あっちゅーまに三が日過ぎて明日からは仕事やん。今年もやったろうぜとゴロゴロ家で過ごしてる。
さかもツインもち
食った
ツインキャット
ラブラブ
うまいでやんす
2021年も宜しくな!
今日は大晦日。めめは仕事は26日に終えて自宅の大掃除を済ます。実家の大掃除も少しやる。ずっと立ち仕事、無理な姿勢でゴシゴシゴシゴシ汚れを擦る。非日常の動きにポンコツボディーはついていかない。めめに何が起こったか?血栓性外痔核が出来上がった。大掃除で綺麗になっていく家に引き換えてけつは痛みを大爆発させた。
最初はちょっと痛いかなーお風呂に入れば治るだろうからのズキズキと日に日に深刻になる痛みへ発展してしまった。
動くと痛い血栓性外痔核。座っているところから立つ、立っているところから座る時はズキズキ痛む。段差を下るときはズッズッと降りるタイミングと共に痛む。ちょっと気づいたのだが動いて痛いときは手を後ろに伸ばしNARUTO走りのポーズになると尻の痛みは軽減されて凄いノーベル賞並みの発見だと思った。
一番厄介なのは笑ったらりヒヤヒヤしたとき。ふっとハハッと笑った時に尻がキュムとなり痛くなる。また足を小石などにぶつけて微つまづきしたときに尻がキュムとなり痛みがビッと走る。ささいな気持ちの変化でも括約筋が作動するのだなとまなんだ。感情と尻穴はリンクする。2020年コロナで無の1年だったがこの発見があったのでなんか良かったかなとも思えた。
尻の話で2020年を締めてしまうのも何だがまぁいいだろう。括約筋締めて血栓性外痔核を無くしたいと思う。
さぁ来年は何回この痛みを味わうことになるかな。出来れば味わいたくないよ。
良い年を迎えれるようにボラギノル塗って安静にするわ。
皆様は良いお年を。
2020年大晦日さかもツインめめ
那須ののどかな道を行くとガラスの城というラブホテルがある。
窓を開け爽やかな風を浴びながらドライブした後にたどり着くならこんなロマンチックな城がいい。
ガレージタイプのお部屋。107号室に入る。
(※退室時に撮った写真なので車を停めるスペースに青いカーテンがかかっている。空室時は空いている)
窓際の観葉植物と閉められたカーテン。物語が始まりそうな情景である。
ベッドルームは1段高くなっている。
足元には椅子がひとつ。
一応ソファーのエリアもあるのだが、ベッドルームにも椅子がある。
エマニエル夫人が座りそうな丸みを帯びた椅子は夜中にふと目が覚めた女が物音たてずベッドを出て恋人の寝息を聞きながら小さくため息をつくにちょうどいい場所かもしれない。少し離れたところでこれからのこととか考える時間も必要だ。
ベッドルームにはレースのカーテンがあるので引ききってしまうのもいい。今だけは2人きりの世界を味わって。飴色の電気が優しい気持ちにさせる。
ベッドサイドの引き出しには蚊取りが入っている。
今はこのタイプの蚊取りだねと話す。
過ごした時代が違うからマット式の蚊取りなんて知らないと君は笑うだろう。
ベッドルームからは三面鏡が見える。
今どんな顔してるかよくわかるからベッドまわりの鏡はあった方がいい。
陽射しがうっすらと差し込む洗面台。
生き返るような気分にさせてくれる。
浴室の扉の花柄はどこか懐かしい。
夜のため息をここで洗い流して。
洗い流したまっさらな体を拭いたら言いたいこともきちんと言えると思う。
さよなら飴色のとろけるような夜。さよならあなた。
2020年11月訪問
ドライフード、カリカリとも呼ぶね。
これ、大人のカリカリ。美味しい美味しい。
ディーンアンドデルーカで買ったクリスマスのスパイスクッキー。瓶詰めと言うところに惚れて買ってしまった。
ジンジャーのピリッとした風味、甘さは控えめでポリポリと食べ進めてしまうほど美味しいクッキー。
ねねにもあげたらカリカリポリポリと喜んで食べていた。止まらなくなるほど美味しい食べ物だ。
最後の方は湿気てしまったので
ザッザッ
炙って食べてみた。
火が通りやすい部位にあったクッキーはホクホクカリカリで美味しかった。熱いクッキーをハフハフ食べるって人間として至極の行為ではないだろうか?
