「ねねさん、報告があります!」
と食堂で昼休みをとる職場の大好きなおばちゃんに声をかけたられた。この一言で全てを察してしまった。退職の報告である。
いつかこんな日が来るとは思っていたが思ったより早かった。私は地獄の底に叩きつけられこれからどう生きていこうかと天を仰ぐように食堂の天井を見つめた。
おばちゃんとの出会いは9年前。増床によるスタッフ募集をかけていた病院に入職した際、私より数ヶ月早く入職していたので仕事のことを色々と教えてもらった。
院内は新人さんと古参のスタッフ、新入院患者さんで混沌としていた。毎日毎日お祭り騒ぎのようにバタバタしており、右も左もわからない状態で仕事をしなくてはならないのはキツかった。古参スタッフは毎日ピリピリしていて、職場に打ち解けるとかそういう雰囲気ではなかった。野戦病院みたいな状況でよく大きな事故もなくやってこれたと思う。正直入職してからの数ヶ月はバタバタしていてどう働いていたか記憶にない。
新入職の人があとからどんどん入ってきたが、キツさて半数近くが1ヶ月ほどで辞めていった。
数ヶ月ほどして病棟の忙しさも落ち着き、おばちゃんや入職同期の人たちと話すことも増え、周りの人の仕事ぶりを見る余裕もでてきた。
おばちゃんはとても丁寧に仕事をしていてとにかく優しかった。誰にでも優しかった。
患者さん一人ひとりに「おはよう」と声をかけ耳が遠い人には耳元でしっかりと話す。当たり前だと思うことも何人も患者さんを受け持ち時間に追われると難しくなる。そんな中声のトーンやテンポが心地良い話し方でずれた枕や布団を直しバイタルをとっていく。看護師としてのあるべき姿を見せつけられた。仕事が早いとか点滴がうまいとかそういうことじゃない、人と向き合う誠実さが桁外れだった。おばちゃんはそういうところがいつだって正しかった。
なので一緒の勤務の日は心穏やかだった。
私は偏屈で気難しく厳しいところがある。そんな人間の心を解くような明るさを持っていて、こちらまで優しい善人になれた気がするのだ。
できる仕事も増えて余力があれば色んなケアに2人で当たった。
散髪、車椅子でお散歩、摂食チャレンジなど。(もちろん医師の許可や家族の了承のある範囲内で)
患者さんがいい方向に行くのがとにかく楽しかった。
気難しい患者さんにも、おばちゃんか私がいる日は「ホッとするのよ、ちゃんとやってくれるから」と言われることがあり嬉しかった。おばちゃんを褒められたこと、おばちゃんの仕事ぶりを少しは引き継げていることが誇らしかった。
9年間辞めようと思ったことはたくさんある。だけどおばちゃんがいる限りは絶対辞めないと決めていた。この人と一緒に働けるならそれ以上の条件はないと思っていた。いい意味で私を引っ張ってくれて本当に感謝している。たくさんのことをその姿勢から学ばせてもらった。
コロナ禍に入り、時代が変わった。
労働者はみんな疲れている。現場の声を聞かない管理職、声の大きい人の声しか通らない理不尽さ。真面目に働く人がバカを見るようになってきてしまった。
まともな人からどんどん退職し、常に新人さんが入っては辞め入っては辞めを繰り返している。自分の業務をしながら新人指導をして正論を言っても聞いてもらえずベテランさんたちはみんな疲れてしまっている。まともな人が辞めるということは変な人ばかり残っているということだ。ここは大病院と違いスタッフが少ない。組織化していれば、然るべき対応をしてくれる部分も全部なあなあになっている。
正論が通らない、要望を聞いてもらえない、改善策がなく同じようなミスの尻拭いをしている。いがみ合うスタッフたち。精神を病んで休職していたスタッフは退職を余儀なくされた。
たくさんのまともなスタッフを「ここは辞めて正解です」と見送ってきた。まさかおばちゃんのこともそう見送る日が来るとは。
おばちゃんの退職の理由を聞くと家庭のことなど、表向きの理由を教えてくれた。そのあと小さな声で「もう、疲れちゃった」とこぼした。
「わかります…そうですよね」
とだけ答えた。だってわかるのだもの。日々の積み重ねよね。それ以上は聞かなかった。
きっと大丈夫、今生の別れではないし、今までだってみんなを見送ってきたじゃない。もっと悲しいこともたくさん経験してきたし、もう泣くほどの感情も残ってない。おばちゃんのことだって笑って見送れると思っていた。退職の話を聞いてからある程度の覚悟を決めた。
お別れの日がわかり、伊勢丹にお世話になったお礼の菓子折りを買いに行った。お菓子売り場について、たくさんの人がお菓子を選んでいる様子を見た時、この別れがいよいよ現実になるんだと頭の中が真っ白になった。
神様、これ以上なにも望まない、欲しいものも求めない、だからおばちゃんだけはさらって行かないで私から奪わないでとお菓子売り場の真ん中で叫びたかった。
自分の心を保つためにケーキを買ってはみたけどもなにか効果があったとは思えない。
とりあえず、この9年間の感謝と愛を込められそうな素敵な菓子折りをと探した。9年間頑張ったなぁっておばちゃんが思えるように、いい門出を祝えるように、ピンク色の箱にリボンがかかる菓子折りを選んだ。
サヨナラの日、ちょうど食堂でおばちゃんと一緒になり、挨拶をして隣のテーブルで昼食をとった。あぁ、これが最後なんだなと、いつもなら雑談をしながら時間を過ごすのだが、無言になってしまった。
楽しかったことだけが思い出される。じゃあまたあとでと午後の持ち場に戻り、終業後ロッカーで菓子折りを渡して着替えをする。
「本当にお世話になりまして…」と口にしたらわんわん泣いてしまった。
「そんなに泣かれたら私も泣いちゃうじゃない」と目を真っ赤にするおばちゃん。
ロッカーで私の着替えを待って一緒に退勤してくれたおばちゃん。
コートの襟を直してくれたり、スカートを巻き込んで履いたタイツを直してくれたりなんだかんだで世話を焼いてくれていて、いつもお姉さんのように見守ってくれていたので、
「お姉さんのように良くしてもらってありがとうございました」と口にしたらまたさらに泣けてくる。
「今生の別れじゃないし、またいつでも会えるからお互い体には気を付けて頑張ろうね、でも、こうやって会えなくなるのは…淋しいね」
と抱き合った時職場でこんな泣く人いんのかというほど声を上げておばちゃんにしがみついた。
おばちゃんのずっしりとした重みは9年間の重み。私だけが大切にしていると思っていた時間は、おばちゃんにとっても大切なものだったようだ。そういう時間を過ごせてきたことが何よりも宝である。
「電車に乗る人がそんなに泣いちゃだめよ」って笑って見送ってくれた。
「自転車で帰る人もそんなに泣いちゃ危ないですよ」って手をふる。
大切な時間はいつだって突然あっさり終わる。終わらないでほしい時間も終わってほしい時間も平等に進む。恋愛ではないけども、運命の人がいるのならば私にとっては間違いなくおばちゃんである。そんな人に出会えてよかった。
おばちゃんの新境地にいずれ移るつもりでこの一年は働こうと思う。頑張ってって見送ってくれたのだから。清く正しく優しく美しく、この9年間を無駄にしない働き方をすることがきっとおばちゃんから受けた恩を返すことに繋がると思う。
師匠のような人でした。病院に名もなき英雄がいるとしたらあなたですよ。私を育ててくれてありがとう。