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さかもツインの健康で文化的なようでそうでもない生活をお送りいたします

明日が来る

職場の同僚が亡くなった。

詳しい話は聞かされていないが、病棟でインフルエンザが流行りスタッフが一人二人と感染して欠員が出たお正月勤務をこなし数日体調が優れなかった様子を見ていたので「具合悪そうだったもんね…」と納得している。

 

同僚(以下Sさん)5年前に急性期病院から「もう少しゆっくり仕事がしたい」とこの場末の病院にやってきた。大きくて無口な人が来たな、と思いながら一緒について業務や患者さんのことを説明し、ときにはクセの強い看護師さんたちからのあたりを気にしないでくださいね、あぁいう人なので、とフォローすることもあった。

私より少し年上で、今では男性看護師も当たり前のようにいるけどもその当時では割と珍しかった男性看護師なのでなぜ看護師になったか興味本位で聞いてみた。

両親共に看護師でSさんには看護師なんかなれないよと言われ売り言葉に買い言葉で「だったらなってやるよ!」と看護師になったらしい。5年間Sさんの人柄や仕事ぶりを見てそんな啖呵を切って看護師になったようには見えないので今思い出してもSさんらしくない動機でちょっと笑ってしまう。

 

柔道をやっていたとのことで身体は大きいがとても穏やかで静かな人だった。職場でモメごとに巻き込まれそうになると「オレを巻き込まないでくれ〜😭」と小さな声でぼやいた声が忘れられない。

年齢層が高めの職場なのでおばちゃんたちのいざこざが多い。そのたびに「めんどくさ…」「仲良くしろとは言わないけど仕事なんだから」「色んな人がいるんだからお互い認め合わないとうまくいかないよ…」と真っ当なことを言っていた。

あんなことをやった、言ったの世界線でフラットな立場でいられるところがすごい。男性であることを盾に大きな声や力で解決することは一切なく、荒波を立てない人でそれがありがたかった。

 

「女の人が多い職場で生き残るには距離感を大事にしないといけないんです」と相当気遣いをしている人だった。

看護学校時代女子学生がSさんがいる前で着替え始めて「オレいるから!」と制止したところ全く気にされなかったことがあり「オレって男として見られてないんだな…」とショックを受けたというエピソードをひぃひぃ笑いながら聞いたけども性別を感じさせず環境に溶け込めるのはこういう体験からきているのかなと思った。

 

異動があったりではじめの2年と昨年の4月からの数カ月しか一緒に働いていないが、4月にまた同じフロアで働けると知りとてもうれしかったことが記憶に新しい。

「待ってましたよ、またよろしくお願いしますね」と挨拶をして今のフロアのあんなことやこんなことを色々話しながら業務する時間は楽しかった。

真っ当な看護感と培ってきた経験から頼りがいのある看護師さんだったと思う。口数は少ないけど患者さんと冗談を言い合ったりSさんなりの距離感で寄り添ったり、ときにはおばあちゃん患者さんにお坊さんと勘違いされ拝まれたり。

男性なので良くも悪くも目立つ部分があったけど穏やかさから皆に慕われていたと思う。私も慕っていた。

 

不規則な勤務で夜眠れないこともあり、日勤中の研修ではよく居眠りをしていた。私も座ると居眠りしてしまうタイプなのでSさんがいる日の研修は心強かった。眠たいとき他の人が自分より爆睡してると眠気覚ましになる。うっつら、うっつら、ズコッっと長机をずらしてしまったり管理職の隣で船を漕いだりする姿をみんなでクスクスと笑いながら見守ったものである。研修後にそのことについて言うと「ご飯のあとは無理っす…」と抗えない眠気に勝とうとする意思もない潔さがあった。

 

淡々と仕事をする中で人の動きを見て先回りして仕事を済ませてくれるので言葉を交わさなくてもツーカーで業務を片付けられペアで働く日は気持ちよく仕事を終えることができた。定時になると「早くかえりましょう」とエレベーターに乗ってちょっと他愛のない話をしてエレベーター開ボタンを押していつも先に下りるよう促してくれた時間が今となっては尊くて失いたくないし忘れたくない時間である。

 

そろそろ更年期も見えてきてめまいがあるとか火照るとかお互いそんな話をするようになっていた。ここ、耳鼻科ありますよとか、自律神経なら精神科っぽいですね、とか受診すべき病院話で盛り上がることもあった。自律神経についてはきっとお互い永遠のテーマであるので自律神経の整え方についてやはり基本は規則正しい生活となる。

「オレは無職のとき朝起きて散歩してパチンコ屋行って夕方帰ってくる生活をしていた」と話すものだからお腹を抱えて笑ってしまった。確かに規則正しいけどもそれ自律神経にいいんですか?と。そんなワイルドな一面をにやりと笑って話すSさんのチャーミングさがおもしろかった。

 

思い返してみればはにかんで笑っているところばかりが目に浮かぶ。

食堂で社食とセブンイレブンのひじきの煮物を食べる姿、休憩室で本を読みながらコーヒーやピルクルを飲む姿、夜勤明けで燃え尽きた顔で椅子に座る姿、まだまだ目に残っている。

CDを持ってきてる患者さんのところで誰かがB'zを流してくれていたのを聞いて「病室でB'zはちょっとなあ〜」と笑っていた。「オレだったらイエモンしか流さない」とぽろっと話していてSさんてイエモン好きなんだ、と驚いた覚えがある。