真ん中の重なっていた部分はしっとりとしていてカントリーマアムみが少しでてそれはそれで美味しかった。
11月に買ったクッキーはもう店頭で見ることはなく寂しい気持ちで一杯なのだかこのジャーに詰まったクリスマスの幸せを味わえた記憶は残る。
さあ明日はクリスマスイヴ。なんもすることがねぇな。丸鶏が安くなってたら煮て食うか。もうクッキーは無いし一緒に居る人もねぇしな、ストーブの前でひっそり過ごすわ。
祖母が死んだ。95歳だった。
知らせが入ったのは木曜日の夜。久しぶりに美容室に行き散髪をして軽くなった頭をウキウキさせながらスマホを見たら父からの着信と「祖母が亡くなった」というメッセージが入っていた。嘘だ、何かの間違いじゃないか、という気持ちが大きかった。大切な人の死という現実を簡単には受け入れられない。ここ数年認知症と活動性の低下、年齢的なこともありいつ何があってもおかしくないということは自分でもよくわかっていたのだが、いざその日が来てしまうと考えることと受け入れることを拒否してしまう。
最後に会ったのは今年の3月のこと。
車イスで居間に来て食事をとっていた。声をかけても耳が悪いのでよく聞こえず、誰が来ているのかもわからないようだった。昼食をもぐもく食べる様子を見て忘れられる寂しさをぐっとこらえた。
帰り際にはもうベッドで寝ていて、寝顔を見て「どうか1日でも長く安らかな日を」と願った。大切なものに触れるとき、涙がこぼれそうになる。ずっとそう。この時間があまりにも儚くて尊いから泣きたくなるのかもしれない。予期悲観とも言うだろう。なにかひとつでも言葉を発したらおいおい泣いてしまいそうでいつも気の効いた大切なことが言えなくなる。
祖母は絶対「また来てね」「いい人見つけて結婚しなさい」「米があるから持っていきなさい」と言う。
私は「また来るよ」「いい人連れてくるから楽しみにしてて」「米はたくさんもらったよ、ありがとう」という。
この祖母にとって私という存在は特別なものだった。
初孫でもなく内孫でもない私がなぜ特別かというと生後2ヶ月のときに母の入院のため祖母の家に預けられたからだ。真冬の寒い田舎の居間でストーブをたいて祖父母で面倒を見てくれたという。当時の祖母は60歳。久しぶりの子育てに四苦八苦したようだ。
母が退院し私が帰ることになったときひどく泣いたという。その話はもう何百回と聞いている。当時を知る人が皆口を揃え「あのばあちゃんがおいおい泣いた」と言うのだ。
よほど大切に育ててくれたのだろう。受けとってきた愛情の深さを思い知る。大きくなってからもたくさんかわいがってくれ、私が成人しても「これ食べな」と近くのスーパーでたくさんおやつを買ってきて食べさせてくれた。30歳を過ぎてもたくさんおやつを出してくれてそれがもう多過ぎて食べられないからみかんを半分して2人で食べたりしたのだ。本当に輝くような美しい時間だった。
祖母が死んだ翌日、旅行に行く段取りがついていた。とても悩んだが葬儀に間に合うような行程だったので行くことにした。ひとりで海に行く予定もあったので行ったらきっと祖母にもその海を見せてあげられる気がした。
家にいてめそめそ泣くよりは気晴らしに外に出たほうがよかった。どんよりとした曇り空がちょうどよかった。
誰もいない海辺を歩いて歩いて歩いた。
もういつまでも子どもの気持ちじゃいられないんだなと思った。いつまでも子どものようにかわいがってくれる祖母はいない。これが大人になるってことなのだろう。
祖母は結婚するのが女の幸せだと思っている人だった。私も結婚して幸せになりたいと思うがこの歳まで結婚せずにきてしまった。じゃあ幸せじゃないのかと言ったらそうでもない。こうしてひとり旅をして好きな場所に行けるというたくましさがある。それは結構幸せなことだと思っている。
