中野ブロードウェイ、サブカルの聖地と呼ばれるこの場所はねね(姉)にあまり馴染みのあるものではなく初めて行ったのは成人してからだった。ごちゃごちゃとした商業施設は空気がよどみ居心地の悪い不思議な世界だなと思った。
つい最近中野ブロードウェイに居住区があることを知り「え、中野ブロードウェイに住めるの?」と大変驚いた。コープブロードウェイと言うらしい。そしてゲストルームという居住者を通して宿泊できる部屋があることを知った。伝を頼り大変図々しいお願いとなってしまったがこの度ゲストルームに宿泊できる運びとなりさかもツインはウッキウキしながらコープブロードウェイのゲストルームへ潜入した。
中野ブロードウェイは1966年に開業した地下3階、地上10階建ての建物である。地上4階までが商業施設、5階からは居住区になる。
コープブロードウェイはヴィンテージマンションと呼ばれている。
※ヴィンテージマンションとは築年数が経つにつれて価値が上がるマンションの事を指す。現代にはないレトロなデザインや雰囲気がありレトロフューチャーが好きな人にはたまらないのだろう。
コープブロードウェイの中について↓の記事が参考になった。
中野ブロードウェイに住まう。コープブロードウェイの魅力に迫りました!【マンションジャーナル】
ねねもレトロフューチャーな世界が好きで怖いもの見たさでコープブロードウェイへ向かった。
今回ゲストルームを手配してくださった『紫のバラの人』のような人より事前に連絡を頂いた。どちらかといえばホラー、とのこと。
さかもツインはそれなりに旅をして色んな場所に泊まってきているのでそんなホラーじゃないでしょう、多少の昭和感はあるかもだけど、言うほどじゃないだろうし平気でしょう、と話した。その考えは甘かったことを後々思い知る。
いつもの中野ブロードウェイ。今日はここに潜入するのだ、とワクワクする。
事務所で鍵をもらい、5階にあるゲストルームへ。
エレベーターを降りるとそこは昭和だった。
敷き詰められた赤絨毯は美しいのか恐ろしいのかわからなくなるほどに延々と続いていた。
BED ROOM E。これが今宵のさかもツインの部屋である。
ドアノブの鍵がなかなか開けられなくて戸惑う。
入ってすぐに空調設備のボタンが気になる。昭和遺産だ。空調はセントラル方式のようで強弱のボタンだけだった。
扉を開けるとまず左手にユニットバスルームがある。
戦慄した。なんならちょっと叫んだ。こわいこわいこわいって。
便器が怖い。蓋がない便器が恐怖そのものだった。独房なのかな、と思った。
いつからあるかわからない固形石鹸がこの夏一番の恐怖だった。絶対触ってはいけない、本能で察した。
全体的に明るいバスルームであるが、タイルの色褪せた感じや黄ばんだバスタブが恐怖でしかなった。
なんなら露骨な排水溝が吸い込まれそうで怖い。
カビではないが黒ずんだタイルの廃墟感が凄まじい。おどろおどろしい。清掃は行き届き臭いもしないのに、この洗面所で歯を磨く度にえづいた。うぉえっとえづいた。それはさかもツインめめ(妹)もそうでありさかもツインは泣きながら歯を磨いた。
部屋の中は普通のビジネスホテルのような感じである。ツインの部屋よりやや広いか。昭和レトロな雰囲気がある。
灰皿まである。この形の椅子はどこに行ってももう売ってないだろう。座り心地は悪くないがやたら軽いので背伸びをしようものなら多分椅子ごと転ぶ。
ベッドに昭和布団。この布団ですら怖い。
テレビ、鏡。
消火器まである。あとこの椅子はなんなんだ。柄が昭和。
昭和フォントの朽ちていく過程なんだろうな、と思う。
鍵。昭和ホテルみたい。
電話、怖い。
ライト、怖い。
絵画、怖い。
サイドテーブル、怖い。
懐中電灯、怖い。
あいにくこの日は台風が来ており停電の恐れもあると万が一のときは使おうと思ったができればさわりたくない逸品で使わずにすんでホッとした。
天井。
ダクトに何か挟まってい…たすけてたすけて!!助けて!助けてよ!怖い怖い!
さかもツインは軽く取り乱し少しして落ち着いた。無視することに決めた。絵画裏のお札の有無は確認するのをやめた。何か見つけてしまった場合、その現実と向き合いながらここに留まらなければいけない、それは無理だと思ったから。
クローゼットは木製で中に浴衣が入っていたが怖すぎて着るのをやめた。
宿泊者用にバスタオル・フェイスタオル・スリッパ・浴衣が用意されているが、怖くてどれも使えなかった。
ここで言う怖い、とは衛生面や怨念のことだ。臭くないし衛生的だとわかっていても怨念というか年期の入った古めかしさが怖いのである。
人は未知のものに恐怖心を抱く。この昭和遺産たちは昭和生まれのねねも知っているはずの昭和の物質たちなのだが平成の終わりに少しずつ廃れながら現役稼働していることが怖かったのだと思う。これらのものに触れても生死を脅かすことはない。けども日常からかけ離れた生活感のないこの空間はホラーでしかなかった。
昭和レトロが好きと言うくらいだがなぜが触れるとなると怖いのは昭和レトロの幻影しかみていなかったのかもしれない。レトロ風なデザインのワンピースは好きなのに古着屋で誰が着たかわからない歴史のあるワンピースがちょっと怖いのと似た感覚だと思う。
なにより窓がない部屋の閉塞感が辛かった。便器といい窓のない部屋といい「独房?」と何度もめめに問いかけた。
めめは黙ってコアラのマーチをひとりで食べ続けた。そしてうなだれていた。昭和の空気に当たり参ったらしい。何度も「終電で帰っていい?」とうわごとのように言っている。
それでも滅多に入れる空間ではないのだたくさん写真を撮って楽しんだ。昭和布団はバリッと糊がきいてとても寝心地がよかった。
築50年のこの場所はいつまで形を留めていてくれるのだろう。当時の輝きは少しずつ廃れてもレトロフューチャーという昭和遺産としていつまでも残っていてほしいと思うのだ。
最後に、快くお部屋を手配してくださった紫のバラの人もといKさんには大変感謝している。今まで泊まってきた宿泊所のなかで最恐のゲストルームだった。清潔なのに怖い、そんなホラールームで過ごした一夜のことは一生忘れないだろう。さかもツインの宝として心の中にしまっておく。ここのトイレで用を足せたのでひとつ強くなったと思う。本当にありがとうございました。