プライベートの話はそんなにしなかったけど日々のなんでもない話がいつも楽しかった。もちろん話すことがなくて無言の時もあるし、私が職場の理不尽なことで心底キレて荒れ狂ってるときも「触らぬ神に祟りなし」的な感じでそっとしておいてくれることもあった。本当に距離感のとり方がうまい人だった。

 

 

以上書いたことはSさんとの時間で全部忘れたくないこと。でもきっといつか忘れてしまうからここに書いて残しておく。もっと色んな思い出があるから思い出したら書き残しておこうと思う。

 

 

年明けから徐々にみんなが体調を崩していく中でも黙々と仕事をこなし、先発体調不良部隊が快方に向かってきた頃Sさんも体調を崩し始めた。

ナースステーションでぐったりと座って死んだ目をしていたので、「目ヤバいですよ?大丈夫ですか?」と何度も声をかけたが「熱はないから大丈夫…」と話していた。

体調崩すの次はSさんかぁと順番が来ただけだと思っていたが、次の夜勤明けのときはさらに体調を崩してしまったらしく辛うじて勤務を終えた状況だった。

あまりにも辛そうだったので声もかけられないくらいだった。申し送りを終え受診しお手洗いに行っていたが私が日勤でバイタルを2部屋分とってもお手洗いから出てこないので心配になってしまった。

そのうちよろよろと出てきて帰っていったのが最後に見た姿である。

そして私は元よりとっていた連休を経て訃報を聞いたのである。

 

朝の申し送りで管理職からSさんが亡くなったことを聞かされた。一瞬何を言っているか分からなかった。頭が真っ白になる、というやつである。現実はいつだって残酷で手加減してくれない。患者さんの申し送りが始まりスタッフがすすり泣く声が聞こえてきた。私は…大丈夫だろう、と思ったらうっと堪えられない感情が嗚咽とともに出てきてしまった。ぐす、ぐす、鼻をすする。申し送りを聞かなくちゃ、具合悪い患者さんの話を聞かなくちゃ。ぐす、ぐす。なんで、どうして…

 

長く一緒に勤めてきた人たちが目を真っ赤にしていて口を開いたら苦しくてわめいてしまいそう。みんなこらえて申し送りを聞いて配置についた。知ってる人がいると安心して一緒に泣いてしまうから1人になって誰とも話さず1日業務にあたった。

 

帰り際にちょっと話して泣いて帰った。

次の日の朝は目が覚めた瞬間もうSさんはいないんだと思うと泣いてしまいみんなが辛いのはわかっているけど休むことにした。1日ぼーっとしてずっと楽しかったことを振り返っていた。

その次の日は朝出勤して大丈夫と聞かれたら泣いてしまった。

なぜねねさんはそこまで泣いているのか?Sさんのこと好きだったのか?と不審がられそうなくらいの状況である。それについては恋愛としてではなく人として好きだった。男女など関係なく。職場の人とはいえ5年も一緒に命と向き合ってきたら戦友という言い方のほうがしっくりくる。大切な戦友を失ってしまった悲しみは大きい。

私が辞めるまで辞めないで下さいねって言ったのに冬のボーナスもらったら先に辞めちゃってさ。さみしいよ。でも、もう決して環境がいいわけでもない職場に悩むことなく退職金とかのことも考えずに離職できたからあとは重たい体を置いてゆっくりとパチンコしたり旅に出たり本を読んで過ごしてほしいの。

 

Sさんが職場に来なかった日、「仕事疲れちゃって旅にでも出ちゃったかな」と言った人がいた。旅に出たんだと思う。煙になって骨は置いてふわふわとした雲に乗って。

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朝焼けを見て夕暮れを見て馴染みのある街を漂って思い出の宮崎にも遊びに行ったかしら。

 

ロッカーの荷物は早々に片付けられSさんのご家族に渡されていた。葬儀までの日、共有で聴診器をかける場所に『S』と名前の書かれた水色の聴診器を見つけた。みんなが取りやすいように手前に置くなか、1番奥にかけてあった水色の聴診器。そんなとこでも気遣いをしてくれている人だった。そっと手に取り管理職にご家族に渡してくださいと託した。

どんどんSさんのいた証がなくなっていく。処分していい重要ではない申し送りのメモをこっそりもらった。Sさんの形見である。お守りとして白衣のポケットに入れてある。丁寧な字体がほんわかとした彼らしさをよく表している。

 

あまりにも多くの思い出があり、葬儀に出席する管理職にご家族さまに手紙を託した。紙を重ねるといけないとのことで紙一枚で思い出を書き切るにはとても足りなかったがSさんのおおらかな人柄には大変支えられたと伝えた。

封筒だけ棺の胸元に置いてくれたらしい。Sさん宛にもきちんと手紙を書けばよかった。

私は…Sさんになんの感謝も伝えらなかったことが残念でならない。一緒に働けたことがここ1年何よりの励みでした。本当にありがとう。Sさんのために何もできなかったな、、具合が悪いことを気づいていたのにこんな結果になることを止められなかったことが悔しい。私が流す涙はさいごにあなたに贈れるものです。そんなものしか贈れないなんて。

 

 

数々の命の終わりに向き合ってきたが、若い人が亡くなるのは辛さがまた違う。この死の気配を感じる力があるのに「まさかね…」とうやむやにしてしまった無念さはもう2度としたくない。きっとこうやって見送る人なんだろうなと思う。大切にしたい日々に誠実に向き合うしかない。

 

明日が来ると思って来なかった人と、あなたを失っても私には明日が来る。大切なものを欠いても欠いても明日が来るなら欠いたものの思い出と一緒に明日を迎えようではないか。この悲しみはあなたと過ごした日々の一部。忘れたくないからずっとずっと抱えて生きていたいの。