重ねた時間
昭和レトロなラブホテルを巡り始めて6年になる。昨年どうしても見ておきたいというベッドを見てひとつ区切りがついてしまいこれから先のモチベーションの保ち方について少し悩んでしまった。
まだまだ行ってみたいホテルは多々あるのだけど、何年も恋焦がれ旅程を組みやっと見られたときのあの興奮をそう何度も味わえないという現実となんとなく向き合ってしまったのである。それほどに輝かしいホテルたちを見てきたのだなと思う。
2月、とある未訪のホテルが閉業すると知った。
ホテル名については伏せておく。
閉業から解体まで時間があったホテルが荒らされてしまったことがあり、荒らされず静かに眠らせてあげたいという気持ちがあるからだ。
もちろん閉業するホテル名を公開するしないは個人の自由なので誰も責めるつもりもこうしろというつもりもないと断りを入れておく。
私がぼんやり悩んでいる間にも時代は流れ昭和が終わっていく。うかうかしている場合じゃないと冷や汗をかいた。閉業の報を聞くまでなぜここに行かなかったのかと自分を恥じる。
はじめまして、じゃあさようならというのは散り際の顔を冷やかしに来たような気がしてしまう。ホテルへの引け目を感じたためせめてもの誠意を見せようと思いここに泊まることにした。
今まで訪問してきた昭和レトロなラブホテルは全て休憩で利用している。「泊まれば?」「なんで泊まらないの?」と聞かれることが多々ある。
ラブホの部屋に一晩籠もることにちょっと抵抗感がある。
空調が効かなかったり水回りがちょっと苦手だったり潔癖症な部分が受け付けない部分がしばしばあるし、窓がない部屋というのは結構な恐怖だったりする。
ビジホや観光ホテルの大浴場に行ったり自販機で物珍しいものを買ったり外を散歩してみたり夜風に当たったりするほうがいい。
そういう理由で避けてきたことを、このホテルで初めて経験してみようと思った。実際泊まれるか?という自問自答は2日ほど続いて覚悟を決めた。
閉業まで勤務の都合で1日しか休みが合わせられず、職場の最寄り駅のコインロッカーにスーツケースを詰め込み定時ダッシュを決め新幹線に飛び乗った。
闇夜に現れる城のような外観。

ムード歌謡が似合いそうな昭和のお城。

これから朝までこの部屋で過ごすわけだけど不思議と圧迫感も違和感も何も感じなかった。長い良い夜の始まり始まり。
空調があまり効かないことを伝えると従業員さんが毛布と掛け布団を追加で持ってきて下さった。昭和の母のような世話焼きでとてもありがたく何度お礼を言っても足りない。
冷えるので浴槽にお湯を溜め入る。

見慣れぬナイーブのボディーソープがよかった。
浴室の窓を開けていると通路からいきものがかりのSAKUSAが聞こえてきて過ぎてきた時間の重さを感じた。浴室内の真っ白な湯気に包まれてタイムスリップしたような気分。
風呂上がりに持参したナイティを着てベッドに横になる。昭和ラブホとやっとちゃんと向き合って肌を合わせられた気がした。

毛布と布団の重みを感じながら目を閉じる。少し寝ては目が覚め寝返りをうち微睡む夜。ふと見た夢はラブホに行く夢だった。眠れないだろうと想定して行ったので夢をみたのには驚いた。時間の流れもよく分からないまま気づいたら窓の外が明るかった。

