先日めめ(妹)の紹介でマッサージを受けてきた。施術者は全盲のおじさんだが不思議な魅力とすごい技術を持っているとのこと。インターネットやチラシで大々的に宣伝しているわけでもないので一見さんお断りみたいな敷居の高さがあるが運よく予約をとりつけてもらえたので行ってきた。
都内の住宅街の一室。出迎えてくれたのは細いおじさん。玄関には白杖があり視覚障害があるということを教えてくれた。
施術室で自己紹介。視力が徐々に弱まりほとんど見えなくなったときにこの仕事を始め十数年経つこと、色んな患者さんがきていること、体が本来の力を取り戻せるようにし長生きできる体をつくることが目指すところだそうだ。
按摩(あんま)という分類になるかと思われる。
最近のねねの体はだるくていつも眠たい。やる気はないしぼーっとしていることも多い。肩こり腰痛はわりといつも。そんな自覚症状を伝えると早速体をみてくれた。
脈をとり腕をさする。足の様子をチェックする。
左股関節が弱いらしく坐骨神経痛症状も自覚していたのだがそこを見事に当てられる。左足の筋力が低下し右半身に負担がかかっている状態で肝臓周囲のゆとりのなさから肝機能が低下し疲労感やだるさがあるという。
「最近お酒弱くなったでしょう」と言われたがここ1,2年で全然飲めなくなってしまった。ズバリ当たっている。肝臓が弱い自覚はなかったが症状が繋がってくると自覚せざるを得なかった。
「最近ぼーっとする」というのも第1脛椎の歪みで椎骨動脈からの血流が弱まり脳底動脈から脳への血流が悪くなっているのでそういう症状が出るとのことだった。普段キョロキョロしたり首だけで振り向いたりスマホを何時間も眺めたり首への負担が大きい。体の歪みから普段の生活のクセを指摘され納得してしまった。
頭や首をトントン叩いたりさするうちに頭がすっきりしてくる。表情を強ばらせていることも多いので顔の凝りも指摘された。
仕事で緊張が走る場面も多々あり気付くと喉と顔が力んでしまう。顎、喉元から胸骨あたりまでの突っ張り、緊張感をほぐしてもらったあと、声が出しやすくなった。先生は目が見えないからこそ指先の感覚、触った感覚から感じとるものが多いらしい。経験ももちろんあると思うがこうも普段の体のクセを指摘され、そこをほぐされて症状が改善されていくとすごいとしか思えない。
按摩中も色んな話をした。こういうマッサージのときは寝たふりをするねねがずっと喋りっぱなしというのも珍しい。
地域の話、越谷レイクタウンの話、妹の話、次から次へと話し会話が途切れない。リラックスして和気あいあいとした時間をすごせた。
普段の仕事では看護にたずさわり患者さんの体に繊細に触れるため腕や肩周りの緊張が強いらしい。人の体に触れるというのは傷付けないよう神経を尖らせているので業務内容に関わらず疲れはある。普段守る仕事をしているから休みの日破壊的な行動をしてみるのもいいよ、太鼓とかやってみたら?と言われた。確かにそれはよさそう。守るためにぐっと力を入れている腕を投げつけたり叩いてみたり力の限り振り回したらうまく筋力のバランスがとれそうな気がする。
施術とは無関係だが全盲の人と接する機会がほとんどないので全盲というのはどんな感じなのかと聞いてみたら「光はぼんやりとわかるよ、でも不便不便。家の中は動けるけど外へ出たら何がなんだかわからないからね。でもバスに乗ったり電車に乗ったり色んなとこへ行くよ」とのことだった。
施術室も玄関もトイレも片付いていてキレイだった。身の回りのことを手伝ってくれる人が必須ではあるが携帯電話を操作したり窓を開けたりストーブをつけたりと何でも器用にこなしていた。
視界に依存しているねねは視界がなくなったら怖い。見えないという世界を生きているのはどんな気持ちなのか、勝手に苦しみや不便さを推し量っていただけのようで、あっさり「不便」という先生はその世界を受け入れていた。それと同時に「あの人は○○だからかわいそう」みたいな軽はずみな思考を少し恥じた。全て自分だけの先入観で、その人がどう生きているのか接してみないとわからないものである。手伝いが必要な人には手を差し伸べるべきだが、かわいそうと決めつける必要はないようだ。
