となる。憧れの猫との生活は第2の人生を踏み出したかのように輝かしい。毎日めめ(妹)と「ゆんゆん丸はかわいいね」「幸せだね」と話している。つまりはすっかり猫に夢中ということだ。

 

 猫についてまだまだわからないことばかりなので不安になることもたくさんあるし、猫にとって最良の環境を作れているかは不明である。言葉が通用しないコミュニケーションの難しさをあらためて思い知るのである。お腹空いたかな?暑くないかな?どこか調子悪くないかな?心配事はあるがお互い無事1ヶ月乗り切ったのでこの調子で頑張っていければ、と思う。

 

 

 たまに鶏肉をあげている。

食事はキャットフードだけで事足りるのだが、おばちゃん魂なのだろうか、色んなものをたっぷり食べさせてあげたいという気持ちがある。食べさせちゃいけないものもあるし、太らせてしまえば病気のリスクもあるので健康第一だから補食はちょっとだけという配慮はしている。

 

 自分達が食べる鶏肉を少し切って茹でて冷まして食事用の皿にのせる。はじめは「これ私のですか?なんですか?食べていいのですか?」と警戒したが食べていいよとすすめるとすごい勢いで食べ始めた。いつもあげているキャットフードの倍以上の食い付き。そんなにおいしかったのか…と驚いてしまった。

 

 それからは鶏肉がわかるのか買い物袋の中に鶏肉があればすんすん匂いを嗅いだりパックをかじったりやんちゃをするようになった。鶏肉を買ったら気を付けないとねと注意している。

 

 鶏のささみはあまり食べないのだが、ゆんゆん丸のために買うようになった。3本入りのパックをひとつ。ひとつはゆんゆん丸、残りのふたつは我々が食べる。茹でている間ゆんゆん丸が狙ってくる。待っててねと猫との攻防戦を繰り広げながら1番小さいささみをほぐして提供する。我々もキッチンでささみをつまみ食い。残しておくと狙われるから。

 

3人で同じものを食べるのっていいなぁと思う。

20代の頃は誰かと結婚して家庭を築いている未来を信じて疑わなかった。

30代にして誰かと結婚するのは難しいことだと気付いた。

35歳で誰かと暮らすことは難しく私は一生独身で夕飯はひとりで食べるもんだと思うことにした。

36歳、20代の頃に憧れた未来が訪れないことも、一緒に暮らしたいと思った人と暮らせなかったこともも全部全部許せた。戻りたいあの頃というものがなくなった。ゆんゆん丸がいる今がいいから過去が対して重要でなくなったのだ。

 

 これはやはり第2の人生というにふさわしいと思う転機だったと思う。うまくいかなったこととか、許せないこととか、たくさんの人生の負の遺産を「はいはい、そういうこともありましたね、まぁ多分私だから乗り越えてこられたんだと思います。よく頑張りました。」と認めて、今は明日ゆんゆん丸のごはん何にしようかなとかそういうことだけ考えている。心のとげとげしたところを猫がすっかり丸く収めてくれたのだ。ありがたいことである。

 

さて、明日はささみを3本買って帰ろうか。そう聞いてみると聞き耳を立ててプィと横を向いてしまった。まぁ買って帰れば食べるだろう。大好きだもんね。

いつも心を丸くしてくれてありがとうの気持ちは猫に伝わるかわからないけど、ゆんゆん丸が来てくれたことをうれしく思わない日はないのである。


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