やっとここまで来られたという達成感に満足している。少しだけ距離をとろうとしたラブホに身を預ける心地よさを痛感した。

朝シャワーを浴び、簡単な朝食をとって支度をし、一晩の城に別れを告げる。1分1秒たりとも取りこぼしたくない貴重な時間だ。
ここで一晩過ごしてみて思っていた以上に快適に過ごせたのは日々この部屋を丁寧に清掃していることがよくわかったから。古い建物といえどこんなに快適に過ごせるのは従業員さんたちの努力の賜物だろう。これがどんなにすごいことか声高に語りたいくらいだ。人の丁寧な仕事というのは美しい。そういう部分に触れられたこともよかった。
帰り際「長い間ありがとうございました」と閉業前の挨拶を頂き、長い間素敵な空間を維持してくださりありがとうございましたと答えたかったが言えなかった。時代の流れを悔やむことも止めることも何もできない無力さをずっと抱えている。自分の責任で守りきれないものに対して寂しいと言うことすらおこがましい。
積み重ねた時間だけが愛だとするなら丁寧に向き合いたい。ここをずっと守ってきてくれた人、導いてくれた人、色んな重なりがあって過ごせた夜をずっとずっと忘れないでいたいの。

明日が来る
職場の同僚が亡くなった。
詳しい話は聞かされていないが、病棟でインフルエンザが流行りスタッフが一人二人と感染して欠員が出たお正月勤務をこなし数日体調が優れなかった様子を見ていたので「具合悪そうだったもんね…」と納得している。
同僚(以下Sさん)5年前に急性期病院から「もう少しゆっくり仕事がしたい」とこの場末の病院にやってきた。大きくて無口な人が来たな、と思いながら一緒について業務や患者さんのことを説明し、ときにはクセの強い看護師さんたちからのあたりを気にしないでくださいね、あぁいう人なので、とフォローすることもあった。
私より少し年上で、今では男性看護師も当たり前のようにいるけどもその当時では割と珍しかった男性看護師なのでなぜ看護師になったか興味本位で聞いてみた。
両親共に看護師でSさんには看護師なんかなれないよと言われ売り言葉に買い言葉で「だったらなってやるよ!」と看護師になったらしい。5年間Sさんの人柄や仕事ぶりを見てそんな啖呵を切って看護師になったようには見えないので今思い出してもSさんらしくない動機でちょっと笑ってしまう。
柔道をやっていたとのことで身体は大きいがとても穏やかで静かな人だった。職場でモメごとに巻き込まれそうになると「オレを巻き込まないでくれ〜😭」と小さな声でぼやいた声が忘れられない。
年齢層が高めの職場なのでおばちゃんたちのいざこざが多い。そのたびに「めんどくさ…」「仲良くしろとは言わないけど仕事なんだから」「色んな人がいるんだからお互い認め合わないとうまくいかないよ…」と真っ当なことを言っていた。
あんなことをやった、言ったの世界線でフラットな立場でいられるところがすごい。男性であることを盾に大きな声や力で解決することは一切なく、荒波を立てない人でそれがありがたかった。
「女の人が多い職場で生き残るには距離感を大事にしないといけないんです」と相当気遣いをしている人だった。