こういう幸せを幸せだと伝えるのがなかなか難しい。ばあちゃん、私はこういう誰もいない海が好きでね、波の音を聞いてね、きれいな貝殻を拾うのが楽しみなのよ。きれいな貝殻をお母さんの墓の横の砂利のところにまいてね、またこんな素敵な海に行ってきたのよ、って言うのよ。元気なときに連れてきてあげればよかったね、いっぱい見せたい景色があるよ、って少しだけ泣く。
家ではしっかりしなきゃいけないから、どこかひとりになれる場所で。波の音が泣き声もかき消してくれると安心する。
ひとつだけピンクと白の不思議な貝殻を拾ってリュックのポケットに入れた。山育ちの祖母と海を見られただろうか。きっと祖母にはこの海が見えていると思う。
沈む夕日を眺めながらまた歩いて歩いて宿へ向かった。
葬儀の日。
式場に着くとたくさんの写真があった。叔父夫婦といとこたちが選んで飾ってくれたらしい。
その中に私の2ヶ月頃と思われる写真があった。祖母に抱っこされて寝ている赤ちゃん。本当に本当に大切に抱っこしている祖母の姿、それを見たら涙が止まらなくなってしまった。私の知らない私の姿。今より少しだけ若くて元気な祖母の姿。タイムマシンがあるならこの頃に戻りたいよ。どれだけ大切に育てられたかわかるから、ありがとうと何度言ってもたりないから何度でも言わせてほしいんだよ。
「顔を見てやって」
と言われようやく祖母に会いに行く。
まるで寝ているようで安らかだった。聞くと数日前までおかゆを食べていたらしい。苦しさが全く感じられないいい顔だったので救われる思いだった。
顔に触れると冷たくて、お別れをしなくてはならないんだと痛感した。お経をあげてもらって立派な戒名をつけてもらって、棺にたくさんの花を入れて。誰にもわからないようそっと手元に小さな手紙を入れた。私と祖母だけの秘密の手紙。
それも火葬場で全部燃えてなくなってしまう。
皆は大往生だ、と言うけども大往生だからと言ってその死が悲しくないわけない。火葬場で待っている間食べたお弁当はちっともおいしくないし、お菓子もまずい。流した涙の分だけお茶を飲んで祖母の思い出話をする。この時間は本当に苦手だ。祖母の姿がなくなる瞬間に食べるものがうまいわけない。ひとりで外のベンチに座って雀にパン屑でもあげてやりすごしたい気分だ。
骨壺に収まった祖母を家に連れて帰る。
叔父がたくさんの写真を用意していてくれた。
中には私が撮った写真もあって、これは数年前の正月用の餅つきをしたときの写真なのだがとても好きな1枚である。いとこがこの写真いいよね、と言ってくれたのがうれしかった。アルバムのページをめくると元気な祖母の写真がたくさんあった。穏やかな日々ばかりでこれまた救われる思いだった。
思えば祖母との時間はほんの一瞬で、もっと好きな人の話とか旅先のおもしろい場所の話とか仕事の話とかすればよかったと思う。たまに手紙を書いて出せば喜んで何度も読んでいたという。私はそれがうれしかった。楽しみにしていた花嫁姿を結局見せることはなかったことだけは心残りである。
祖母の遺品として服を少しもらった。コート、スーツ、カーディガン、スカーフ。いつももんぺで農作業をしていた祖母だったがびっくりするほどおしゃれ着があったのでファッションも楽しんでいたのだろうと思う。楽しいことがあるのはいいことだ。大切にしたい。
そうね、あとこれだけたくさんもらった愛情をきちんと受け取って分けなければ。私の中のちっぽけな優しさはきっと愛情深い祖母に作ってもらったものなので、ちっぽけからもっと大きな優しさにしていかなければならないと思う。それは私自身で育てるしかない。もう子どもじゃないのだから。
大丈夫、ちゃんとやれる。やっていくからいつか私がそちらに行ったら一緒に海を見て温泉でも行きましょう。それまではこっちで色んな海を見ておくね。1番素敵な海に連れていくわ。
