35歳の誕生日、私は佐賀にいた。毎年誕生日はひとり旅をしている。
新しいワンピースをおろし、好きなものを食べ、好きな景色を見る。誰に気を遣うでもなく足の向くまま歩く。自由と少しの寂しさを味わって歳を重ねていく儀式のようなものだ。
佐賀を旅先に決めたのは出発の2日前のこと。そこから飛行機のチケットや宿の手配をした。泊まりたかった宿は電話予約となっており電話番号をたどたどしくスマホに入力し「急で申し訳ないのですが予約を」と言うと快く対応して下さった。
無事予約がとれたことに安堵しメモに残す。カレンダーにも書いておく。「11月4日、ヨシ!」と言いながらリュックに好きな服を詰め込んだ。
午前中に家を出発し昼に福岡空港についた。駅でパンを買い特急に乗り込んだ。パンを食べていたら「この電車は佐賀まで行く?」と聞かれた。口いっぱいに頬張ったパンを飲み込むまで喋れない。手ででちょっと待ってというジェスチャーをすると、「食事中にごめんなさいね」と少しだけ妙な間が流れた。調べると佐賀に行くようだったのでそう伝えると「ありがとう」と言われた。無事に佐賀駅で降りていくのを見送り「良い旅を」と心の中で呟いた。 知らない誰かと話すのはちょっと楽しい。あの人はお土産の紙袋をどっさり持っていたからきっと佐賀空港へ向かうのだろう。家に帰りお土産を広げながら良い旅だったよと話すのだろうな。
人気の少ない車窓から眺める田園風景はどう切り取っても美しく、のどかな昼下がりだった。
この旅の目的は武雄温泉。
辰野金吾が設計した楼門は国の重要文化財となっており朱色が目映ゆい。
立ち寄り湯でひとっぷろ。弱アルカリ単純泉のやさしいお湯は肌当たりが良い。体が温まり移動で疲れた体は完全に癒された。
楼門の目の前にある白さぎ荘が今回どうしても行きたかった宿だ。元遊郭の建物は独特な造りで写真で見たよりもずっと格好が良かった。こういう場所は見るより行って体感するのがいい。
夕食をとるため外にでてまた温泉に入り宿に戻る頃にはすっかり夜が深まっていた。
人気のない夜道を歩くのは楽しい。シンとした夜の空気はこれからやってくる季節の匂いがする。大きく息を吸い吐き出すとふふふと笑えてくる。すっかりこの街の夜が好きになった。
控えめな宿の灯りはどこか懐かしく優しく光っていた。家に帰るようにここへ戻ってきた。夢をみる間もなくぐっすりと眠っていた。
翌朝チェックアウトのときに元遊郭の旅館と聞いてどうしても1度来てみたかったこと、来られて良かったことを伝えた。
「ここは私の代でもう閉めますから」と白髪のご主人が話す。「そうですか…」とだけ返した。
よければまた来て下さい、また来ますという挨拶をさよならのかわりにした。と廊下の赤絨毯、玄関の豆タイルを踏みしめ扉を開ける。見送ってくれるご主人に「お世話になりました」と言い駅へ向かう。そう遠くはない未来にここはなくなってしまうかもしれないと思うと無性に寂しかった。今の今まで守り続けてきてくれてありがとうという気持ちとなくならないでほしいという寂しさを混ぜるとなんという言葉になるのだろうか。できればずっとこのままでいて、で良かったろうか。
武雄温泉から唐津を目指す。
唐津線に乗り込む。
車窓は田園風景から松浦川へと変わった。あまりにも広い川なので一瞬海かと思ってしまった。
遠さがる電車を見送りたまたま降りたこの駅の想像以上の美しさにしばらく見とれていた。
誰もいないという美学があった。無人駅の静けさは世界が終ってしまったかのようだった。東京にいたら誰もいないなんてことはほぼない。この世界に私だけしかいない、ただ場所だけがあるという不思議な感覚を味わいなんだか泣きそうになってしまった。
次に来るときもまたひとりがいい。ここはそういう宝物のような場所。
鬼塚駅から徒歩で唐津へ向かい海を見に行く。
進む道は車は通るが誰ひとりとして歩く者はいなかった。鼻唄をうたいゆっくり歩く。
海に着き靴を脱いで裸足で歩く。
波の音を聞きながらきれいな貝殻を拾う。持って帰って部屋に飾ろう。いつだって佐賀の海のあの清々しさを思い出せるように。
目に映るもの全てが青くて眩しい。
海が夜の色に変わるのを見届け朝日が昇ったら35歳になっていた。
まっさらな気持ちで朝を迎えられたのはきっとこの海と空のお陰だと思う。なるべく元気で、色んな景色を見て、関わった人の幸せを祈れるくらいには優しい人間になろうと誓った。
ここまでひとりで来られたからきっとこの先も大丈夫、この足で歩いていける。
旅のない生活は少しだけ窮屈だ。リュックに荷物を詰め込むワクワクさ、知らない人と話すおもしろさ、またこの場所に来たいと思う愛着、もう2度と会えないかもしれない寂しさ、ずっとこうしていたいと思える居心地のよさ、この気持ちは旅先からの私へのおみやげ。きちんと受け取りまた次の旅に思いを募らせる。まるで恋のようだ。そりゃ夢中になるわけだ。
(2019年11月訪問)