看護学校時代女子学生がSさんがいる前で着替え始めて「オレいるから!」と制止したところ全く気にされなかったことがあり「オレって男として見られてないんだな…」とショックを受けたというエピソードをひぃひぃ笑いながら聞いたけども性別を感じさせず環境に溶け込めるのはこういう体験からきているのかなと思った。
異動があったりではじめの2年と昨年の4月からの数カ月しか一緒に働いていないが、4月にまた同じフロアで働けると知りとてもうれしかったことが記憶に新しい。
「待ってましたよ、またよろしくお願いしますね」と挨拶をして今のフロアのあんなことやこんなことを色々話しながら業務する時間は楽しかった。
真っ当な看護感と培ってきた経験から頼りがいのある看護師さんだったと思う。口数は少ないけど患者さんと冗談を言い合ったりSさんなりの距離感で寄り添ったり、ときにはおばあちゃん患者さんにお坊さんと勘違いされ拝まれたり。
男性なので良くも悪くも目立つ部分があったけど穏やかさから皆に慕われていたと思う。私も慕っていた。
不規則な勤務で夜眠れないこともあり、日勤中の研修ではよく居眠りをしていた。私も座ると居眠りしてしまうタイプなのでSさんがいる日の研修は心強かった。眠たいとき他の人が自分より爆睡してると眠気覚ましになる。うっつら、うっつら、ズコッっと長机をずらしてしまったり管理職の隣で船を漕いだりする姿をみんなでクスクスと笑いながら見守ったものである。研修後にそのことについて言うと「ご飯のあとは無理っす…」と抗えない眠気に勝とうとする意思もない潔さがあった。
淡々と仕事をする中で人の動きを見て先回りして仕事を済ませてくれるので言葉を交わさなくてもツーカーで業務を片付けられペアで働く日は気持ちよく仕事を終えることができた。定時になると「早くかえりましょう」とエレベーターに乗ってちょっと他愛のない話をしてエレベーター開ボタンを押していつも先に下りるよう促してくれた時間が今となっては尊くて失いたくないし忘れたくない時間である。
そろそろ更年期も見えてきてめまいがあるとか火照るとかお互いそんな話をするようになっていた。ここ、耳鼻科ありますよとか、自律神経なら精神科っぽいですね、とか受診すべき病院話で盛り上がることもあった。自律神経についてはきっとお互い永遠のテーマであるので自律神経の整え方についてやはり基本は規則正しい生活となる。
「オレは無職のとき朝起きて散歩してパチンコ屋行って夕方帰ってくる生活をしていた」と話すものだからお腹を抱えて笑ってしまった。確かに規則正しいけどもそれ自律神経にいいんですか?と。そんなワイルドな一面をにやりと笑って話すSさんのチャーミングさがおもしろかった。
思い返してみればはにかんで笑っているところばかりが目に浮かぶ。
食堂で社食とセブンイレブンのひじきの煮物を食べる姿、休憩室で本を読みながらコーヒーやピルクルを飲む姿、夜勤明けで燃え尽きた顔で椅子に座る姿、まだまだ目に残っている。
CDを持ってきてる患者さんのところで誰かがB'zを流してくれていたのを聞いて「病室でB'zはちょっとなあ〜」と笑っていた。「オレだったらイエモンしか流さない」とぽろっと話していてSさんてイエモン好きなんだ、と驚いた覚えがある。
