ここから先は私のペースで失礼いたします

さかもツインの健康で文化的なようでそうでもない生活をお送りいたします

祖母と海へ

祖母が死んだ。95歳だった。

 

知らせが入ったのは木曜日の夜。久しぶりに美容室に行き散髪をして軽くなった頭をウキウキさせながらスマホを見たら父からの着信と「祖母が亡くなった」というメッセージが入っていた。嘘だ、何かの間違いじゃないか、という気持ちが大きかった。大切な人の死という現実を簡単には受け入れられない。ここ数年認知症と活動性の低下、年齢的なこともありいつ何があってもおかしくないということは自分でもよくわかっていたのだが、いざその日が来てしまうと考えることと受け入れることを拒否してしまう。

 

 

 最後に会ったのは今年の3月のこと。

車イスで居間に来て食事をとっていた。声をかけても耳が悪いのでよく聞こえず、誰が来ているのかもわからないようだった。昼食をもぐもく食べる様子を見て忘れられる寂しさをぐっとこらえた。

帰り際にはもうベッドで寝ていて、寝顔を見て「どうか1日でも長く安らかな日を」と願った。大切なものに触れるとき、涙がこぼれそうになる。ずっとそう。この時間があまりにも儚くて尊いから泣きたくなるのかもしれない。予期悲観とも言うだろう。なにかひとつでも言葉を発したらおいおい泣いてしまいそうでいつも気の効いた大切なことが言えなくなる。

 

祖母は絶対「また来てね」「いい人見つけて結婚しなさい」「米があるから持っていきなさい」と言う。

私は「また来るよ」「いい人連れてくるから楽しみにしてて」「米はたくさんもらったよ、ありがとう」という。

 

 

 

この祖母にとって私という存在は特別なものだった。

初孫でもなく内孫でもない私がなぜ特別かというと生後2ヶ月のときに母の入院のため祖母の家に預けられたからだ。真冬の寒い田舎の居間でストーブをたいて祖父母で面倒を見てくれたという。当時の祖母は60歳。久しぶりの子育てに四苦八苦したようだ。

 母が退院し私が帰ることになったときひどく泣いたという。その話はもう何百回と聞いている。当時を知る人が皆口を揃え「あのばあちゃんがおいおい泣いた」と言うのだ。

 

 よほど大切に育ててくれたのだろう。受けとってきた愛情の深さを思い知る。大きくなってからもたくさんかわいがってくれ、私が成人しても「これ食べな」と近くのスーパーでたくさんおやつを買ってきて食べさせてくれた。30歳を過ぎてもたくさんおやつを出してくれてそれがもう多過ぎて食べられないからみかんを半分して2人で食べたりしたのだ。本当に輝くような美しい時間だった。

 

 

祖母が死んだ翌日、旅行に行く段取りがついていた。とても悩んだが葬儀に間に合うような行程だったので行くことにした。ひとりで海に行く予定もあったので行ったらきっと祖母にもその海を見せてあげられる気がした。

 

家にいてめそめそ泣くよりは気晴らしに外に出たほうがよかった。どんよりとした曇り空がちょうどよかった。
f:id:sakamotwin:20201214215048j:image

誰もいない海辺を歩いて歩いて歩いた。

もういつまでも子どもの気持ちじゃいられないんだなと思った。いつまでも子どものようにかわいがってくれる祖母はいない。これが大人になるってことなのだろう。

 

 祖母は結婚するのが女の幸せだと思っている人だった。私も結婚して幸せになりたいと思うがこの歳まで結婚せずにきてしまった。じゃあ幸せじゃないのかと言ったらそうでもない。こうしてひとり旅をして好きな場所に行けるというたくましさがある。それは結構幸せなことだと思っている。f:id:sakamotwin:20201214215607j:image

こういう幸せを幸せだと伝えるのがなかなか難しい。ばあちゃん、私はこういう誰もいない海が好きでね、波の音を聞いてね、きれいな貝殻を拾うのが楽しみなのよ。きれいな貝殻をお母さんの墓の横の砂利のところにまいてね、またこんな素敵な海に行ってきたのよ、って言うのよ。元気なときに連れてきてあげればよかったね、いっぱい見せたい景色があるよ、って少しだけ泣く。

家ではしっかりしなきゃいけないから、どこかひとりになれる場所で。波の音が泣き声もかき消してくれると安心する。

 

ひとつだけピンクと白の不思議な貝殻を拾ってリュックのポケットに入れた。山育ちの祖母と海を見られただろうか。きっと祖母にはこの海が見えていると思う。

 

沈む夕日を眺めながらまた歩いて歩いて宿へ向かった。
f:id:sakamotwin:20201214220304j:image

 

 

 

