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さかもツインの健康で文化的なようでそうでもない生活をお送りいたします

私はここで大塚幸代さんにそっと光を当てる

大塚幸代さんという人を知ったのはつい最近のことで「こじらせかたが似ている」と言われたことがきっかけだった。

 

それまで自分が「こじらせている」なんて思ってもみなくて驚いてしまった。でも世間的には結婚適齢期を過ぎても独身でいる人のことをこじらせ女子(もしくは男子)と言うこともあるらしい。ネット記事を読んで今知ってショックを受けている。こじらせ女子言うな!バカ!放っておけ!とこじらせ女子について書かれた記事を読んで思った。

 

こじらせ女子としての自覚が少し芽生えてしまったので、こじらせ、について考えてみた。

こじらせるの意味は『物事をもつれさせ、処理を難しくする。めんどうにする。』だそうだ。

めんどくさい人という解釈でもいいのかもしれない。自我やこだわりが強い人ほどこじらせ女子と言われてしまうのかもしれない。あぁ、私のことだわ。好きなものは好きだし嫌いなものはとことん拒絶する。書いていて思う。私はめんどくさい人だ、と。こんなこじらせているのは私だけではないかと不安になる。(こじらせ)仲間がほしい…藁にもすがる思いで大塚幸代さんのことを調べてみた。

 

大塚幸代さんはデイリーポータルZというポータルサイトでライターをしていた。

大塚幸代さんを知らなくてもデイリーポータルは知っているという方は多いのではないだろうか。


デイリーポータルZ

 

 デイリーポータルでは大塚幸代さんの記事をまとめたものがある。

http://portal.nifty.com/2008/02/13/a/
@nifty:デイリーポータルZ:腹いっぱいパクチーが食べられる店

大塚さんは食べ物の記事を書くにしても、ただの実験料理と か食べ比べの記事では終わらずに、落語で言う「枕」みたいな話から入ったり、自分の記憶や経験と結びつけた切り口が存在していたりして、そこにどのライ ターとも似ていない独自の色がハッキリと出ていて、パソコン上に書かれた文字でも大塚さんの肉声で聞こえてきます。

玉置豊さんのお言葉。

玉置標本というライター名で食べ物へのこだわりがすごい人という認識でいいと思う。
玉置標本 の記事いちらん:デイリーポータルZ:@nifty

大塚幸代さんという人の独特なスタイルをこうやって他のライターさんが誉めている。すごいことだと思う。

 

 

 その中の記事をまとめたものを電子書籍で出している。『初恋と座間のヒマワリ』だ。

https://www.amazon.co.jp/%E5%88%9D%E6%81%8B%E3%81%A8%E5%BA%A7%E9%96%93%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%9E%E3%83%AF%E3%83%AA-%E5%A4%A7%E5%A1%9A%E5%B9%B8%E4%BB%A3-ebook/dp/B01C5N2U34
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元祖こじらせ系ライター・大塚幸代が人気サイト『デイリーポータルZ』にて11年間書き続けてきた500本超の記事の中から、「青春」をテーマに厳選し大幅加筆した10本の記事に本秀康によるキュートな挿し絵を合わせて1冊にまとめました。ベランダで野宿したり、お金をまったく使わず1日過ごしてみたり、デイリーポータルZならではのノリの中に紛れ込む生々しい自分語りの数々。デイリーポータルZ掲載時にはモザイク処理を施したアノ写真も無修正高解像度で収録!! 大塚幸代のガーリィ節を心ゆくまでご堪能下さい。


f:id:sakamotwin:20180705205552j:image

かわいらしいタイトルを過ぎ来歴をみる。


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手書きのプロフィールというのも今どき珍しいが、この何とも言えない文字が大塚幸代さんという人を表しているようで見いってしまう。このご時世手書きの文字がこんなにも愛しいものなのかと思った。

 

 心身の不調を抱えることも包み隠さず書いている。あとがきには10代の頃はパニック障害摂食障害、20代の頃には双極性感情障害など色々悩まされてきたようだ。

 

そんなこじらせ女子(精神科疾患をそんなポップに言いたくはないが大塚幸代さんの表の顔のライター職を考えて言わせてもらう)がこじらせた心を抱えながら色んなことに挑戦しているのが面白い。どうしてこの人はここまでやるのか、と思ってしまう。もちろんネタとしてやるのだろうけど、ベランダで野宿はすごい。一応女子だからさ…。

 

はじめての野宿。(ベランダで)
f:id:sakamotwin:20180705205713j:image
http://portal.nifty.com/special05/08/10/
@nifty:デイリーポータルZ:はじめての野宿(ベランダで)

 手書きのメモに色んな気持ちを書き込んでいる。まるでこちらまでベランダで野宿している気分になる。大塚幸代さんの体験は記事を読んだ人に同じ感覚を植え付けるような強さがある。

 

 

 お金を使わない1日
f:id:sakamotwin:20180705210722j:image

http://portal.nifty.com/2008/05/21/a/
@nifty:デイリーポータルZ:お金を使わない1日(リアル)

どんな気持ちになったか、何をしたか、どうなったか、事細かに手書きで記載されていてドキュメンタリー番組を見ているようだった。空腹やそれによる不安、調子が悪くなっていくこと、時間が経つにつれて文字も雑になって心の荒み具合がよくわかる。本物の言葉だよなぁ、と重みを感じる。