プライベートの話はそんなにしなかったけど日々のなんでもない話がいつも楽しかった。もちろん話すことがなくて無言の時もあるし、私が職場の理不尽なことで心底キレて荒れ狂ってるときも「触らぬ神に祟りなし」的な感じでそっとしておいてくれることもあった。本当に距離感のとり方がうまい人だった。
以上書いたことはSさんとの時間で全部忘れたくないこと。でもきっといつか忘れてしまうからここに書いて残しておく。もっと色んな思い出があるから思い出したら書き残しておこうと思う。
年明けから徐々にみんなが体調を崩していく中でも黙々と仕事をこなし、先発体調不良部隊が快方に向かってきた頃Sさんも体調を崩し始めた。
ナースステーションでぐったりと座って死んだ目をしていたので、「目ヤバいですよ?大丈夫ですか?」と何度も声をかけたが「熱はないから大丈夫…」と話していた。
体調崩すの次はSさんかぁと順番が来ただけだと思っていたが、次の夜勤明けのときはさらに体調を崩してしまったらしく辛うじて勤務を終えた状況だった。
あまりにも辛そうだったので声もかけられないくらいだった。申し送りを終え受診しお手洗いに行っていたが私が日勤でバイタルを2部屋分とってもお手洗いから出てこないので心配になってしまった。
そのうちよろよろと出てきて帰っていったのが最後に見た姿である。
そして私は元よりとっていた連休を経て訃報を聞いたのである。
朝の申し送りで管理職からSさんが亡くなったことを聞かされた。一瞬何を言っているか分からなかった。頭が真っ白になる、というやつである。現実はいつだって残酷で手加減してくれない。患者さんの申し送りが始まりスタッフがすすり泣く声が聞こえてきた。私は…大丈夫だろう、と思ったらうっと堪えられない感情が嗚咽とともに出てきてしまった。ぐす、ぐす、鼻をすする。申し送りを聞かなくちゃ、具合悪い患者さんの話を聞かなくちゃ。ぐす、ぐす。なんで、どうして…
長く一緒に勤めてきた人たちが目を真っ赤にしていて口を開いたら苦しくてわめいてしまいそう。みんなこらえて申し送りを聞いて配置についた。知ってる人がいると安心して一緒に泣いてしまうから1人になって誰とも話さず1日業務にあたった。
帰り際にちょっと話して泣いて帰った。
次の日の朝は目が覚めた瞬間もうSさんはいないんだと思うと泣いてしまいみんなが辛いのはわかっているけど休むことにした。1日ぼーっとしてずっと楽しかったことを振り返っていた。
その次の日は朝出勤して大丈夫と聞かれたら泣いてしまった。
なぜねねさんはそこまで泣いているのか?Sさんのこと好きだったのか?と不審がられそうなくらいの状況である。それについては恋愛としてではなく人として好きだった。男女など関係なく。職場の人とはいえ5年も一緒に命と向き合ってきたら戦友という言い方のほうがしっくりくる。大切な戦友を失ってしまった悲しみは大きい。
私が辞めるまで辞めないで下さいねって言ったのに冬のボーナスもらったら先に辞めちゃってさ。さみしいよ。でも、もう決して環境がいいわけでもない職場に悩むことなく退職金とかのことも考えずに離職できたからあとは重たい体を置いてゆっくりとパチンコしたり旅に出たり本を読んで過ごしてほしいの。
Sさんが職場に来なかった日、「仕事疲れちゃって旅にでも出ちゃったかな」と言った人がいた。旅に出たんだと思う。煙になって骨は置いてふわふわとした雲に乗って。