葬儀の日。

式場に着くとたくさんの写真があった。叔父夫婦といとこたちが選んで飾ってくれたらしい。

その中に私の2ヶ月頃と思われる写真があった。祖母に抱っこされて寝ている赤ちゃん。本当に本当に大切に抱っこしている祖母の姿、それを見たら涙が止まらなくなってしまった。私の知らない私の姿。今より少しだけ若くて元気な祖母の姿。タイムマシンがあるならこの頃に戻りたいよ。どれだけ大切に育てられたかわかるから、ありがとうと何度言ってもたりないから何度でも言わせてほしいんだよ。

 

「顔を見てやって」

と言われようやく祖母に会いに行く。

まるで寝ているようで安らかだった。聞くと数日前までおかゆを食べていたらしい。苦しさが全く感じられないいい顔だったので救われる思いだった。

 

顔に触れると冷たくて、お別れをしなくてはならないんだと痛感した。お経をあげてもらって立派な戒名をつけてもらって、棺にたくさんの花を入れて。誰にもわからないようそっと手元に小さな手紙を入れた。私と祖母だけの秘密の手紙。

それも火葬場で全部燃えてなくなってしまう。

皆は大往生だ、と言うけども大往生だからと言ってその死が悲しくないわけない。火葬場で待っている間食べたお弁当はちっともおいしくないし、お菓子もまずい。流した涙の分だけお茶を飲んで祖母の思い出話をする。この時間は本当に苦手だ。祖母の姿がなくなる瞬間に食べるものがうまいわけない。ひとりで外のベンチに座って雀にパン屑でもあげてやりすごしたい気分だ。

 

 

骨壺に収まった祖母を家に連れて帰る。

叔父がたくさんの写真を用意していてくれた。f:id:sakamotwin:20201214222225j:image

中には私が撮った写真もあって、これは数年前の正月用の餅つきをしたときの写真なのだがとても好きな1枚である。いとこがこの写真いいよね、と言ってくれたのがうれしかった。アルバムのページをめくると元気な祖母の写真がたくさんあった。穏やかな日々ばかりでこれまた救われる思いだった。

 

思えば祖母との時間はほんの一瞬で、もっと好きな人の話とか旅先のおもしろい場所の話とか仕事の話とかすればよかったと思う。たまに手紙を書いて出せば喜んで何度も読んでいたという。私はそれがうれしかった。楽しみにしていた花嫁姿を結局見せることはなかったことだけは心残りである。

 

 

祖母の遺品として服を少しもらった。コート、スーツ、カーディガン、スカーフ。いつももんぺで農作業をしていた祖母だったがびっくりするほどおしゃれ着があったのでファッションも楽しんでいたのだろうと思う。楽しいことがあるのはいいことだ。大切にしたい。

そうね、あとこれだけたくさんもらった愛情をきちんと受け取って分けなければ。私の中のちっぽけな優しさはきっと愛情深い祖母に作ってもらったものなので、ちっぽけからもっと大きな優しさにしていかなければならないと思う。それは私自身で育てるしかない。もう子どもじゃないのだから。

 

大丈夫、ちゃんとやれる。やっていくからいつか私がそちらに行ったら一緒に海を見て温泉でも行きましょう。それまではこっちで色んな海を見ておくね。1番素敵な海に連れていくわ。

 

 

 

 

 

 

~追記~

このコロナの状況で、終末期の祖母とは主介護者の叔父夫婦ですらほとんど面会できず、祖母もひとりで入院生活をよく頑張ってくれたと思う。

入院中の様子は「看護師さんによくお話をしていた」と聞いている。同じような昔の話だったようだがいつも聞いてくれた看護師さんには本当に感謝している。

 

祖母の入院生活を支えてくださった病院スタッフの皆様。

入院中の様子を家族に伝えられるほどよく看ていて下さったことは我々遺族の心を救ってくれました。

忙しいなか、足を留めて話を聞いてくれたのでしょう。その心遣いが本当にうれしいのです。

長い人生を終えて家に戻ってきた祖母の顔は本当に安らかでした。きれいな肌と口元、日々のケアの質の高さが伺えます。たくさんお話してくださったのでしょう。口がきちんと閉じているというのはそういうことです。

円背がきつくて看護も大変だったと思います。体位変換も着替えも普通の患者さんより時間がかかったでしょう。たくさん手を掛けて下さりありがとうございます。この1年で看護師さんにかかる負担は本当にぐっと増えました。家族の面会も減り生きる元気がなくなってしまう患者さんも多々いらっしゃることでしょう。そんなとき側にいる看護師さんたちがどんなに頼りになるか。励みになるか。きっと祖母のよき話し相手となってたくさん励ましてもらったことと思います。

先の見えない状況ではありますがあなた方の存在で救われた心があります。誰にでもできることではないです。すごいことなのです。報われたと思えることが少ない現状かもしれません。嫌になることも多々あると思います。

それでも日々の積み重ねは誰かを救っています。救われた私は皆様に感謝しております。それが伝わればうれしいです。

お体には重々気をつけて、無理をなさらず。