ここから先は私のペースで失礼いたします

さかもツインの健康で文化的なようでそうでもない生活をお送りいたします

夏の終わりの地獄絵図

ねね(姉)は幼少期からよく寝て過ごしてきた。寝てばかりいるから頭を使うことが苦手でそれは今でもそうだ。

バカというくくりに入っていると思う。いや、入っている。

バカゆえ、夏休みの宿題は計画的に終わらせたことなどない。だいたい30日から死ぬ気でやって、終わらないので、忘れたふりをして9月5日くらいに出していた。それでもなんとなく許されるのを何となく知っていたからとにかく宿題をやらなかった。

宿題以前に、小学5年のとき、ノートを配られ1日1ページ何でもいいから自己学習をしろ、そしてそれを提出しないと通知表を渡さないという先生がいて、まぁねねのことですからね、やらないで出さなかったんですよ。そしたら「忘れたの?じゃあとっておいで」と通知表お預けくらっちゃいましてね。

嫌んなって家に帰って1日1ページのノルマをだいたいノート半分くらいやるはめになって、諦めて寝たんですね。

そしたら夕方家に電話がかかってきて「ノートまだですか?」って。

うわー。こいつ本気だよー。通知表くらい渡せよー。と思いながら何とか出来上がったノートを持って小学校に戻ると先生は氷の入った麦茶を飲ませてくれて通知表をくれた。

先生とねねの根性比べは先生の電話でねねの負けでした。大人になってから思うとあの先生、ちゃんと待っててくれて偉いなって。

夕方5時ですよ、ねねがノートを持っていったのは。終業式は11時前に終わり他の先生がほぼ帰った中待っててくれたんですね。全然ありがたくないし、こっちは死ぬ思いでノートやったんだ、という気持ちはありますがあの先生みたいに誰かのために待ってることなんてもうそうそうできない。

結局怒られることなく、2学期も頑張ろう的な話で終わった。先生がくれた麦茶は冷たくておいしかった。

真面目にやらないで麦茶をもらえるのはなかなかずるいけどおいしいと思う。

 

 

中学に上がっても宿題はまともにできなかった。

美術では画用紙を1枚渡され家から見える景色を描け、という課題で、ねねが描いた絵を見た母が「こんなん出せるか!」と怒り、画用紙の裏に絵を描きはじめた。とてもうまかった。母はもしかして描きたかったんじゃなかろうか。それはもう知るよしのないことだが。

家の窓から見える右半分をねねの画用紙に、左半分をめめの画用紙に描いて提出したところ「上手」のお墨付きをいただき、優秀作品としてしばらく廊下に飾られていた。母の絵が認められた瞬間だった。

 

 

高校は更に肝がすわり、その教科の最初の授業日に宿題回収という期限を悟り、9月の前半まで夏休みの宿題を延々とやった。

英語を訳せよ、というドリルみたいのは全部勘でやった。怒られなかったからいいのだろう。評価は「全然できてません」だったが当たり前だよ、勘だもんできるわけないじゃん笑

最低評価をされても気にしない、それがバカの夏休みの宿題だ。

 

今は宿題のない生活なので夏の終わりを穏やかな心で迎えるが、学生時代当時はハチャメチャだった。

さかもツイン、2人してこんな性格なので、部屋中に教科書だ宿題だぶっちらかして地獄絵図だった。

 

 

先日エロに目覚めた甥ちゃん(小2)がもうだいたい宿題終わった、と余裕こいてるのを見て、地獄絵図を思い出しただけ。

大人はいいよ。宿題ないから。大人は楽だよ。宿題ないから。大人になって良かった。

穏やかな夏の終わりだ