ねねの中のコミュニケーションではその人の弱いところや辛かったことを知っておきたいというものがある。そういう経験を越えてきたから今その人が形成されている、という土台のようなものだ。土台を知って敬意を払って関わりたいので先生と関わるために見えない世界と先生のことを少し知れてよかった。
ふと「ねねさんからお母さんの感じがします。めめさんよりも強く感じます」と言われた。他界した母の声が先生に聞こえたらしい。どうやら最近のねねの不調が心配だったらしく先生に見てもらいたかったらしい。あんまり無理はしないで、とのことだった。
ねねには霊感はないが、その先生の感覚について妙にしっくりしてしまった。
広大な景色を見ているとき、ねねひとりだけの視覚ではないのだ。誰かと一緒にこの景色を見ている感覚があるのだ。そしてそれが多分母であるという感覚がある。これは誰にも言っていなかったが感動するような景色を目の当たりにしたとき、「見えてるよね?」と声をかけたくなるほどひとりではないのだ。それがやはし母だったようだ。
幽霊も故人の念も科学的には証明されていないし思い込みじゃない?と言う人もいるだろうけど、思い込みにしてはずいぶんと生々しく感じるのだ。死後の世界についてはよく分からないが、この世には証明できない出来事も多々あるのである。そしてそれをねね自身体感することはないだろうと思っていたが体感していたようである。
あぁひとりじゃなかったんだな。
とても暖かい気持ちになった。
色々とよろしくお願いしますと頼まれたようで先生は「しっかり見させてもらいます」と言ってくれたのがありがたかった。
肋間や腕回り、背中をさすられているとき喉がムズムズしてしまった。
「あ~こりゃだるいでしょ、悪いの出てきたよ?う~んだるいだるい。これはひどい。」とどうやら喉の奥から悪いものが出てきたらしい。悪いものが何なのか証明はできないが、喉のムズムズ、咳をしたいような感じが止まらない。
肺の奥の方から病院や色んな場所でもらってきた菌や氣というものだろうか。確かに職場では高齢者で肺炎の人が多く常々痰を吸引して回っているので健康だから肺炎を発症しないというだけで菌をたくさんもらってきている。病室はエアコンをかけ窓を締め切りにしているので空気は悪いだろうな~と思った。
喉のムズムズが落ち着くと体のだるさが嘘のように抜けていった。
それと同時に先生の口臭がちょっとキツくなった。それまでは全く無臭だったのに。時間がたてば匂うタイプの口臭ではない。歯周病のようなマウスケアをしても常々匂う臭いだった。この明らかにわかる差に驚いてしまった。
患者さんのだるさや悪いものをもらうことは多々あるらしく、そういうときはファミレスのドリンクバーを飲みながらゆっくりしたあと公園を深呼吸しながら散歩するらしい。それで悪いものが抜けるそうだ。
きれいな空気を吸うとシャキッとするというのは悪いものが抜けるからだろう。こういうとスピリチュアル要素が入ってきて大丈夫?となるかもしれないが、実際に体感してしまうとやっぱり空気って大切なんだよな~と思う。人間の体の医学や科学では証明できないではない場所からのアプローチはねねの体をとても軽くした。
仕事での身のこなしかたやリラックス方法など為になる話を聞けたので今日早速職場のおばちゃんに「普段守るという仕事で疲れているので休みの日は破壊活動をするといいらしいですよ」と話したら「確かにいらないお茶碗とか割るとすっきりするもんね」とのことだった。壊すということは意図しないとなかなかできないので壊していいものを見つけたらやってみようと思う。
ついついスピリチュアル要素たっぷりな話となってしまったが、なんか妙に元気になったのでそういうこともあるんだね、と思ってくださればうれしい。そんな不思議な体験。