 

うれしい、ハッピー、へこむ~、みたいな薄っぺらいありふれた感情ではない。
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 辛い、の言葉が重すぎる。

辛ければやめればいいじゃない、なんて野暮なことは言わないでほしい。

人間が荒んで弱っていく様を大塚幸代さんが体を張ってやっている。それを見て『弱る』ということを我々は『知る』べきなのだ。あなたの『辛い』を知らなければあなたに手を差し伸べることも声を聞くこともできない。どんな状況になると弱るのかは人それぞれだと思うが、お金がなかったり空腹だったりすることは人を弱らせると証明している記事だ。

 

 

多分2011年の東日本大震災の辺りからテレビからは希望や絆、愛などポジティブなことばかりを発信している気がする。

前を向いて頑張ろう的な。J-POPも明るい歌が増え、西野カナが「会いたくて震える」と歌えばギャル演歌、メンヘラという声が上がる。私が青春を過ごした1990年代は椎名林檎Coccoがどろどろとした執念というか負のオーラが漂う歌詞を歌っていてそれを聞いていた。失恋ソングみたいなのが多かったと思う。そういう時代だった。

多分誰しも心のなかに持っている病んだ部分を今はメンヘラという言葉で括って見ないように、関わらないようにしていると思う。いいところも悪いところもあってこその人の心なのだから、負のオーラを否定してはいけない。そういう心の内もあるよね、とお互い理解しあえたらもう少し楽になる気がする。

 

人間の本質は変わらないのに絆や愛を解いて、心の闇とかこじらせたところをめんどくさいと蓋をする時代だ。

 

失恋すれば食事が喉を通らず友人に泣きつき、新しい恋人ができればウキウキしながらデートへ出掛ける。恋愛に限らずいいことも悪いこともあって当然なのだが、未練たらしく弱々しているうちに時代はひとつ先に進んでいってしまった。きっとリア充と呼ばれる人たちがキラキラしたところだけを抽出して造り出してしまったのだろう。

最近のヨーグルトの蓋の裏や生理用ナプキンの包にはポジティブな言葉が書かれている。「全部思い通りになるよ」「明日は明日の風が吹く」「気持ちを楽にね」

っっあーー!し・る・か!知るかこのやろう。知らない人から何の責任もない言葉をかけられても心に響かない。ちょっとイラッとするのだ。

こういうこと言われると嬉しいよね、とキラキラした人たちがキラキラした会議をしてキラキラした言葉を書いているのかもしれないので仕方ないけど薄っぺらくてやるせない。

 

大塚幸代さんはこのキラキラを全部取り払って心の弱った部分とかこじらせている部分とかをありのまま書いている。正直それは同じこじらせ女子として安心する部分なのだ。

 

どうして明るくなれないのだろう、人とうまく付き合えないのだろう、そんな思いを他の人もしているということを知るの気持ちが軽くなる。悩んでいるのは私だけじゃないんだ、と励まされる。

大塚幸代さんには大塚幸代さんの事情があって、だけどそれでも楽しいことを探して記事を書いている。前も後も見ているのだ。前向きに、というけども後ろを見なければどんな道をどう通ってこうなったか考えられないと思う。前を見て突っ走るだけではダメなのだ。まだできる、もうできない、きちんと心の闇とも向き合って自分の進む前方向を見定めなくては。

 

 

 

残念ながら大塚幸代さんは2015年、43歳の若さで亡くなられている。死因は公表されていない。

新しい記事をもう読むことはできないのだな、という気持ち。死んだ人の心の内を直視するのではと、この初恋と座間のヒマワリを読むのにはずいぶん時間がかかった。

私自身人の死というものが怖くて目を背けているところもあるからだ。

 初恋と座間のヒマワリはあとがきで「うまくいったら紙の本になればいいのにな」と書かれているが電子書籍が発売され2年後に大塚幸代さんが亡くなられているのでその願いも叶わず言葉だけが取り残されている。私はこの本を紙で読みたかったなと思う。

 

死というのはどこからが死なのか。

心臓が止まったら?脳細胞が死んだら(いわゆる脳死)?人々から忘れ去られたら?

大塚幸代さんのようなライターとして何かを世に送り出す人はその記事が残っている限りインターネットの中で生きていると思う。

だけども新しい命が毎日誕生するように、新しくて面白い記事が毎日更新されていく。古いものは埋もれて人知れず消えていく。

そういうもんだけど、そこに大塚幸代さんと関わり彼女の書くものが好きという人がいて、その人を追いかけている人がいるうちは何度でもインターネットの片隅から大塚幸代さんを見つけて光を当てて残された記事を面白いと思う人が増えればいいなと思う。

 

紙媒体の物質ではないので、手にとることもできない初恋と座間のヒマワリであるが、大塚幸代さんの記事と共にここに残しておく。姿形のないものを残すのは難しい。

私も大塚幸代さんに光をそっと当てる。インターネットの片隅で。

初恋と座間のヒマワリ、面白かったよ、と言っても本人にはもう届かない。たくさんの記事を楽しんだり救われたりしてもありがとうのお礼も言えない。

それはちょっと切なくて少しだけ涙が出てしまったのだ。