こんばんは、ねね(姉)です。
ここ最近軍艦島関連のブログを書いていたので息抜きに違うことでも書きましょう。(軍艦島のブログ書くのに毎度2時間くらいかかり力尽きている)
11月25日はいい双子の日らしいです。
我々さかもツインは特別いい双子でもない、しがない独身性悪33歳のおばちゃんなんです。しがないね~、しがない。何にもない、できれば立派な何者かになりたいですよ、できないからこうして日々細々と生きているのですけどもね。少しでも優しい人間になれればそれが一番です。
さかもツインは33年前にぴょこんと産まれたのですが、聞かされた話によると最初は双子だと思わず、母の腹が異様に膨れていき大変だった、なんかおかしいからレントゲンを撮ったら双子だったとのこと。出産数日前に判明したもう1つの命。
エコーで見えた卵巣嚢腫だと思われる影は実は生命体でした~笑
とかじゃない。騒然とする一族。祖母は双子なんか産んでどうするんだとほとほと困りいやみを言ったと聞いている。
もう一人いる…
一族を驚愕、困惑させ産まれてきたさかもツイン。
36週、体重は2,500㌘に届かず、保育器にぶちこまれたさかもツイン。
黄疸が強く光線療法を受けたさかもツイン。
前途が多難すぎている。
既にさかもツイン産みの母は惜しまれながら他界しており、お産のときの大変さや当時の心境を聞くことはもうできないのが残念でしかないです。父は仕事人間だったので多分当時ののことを聞いてもわからないので聞きません。詳細はわからないのです。
さかもツインの上には年の離れた兄、姉がおり、子どもはこれ以上つくる予定はなかったができてしまったので産んだと聞いています。
当時の母は35歳、高齢出産の証であるマルコウがついてしまうのが嫌だったよう。
母が妊娠中に近くのマルエツに毒蝮三太夫のミュージックプレゼンツ(当時はなんというラジオ名だったかは知らない)で来たので見に行ったら、「そこの妊婦さん、腹さわってあげよう」とまむちゃんに言われたがミーハーだけどシャイな難しい性格の母は頑なに拒否し触ってもらわなかったと聞いている。
まむちゃんにミュージックプレゼンツは母の晩年もやっていて、それを聞きながらそんなことがあったんだ、と話されました。ねねの知る母の妊娠中の唯一の話です。
どんなお産だったか知るよしもないので、母子手帳を開いてみました。
紛れもなくこれはさかもツインの母子手帳なのですが、双子であることが後日発覚したので母子手帳はめめ(妹)の分が追加発行されています。交付日が違うどころか、デザインがちょうど切り替わったようで表紙すら違います。
左の黄ばんだ紙がねねの、右の真っ白のがめめのです。妊娠中の経過は写したりせず真っ白のままです。
もうひとつ生命体があるのに気付かれていないので羊水過多?と書かれています。たぶんこれが決め手でレントゲンを撮ったのでは?
双胎第2子(めめ)の、2、の字は間違いなく失敗していますね。
出産後の母体の経過もねねの母子手帳の方に書いてあり、めめの母子手帳ははしょっちゃってます。はしょれるもんははしょる昭和のざっくりした感じが伺えます。
4分の差でポンポン双子は出てきた、が、低出生、黄疸、保育器、様々な試練が!
なんとか試練を乗り越え、ねねは生後24日、めめは生後27日で退院しました。
その後母の卵巣嚢腫の手術をするとのことで、幼子のさかもツインは1度解散します(ねねは祖母のところへ、めめは伯母のところへ預けられる)
いやみを言った祖母のところへ預けられたねねは寒い田舎の客間で祖父に踏まれそうになりながら暮らしていたそうで、90を過ぎた祖父母が「あんときねねはここに寝てたんだ」といまだに話してくれるのは嬉しいものです。なんだかんだでいやみを言った祖母はねねを母の元に返すときわんわん泣くほどかわいがったそうです。赤ちゃんの力は無敵。
生後3ヶ月でようやくさかもツインとしての活動を再開した、と聞いています。
出生体重からねねとめめでは体格差がありましたが、生後6ヶ月では1㌔近くの体格差。現在でもめめの方が身長が小さいです。
母子手帳はほとんど白紙で多分育児が悲惨すぎて色んなことを書く余裕がなかったことを物語っています。
まぁ食が細くて夜中に起きてミルク100㏄飲ませるのも1時間以上かかったらしく、しかもそれが倍だから大変だったと思います。無茶苦茶だと思う。
母子手帳を見て色々わからないことがあるので、今の職場にねねと同い年の息子さんを持つおばちゃんに当時の妊婦検診の話を聞いたところ、
・エコーは今みたいにいいやつじゃなくてあんまり見えなかった
・異常があれば予約してエコーをとったけど、ほとんどやらなかった
・妊婦検診では児心音を機械で聞いていた
・今みたいに丁寧な内容の検診ではないので、当時は双子だと知らずにお産であ、もう一人いる、というのはしばしばあった模様
さかもツインが双子と気付いてもらえなかった特別な例ではないようでほっとします。
そんなバタバタお産コメディさかもツインの出生ではありますが、望んだ以上に子宝に恵まれたという名前を頂いており、これは我々さかもツインにとって誇らしい名前なのであります。
昭和の時代は生まれるも生きるも死ぬもありのまま、受け入れていた、生死に多くを望むことはできず起きた事案を受け入れるおおらかさがあったんでしょうね。
現代人から見たらあり得ないことでしょうがあり得ないことでもこうして今さかもツインは生きているし、無茶を押し付けられてもちゃんと育ててくれた一族には頭が上がりませんね。
母子手帳、面白いのでぜひご自分のも確認してみてください。母上様がご健在の方はお産の話を聞いてみては?きっと命の尊さを、産まれてきた重みを知ることができると思います。では。