朝焼けを見て夕暮れを見て馴染みのある街を漂って思い出の宮崎にも遊びに行ったかしら。
ロッカーの荷物は早々に片付けられSさんのご家族に渡されていた。葬儀までの日、共有で聴診器をかける場所に『S』と名前の書かれた水色の聴診器を見つけた。みんなが取りやすいように手前に置くなか、1番奥にかけてあった水色の聴診器。そんなとこでも気遣いをしてくれている人だった。そっと手に取り管理職にご家族に渡してくださいと託した。
どんどんSさんのいた証がなくなっていく。処分していい重要ではない申し送りのメモをこっそりもらった。Sさんの形見である。お守りとして白衣のポケットに入れてある。丁寧な字体がほんわかとした彼らしさをよく表している。
あまりにも多くの思い出があり、葬儀に出席する管理職にご家族さまに手紙を託した。紙を重ねるといけないとのことで紙一枚で思い出を書き切るにはとても足りなかったがSさんのおおらかな人柄には大変支えられたと伝えた。
封筒だけ棺の胸元に置いてくれたらしい。Sさん宛にもきちんと手紙を書けばよかった。
私は…Sさんになんの感謝も伝えらなかったことが残念でならない。一緒に働けたことがここ1年何よりの励みでした。本当にありがとう。Sさんのために何もできなかったな、、具合が悪いことを気づいていたのにこんな結果になることを止められなかったことが悔しい。私が流す涙はさいごにあなたに贈れるものです。そんなものしか贈れないなんて。
数々の命の終わりに向き合ってきたが、若い人が亡くなるのは辛さがまた違う。この死の気配を感じる力があるのに「まさかね…」とうやむやにしてしまった無念さはもう2度としたくない。きっとこうやって見送る人なんだろうなと思う。大切にしたい日々に誠実に向き合うしかない。
明日が来ると思って来なかった人と、あなたを失っても私には明日が来る。大切なものを欠いても欠いても明日が来るなら欠いたものの思い出と一緒に明日を迎えようではないか。この悲しみはあなたと過ごした日々の一部。忘れたくないからずっとずっと抱えて生きていたいの。
過去を訪ねる旅
秋が来てようやく旅に出られる時節になった。海が見たいと思ったときにいつもは『見たことがない海』を見に出かけるのだが今年は失うものがあまりにも多く過去を訪ねる旅に出たかった。
大切な思い出が色褪せないうちにまたあの海を、と旅先を佐賀県唐津市に決めた。
今回の同行は曽我灯さん。
https://x.com/gaso_0131?t=Db2LOA2qDIQXXA7tScfK2Q&s=09
唐津にあるラブホも合わせて行く旅程を完成させ旅の記録写真をお願いした。レトロなラブホに興味がある人と出かけられるのはありがたいことである。
初日は福岡空港へ。
福岡に住む人に会いにしばしば来ていた時期もあるので懐かしい気持ちになる。
博多、天神あたりをふらふらと歩いて他愛のない話をしたけどもあの頃見えた景色はがらりと変わり空港もすっかりきれいになっていた。
夜のアーケード街は蒸し暑く東京の中野にいるみたいだった。どこも似たような街並みでどこにいるのか分からなくなってしまった。
冷たい飲み物を買って駅の切符売り場を見たらさよならの記憶は遠くただただ美しかったものとして手からこぼれていった。またいつかここで会えたら懐かしさに目を細めてしまうかもしれないけど今はすくい上げなくても大丈夫、大丈夫と思えるほど過ぎ去ってしまった時を感じた。
力強い写真展で人の持つ魅力というものに引き込まれた。最近個々の人が持つ味わいというものに惹かれている。それぞれ違うことが良いので人っておもしろいものなのだなと楽しめるようになった。『その人が放つもの』を写真として見られて良かった。誘ってくれた曽我さんには感謝である。
予期せず前川國男建築に出会えたのも嬉しかった。
その後大濠公園をゆったり歩いて駅に向かう。
市内にこんな大きな公園と池があるのには驚いた。昨日とうって変わって爽やかな風が吹く。
九州に来るといつも思うのだが太陽に愛された土地だと思う。強くて柔らかい光がさす。
市街地から田園風景を写す車窓が海に変わったときああやっとこの景色が見られたと嬉しくなった。佐賀へ来たという高揚感がふつふつとわいてくる。
唐津からレンタカーを借りて車を走らせる。
曽我さんが何気なくかけたインナージャーニーのグッバイ来世でまた会おうという曲があまりにも過去を引き連れてきた。
https://youtu.be/_0FTRrpQBSw?si=eeQ0YBdl6FJESps7
車通りの少ない市街地から外れた道を走る中、君の声を忘れたくはないよという歌詞がその通りで居なくなってしまった人の声をなんども思い返そうとするけども年々薄れていってしまう声。あぁそうだよな、忘れたくないよなってハンドルを握る。
父や母を助手席に乗せて、田舎の祖父母の家へ行く。待っている人がいたこと、会いに行く人がいたこと、同じ時間を共有する喜びがあること。元気だった?また来てね、元気でねと交わした言葉の数々。今となっては全てが尊くて眩しい時間だ。