~追記~
このコロナの状況で、終末期の祖母とは主介護者の叔父夫婦ですらほとんど面会できず、祖母もひとりで入院生活をよく頑張ってくれたと思う。
入院中の様子は「看護師さんによくお話をしていた」と聞いている。同じような昔の話だったようだがいつも聞いてくれた看護師さんには本当に感謝している。
祖母の入院生活を支えてくださった病院スタッフの皆様。
入院中の様子を家族に伝えられるほどよく看ていて下さったことは我々遺族の心を救ってくれました。
忙しいなか、足を留めて話を聞いてくれたのでしょう。その心遣いが本当にうれしいのです。
長い人生を終えて家に戻ってきた祖母の顔は本当に安らかでした。きれいな肌と口元、日々のケアの質の高さが伺えます。たくさんお話してくださったのでしょう。口がきちんと閉じているというのはそういうことです。
円背がきつくて看護も大変だったと思います。体位変換も着替えも普通の患者さんより時間がかかったでしょう。たくさん手を掛けて下さりありがとうございます。この1年で看護師さんにかかる負担は本当にぐっと増えました。家族の面会も減り生きる元気がなくなってしまう患者さんも多々いらっしゃることでしょう。そんなとき側にいる看護師さんたちがどんなに頼りになるか。励みになるか。きっと祖母のよき話し相手となってたくさん励ましてもらったことと思います。
先の見えない状況ではありますがあなた方の存在で救われた心があります。誰にでもできることではないです。すごいことなのです。報われたと思えることが少ない現状かもしれません。嫌になることも多々あると思います。
それでも日々の積み重ねは誰かを救っています。救われた私は皆様に感謝しております。それが伝わればうれしいです。
お体には重々気をつけて、無理をなさらず。
ラブホ巡りをするときインターネットである程度前情報を得てから行くのだが、ホテル名、住所、電話番号以外全く情報がないホテルもある。行ってみないとわからない、未知のホテルにわくわくと飛び込んだ。ホテル明日香というホテルだ。
↑今ブログを書くために検索をかけたら画像付きで出て来てびっくりしている。
新白河駅から車で数分。本当にこんなところにホテルがあるの?というのどかな場所に明日香はあった。
ガレージタイプのホテルである。
訪問したのはユリというお部屋。
ユリの文字がかわいらしい。花の名前を部屋名にする可憐さがいい。
さて、おじゃまします。
カーテンのこの留め方が昭和~平成初期っぽい。さっと開けるでも閉めるでもない、ちょっとしたドレープには夢がある。
壁の謎のV。勝利を約束された気がする。
ベッドは今時っぽいシンプルな感じ。
このキラキラの鏡はメイクするとき便利だろう。
浴室は素敵なからし色。
シルキーバスの浴槽は新しそうだ。
ここらへんはレトロさの名残がある。
新しいと懐かしいが共存している感じ。
洗面所にはアメニティも揃っていて使いやすい。
トイレもきれい。
冷蔵庫の中にはおやつが入っている。
ラップまで。至れり尽くせりだ。
長時間滞在するのに便利だろうな。
コーヒーも飲めるし。
ちょっとした情報誌もある。
そして…
電子ピアノ?オルガン?キーボード?(楽器全然わからなくてすみません)
ラブホにこれ必要~!!?
もうびっくりしちゃったわ、もしもピアノが弾けたなら状態。
私、小学校の6年間でドリマトーン習っていたのですがひとっつも身にならなくてねぇ。何にも弾けないのですよ。弾ける人がいたらぜひ弾いてほしいです。きっと惚れちゃう。
ピアノの旋律に酔わせて口説くのもいいんじゃないですか、ピアノ弾ける皆様。
細やかな気遣いがなんだかほっこりする不思議なホテル。人知れずひっそりと、だけども大胆に。
2020年 10月訪問