仕事の帰り道、乗り換えの駅に青山フラワーマーケットがある。旬のお花をおしゃれに売っている花屋だ。昔ながらの花屋は花を冷蔵のショーケースに入れているので店頭にそのまま色とりどりの美しい花が売られているとヨーロッパの花屋に来たような気分になる。ヨーロッパの花屋など行ったことないけど。
赤、ピンク、オレンジ、黄色、色とりどりの花たちが帰る私の心を柔らかくする。たまに花を買って帰る。誰かにあげるため、飾るため、仏壇に供えるため。好きな花を選ぶというのはとても気分のいいものである。
20代の私は滅多に花を買うことはなかったが、30代に入り我が一族の墓が設けられ仏花を買うことが増えた。こだわりの強い私としてはスーパーで売っている仏様用の菊の花の束が嫌いなのである。みんな同じように見えて個性がない。いつも同じような花束をもらったらきっと100年の恋も冷めてしまう。
仏花の菊は邪気を払うとされている、長持ちする、などの理由があるそうだ。それでもせっかくお供えするなら季節の花を供えたい。かわいくあること、華やかであること、が私の仏花を選ぶときのポイントである。
一族の御霊のことを考えると多分西友などで売っている菊の花を嫌がるだろうと思う。素敵な花ね、と喜んでもらいたいし、素敵な花を供えられたな、という喜びを私も味わいたい。
今まで墓の近くにあるおじさんがやっている花屋に行っていた。この花屋は私が子どもの頃からあった。随分昔に母の日にここで何か花を買ったことがあったようなないような。青山フラワーマーケットのようにおしゃれでなく町の花屋といった感じだった。
この花屋のおじさんはすごくて、「お墓用の花を、いくらくらいで、菊は入れないで洋花でお願いします。」というとものの5分くらいであっと驚くような花束を作ってくれるのだ。季節の花を入れてくれて、多分少しおまけしてくれていたと思う。値段以上に華やかなのだ。おしゃれな花ではない昔からあるような花を組み合わせて美しい花束を作ってくれる。
何度か行くうちに「いくらくらいで、お墓用で。」と言うと「洋花がいいんですよね?」とこちらの好みを完璧に把握してくれていた。
これは秋の花。赤と黄色が映える。
これは白ベースで、とお願いした花。紫の差し色が利いている。多分命日のときの花かな。
これは冬の終わり、春っぽいのをとお願いした。チューリップがかわいらしい。
これはピンクっぽい感じ、と言った時。この花を持って墓まで行くとき、きっと一族の御霊たちが喜ぶぞ~とウキウキした。花を持ったときの女子は無敵なのである。
この花屋さんに任せておけば大丈夫と思っていたのだが突然閉店してしまった。今までたくさんの素敵な花をありがとうとお礼も言えなかったことが悔やまれる。今日あるものが明日もあるとは限らないな、と思った。
そこからは自分で花を選ぶようにしている。町のおばちゃんがやっているような花屋だと「この花とこの花を入れて…」「あと何入れたらまとまりますかね?」などと言いながら花を選ぶ。
なかなかあの花屋のおじさんのようにうまくいかないのでこれに関しては花を見る目を養っていかなければならないと思っている。
先に述べた青山フラワーマーケットに春の花、スイートピーが並び始めた。ふわふわとした白や黄色、ピンクの花びらがかわいらしい。そうか、もう春か。墓にスイートピーを飾ろうか、と思い付く。チューリップやラナンキュラスも合わせて。
うん、かわいらしい。ピンクの柔らかさが心を和ませる。うちの墓だけ芸能人の墓みたいだね、と笑う。こだわった分いい感じの出来映えになるととてもうれしい。
長い冬を終えたら春がくる。花の季節がやってくる。次はどんな花を持っていこうか。きっとまたピンクの花になるだろうが楽しみにしていてほしい。そんな気持ちで仏花を買うのを楽しんでいる。
私が死んだらお供えするのはピンクの花にしてほしい。お葬式の祭壇などいらないけど棺のなかはピンクや白、赤のかわいらしい花をたくさん入れてほしい。できれば喪服など来てこないで華やかな色のおしゃれな服を着てきてほしい。どんな死にかたをしたいか、など希望はないが従来の型にはめられた葬式は嫌だ。そしてできれば春にピンクのスイートピーを供えてほしい。死者に口なし、ならば生きているうちに死後の希望を少しだけ言っておこうと思った。