過去に繋がる道を走っているようだった。この先を走っても懐かしい人にはもう会えないと思うと少しだけさみしい気持ちになった。
このさみしさは私だけのもの。埋めるつもりも埋めてもらうつもりもない。この先もずっと私と共にある。あなたたちがいた温もりは替えの利かないもの。だからそれでいい。

ぽつりぽつりと景色がかわり、のらりくらりと話をしながら知らない曲が流れてきて時間は進んでいった。

風力発電の風車がゆったりとまわる。過去ばかり見ていることに気づいた。きちんと『今』を過ごさないと。過ぎた時間には戻れないけどちゃんと大切にしてもらってきたじゃない。忘れないで。

目の前にある美しいものに触れていいのだし
ここに来られたことを喜んでいいのである。
きちんと自分の足で歩いてきたから

ちゃんと私の時間として受け止めておこう。
また来たいなここは。好きな場所を何度も訪れるほうが性に合ってるのかもしれない。
七ツ釜を離れホテルへ向うとき曽我さんがまたおもしろい曲を流してくれて笑かされた。人の何気ない行動にこんなに救われるものなんだと驚いた。さりげなく寄り添う空気感をありがたく受け取った。
ホテルは海の見える部屋で、夜風を浴び波の音を聞いていた。今だけあればいいから終わらないでほしいと思えるのは旅の夜の醍醐味だろう。日常というものを好いているけど、たまにある旅の夜というのは際立って良いと思ってしまう。1ヶ月くらい旅に出て全ての夜の感じ方を記録してみたい。1週間位したら飽きてしまうものなのだろうか。
深夜に目が覚めてベランダから月を見ていた。いつか居住地を変えることができるなら佐賀に住んで休みの日は七ツ釜に散歩に出かける日常がほしい。
曽我さんが夜明けを見ましょうとのことだったのでホテルの屋上から夜が明けるのを見に行った。
薄闇から燃えるような光が差し込んでくる。
刻一刻と色を変える空。

全てなくなったかのような静寂な夜明けしかなかった。

ぷかぷかと流れる雲を見つめる。
よく「お迎えがくる」と言うけども、こんな雲に優しく包まれて思い入れのある土地を空から流れるように旅してお別れをしていくお迎えであってほしいと思った。
病院での仕事でお迎えの時間を察したら私はその人の髪を洗っている。その髪がお迎えの雲に乗ったとき風になびいて心地よい時間となってほしいと強く思った。苦しさや悲しみのない世界のような空を見られてよかった。あちら側に大切な人が増えてしまったけどもこちら側にも大切なものがあるってちゃんとわかってよかった。来世があるかなんて分からないけどまたこの雲に乗って来世を始められたらいいのでは。
最終日は念願のラブホに行き重要文化財としてもいいのではないかというせり上がり回転ベッドを体験した。高さがあるので高所恐怖症の人には慎重に乗ってほしいベッドである。

今日という日まで現役で稼働するために維持していてくれるホテル側には敬意と感謝しかない。レトロラブホの荘厳さを体験できる時代の瀬戸際だと思っているから気になるホテルには積極的に行っておきたいと誓いを改めた。



↑撮影 曽我灯
楽しかった時間を記録してくれた曽我さんには感謝しかない。滞在中歯を出してにこにこ笑ってる姿が写真に収められていてちゃんと今を生きてる気がしてほっとした。





さよなら唐津の海。さよなら過ぎ去った眩しい光たち。またいつもの日常を大切に生きるよ。だからこの光を見たらもう死んでもいいかなって思える光景をこれからもたくさん見ていくよ。
長い長い夏
長い長い夏が終わった…(と信じたい)。
今年も暑かった。なんど暑さで死ぬかと思ったことか。夏の暑さと日差しでバテてしまう体質なので地獄のような7月〜9月だった。
もう外に出るのは諦めてほとんど家の中で過ごしているため楽しみが少ない。楽しみといえばベランダで育てている植物の成長を見守ることだ。
現在さかもベランダでは柚子の木、みかんの木、バジル、ペパーミント、沈丁花の育成に力を入れている。
実家ではモロヘイヤ、ミニトマトとひまわり(種から)を植えた。ミニトマトは管理不足のため2粒しか収穫できなかったが、モロヘイヤは勝手にメキメキ育ち背高が1メートルほどになっている。
モロヘイヤ好きの姪が喜んで食べている。
ひまわりは5輪ほど花を咲かせたので「かわい〜」と思いながら見ている。種から育てると愛着が増す。
めめちゃんがすいかを買ってきた。「JAのだからうまいはず」と意気込んでいる。JAに対する絶対的な信頼がある。食べてみたら美味しかったので種をさかもベランダのみかんの木の鉢に放ってみた。
数日後一斉に芽を出したため間引きし1本だけ育ててみることにした。
この真夏の日差しを浴びニョキニョキと伸びるスイカのつる。3週間ほどすると黄色い花を咲かせた。
「受粉すれば実をつけるかも」
と思ったが、めんどくさいのでほっといたら蝶々が来て受粉してくれたらしい。
ある日実がついていた。
さかもツイン爆笑。
そんなうまい話あるんかいなって。
ピンポン玉大のすいかが4つなり、みるみるうちに手のひら大になった。収穫のタイミングをめめちゃんが調べたところすいかの縞々が濃くなったら収穫していいとのこと。
ていねいにひっくり返したりすいかの実の下にクッション材をひいたりしてすいかの成長を待った。
日に日にすいかになっていくのがかわいい。ホームセンターで肥料を買ってきて足したり毎日の水やりをして面倒をみた。

↑みかんの木のわきから生えるすいか

↑ゴロンとなっているすいか
昨日涼しくなってきたしすいか食べる季節も終わるから思い切って収穫しようかということになった。
まぁどうせ鉢植えだし、中は真っ白のウリみたいなのができてるんじゃない?と思って、何も期待してなかった。

きゃっ…

ちゃんと赤い!
ウケる!

じゃあ食べてみようか、と口にしたところ「甘い」のである。
え、奇跡?
決してフルーツパーラーで箱入りになって売られているようなすいかのような味ではないけどスーパーに売ってるすいかくらいには美味しい。ちゃんと食べられることがまずすごいのに甘みがしっかりあるのがウケる。収穫したてなのでみずみずしいし。
手のひら大のすいかはさかもツインがあっという間に完食した。
「え〜こんなことなら来年はベランダ一面すいか育てたほうがいいな」と思った。
ちなみに実家ではかぼちゃの種を適当に植えたところ夏みかんの木を伝いデカかぼちゃが成っていた。
これは甥が収穫し持っていってしまったためどんな味になったのかは知らない。なかなかいい見てくれをしたかぼちゃだった。
来年は瓜系の育成に注力したい。
長い時間をかけて味わう楽しみをくれた夏よ
ありがとう。でも2度と来なくていいと思ってるよ。
さかもキャッツ通信
8月8日、猫の日。
猫はかわええ、まじで尊い生き物。全ての猫ちゃんに幸あれと祈って過ごしている。
さかもハウスには可愛い3ニャンがいる。
白猫さかもゆんゆん丸

グルメ王と呼ばれる猫。グルメすぎてフツーのカリカリは食わんと言うスタンスでちゅーるやふりかけやおやつのトッピングが無いと食が進まない。水分補給ジェリーのトッピングが割と気に入ってる。可愛い。
つきちゃん

むっちりボディ。甘えん坊ボーイなので撫でて〜とムーンムーン鳴くので撫でるとシャッと攻撃してくるがやっぱり撫でて欲しいとムーンムーン鳴くタイプ。食いしん坊でボス猫気質。可愛い。
蘇我チャーフィールド

あまり喋らないけどたまにダミ声かすれ声でヒャーウーと鳴く。無表情で何を考えてるかちょっとよくわからない。が人との距離は近く一緒に寝たり甘えたりする。つきちゃんのことは怖くていや。人間からするとなんか変な猫って印象。可愛い。
猫は毎日生きている。
その様子をねねに見せるために漫画にしてみた。たまにねねも漫画にして猫の様子を教えてくれるので漫画が溜まってきた。じゃあってことでXのアカウントを作って不定期にアクの強い漫画を投稿してる。チェックしてくれると嬉しいー。
https://x.com/sakamocats?t=it1evQQh7NvF51AAACHg5g&s=09
可愛い。
ディスコルームへようこそ
眩しく光るディスコのネオン。部屋の扉を開けた瞬間突き刺す光に驚いて一度扉を閉めた。一瞬で心奪われる部屋はそうそうない。ここはそんな部屋。興奮で震える手て扉を開けて息を呑みながら入室した。

回るベッドにミラーボール、ルーレットのような天井装飾と鏡。
改定される前の風景法で可能な限りの鏡を使い込んだお部屋はムードと煌めきとワクワクさを詰め込んでいる。

ミラーボールを回していると数十秒に一度強烈な光が目を刺してくる。
その眩しさに笑ってしまった。光を浴びたギズモみたいに『まぶちぃ』と言ってしまう。

写真が撮り切れないほど魅惑的なお部屋。

回転ベッドも現役で回ります。
スイッチがベッドヘッドではなく、ベッドの縁についているので上がり下りするときにうっかりおしりで踏んでしまいなんか恥ずかしかった。

ベッドヘッドの照明板は全部きちんと点灯するのだ1つずつゆっくり点灯を確認。全点灯のときの光量ははんぱない。
お好きな色をお選びください。
消灯して窓から光を入れれば赤いベッドとおふとんがそれはもう真紅に光るのでどうやっても美しい部屋でございます。
空調はしっかりしているし、お掃除も丁寧なので過ごしやすいホテル。カラオケもあるし、ウォーターサーバーもあるし親切ですね。
アメニティも揃ってます。
なぜかお手洗いの仕切りがカーテンですが。
ちょっとした病院感がある笑
お風呂場は赤いです。
壁の模様が強い!!
もう鏡が多すぎて本来あってはいけない映り込みを諦めましたわ…
このポーズ相当体幹強くないとできないわよね。
お風呂場とベッドルームは若干透けるタイプです。

個性のあるラブホに来たときのこの高揚感はたまりませんね。また行きたくなるホテルでした。
https://x.com/sakamotwin/status/1808749083672338780?t=4BnSpVT8eNXz1-PQIXhf9A&s=19
蘇我チャーフィールド
一年前の今日、突然現れた茶トラの野良猫?迷い猫?を保護した。

外に慣れていなそうで人を見るとかまってと寄ってくる。どう言うわけか走るバイクに向かって動き出したり車が来ても逃げたりしない。
そんな様子を見てこの猫は外にいちゃ駄目なタイプと感じねねが抱っこをして家に連れ帰った。意外とすうっと捕まったのだった。
家に帰り猫を洗いゆんゆん丸とつきちゃんとは別の部屋へ隔離。
部屋に閉じ込められた茶トラの猫。扉を開けて撫でたら嬉しすぎてよだれを垂らしながらブルルルルルゴロゴロ~と転がっていた。

捕獲後動物病院に連れて行くと4キロの雄猫、推定5〜10歳と言う事だった。
迷子なら飼い主へ返す、飼い主が見つからないなら家で飼うと決めたが飼い主が見つからず現在はさかもツインハウスの猫として茶トラ猫は過ごしている。
猫が一匹増えた!とさかもツインはてんやわんや。猫も誰か知らないやつがいると環境の変化にストレスを感じていたと思う。

俺は一番かわいい猫ですよね?の顔をするゆんゆん丸。

茶トラを追いかけて怒られたつきちゃん。

屋外の生活が過酷だったのか家に来てゴロゴロする茶トラ猫。
茶トラ猫、名前がサン(3番目の猫の意)かチャと呼ばれていた。が、段々チャッツとかトラちゃんとか色んな名前で呼ばれ出して今は蘇我チャーフィールドが正式名称として落ち着いてる。呼ぶ時はフルネームではなくチャー、チャーフィーと呼ばれてる。
外に自由に出ていたことがあるのか洗濯物を干すために窓を開けるとサーーーと脱走することが多くその度にシャンプーをしている。

ニンゲンはなぜここに来てわしを撫でないのか?と言う顔をしている蘇我チャーフィールド。
ベッドで一緒に寝たり撫でてくれーと甘えてきたり脱走癖がある事以外はとても可愛い猫なのだ。
いや、早朝に寝てるニンゲンの髪の毛を噛みしゃぶったり、顔特に目元をチョイチョイつついたり、耳にマズルを押し込んできたり、尻を押し付けてきたりやめてくれーと思う行為を沢山してくるな。可愛いのだがそれはちょっと自粛してくれるかい?

やめられませんよねと言う顔のチャーフィールド。
3ニャンズはそこまで仲良くないが共存はしてくれてるのでおのおの気ままに暮らしていけるのがいいねと思って過ごしている。
さかもツインは未婚なのでこどもの日とかそういうイベントとは無縁だが可愛い猫たちのお家記念日は特別な気持ちになるのだった。
