確かあれは幼稚園の頃のお誕生日会でのことだったと思う。その月に生まれたお友達が前に出て、大きくなったら何になりたいかひとりずつ発表するのだ。
女の子はだいたい「お嫁さんになりたい」と言った。ねねは「お姫様になりたい」と本気で思っていたがみんながお嫁さんになりたいと言っているので「お嫁さんになりたい」と言った気がする。ある男の子は「キリンになりたい」と言っていた。それは無理だろうな、と5歳だか6歳だかのねねは思ったがねねのお姫様になりたいもたいがいなもんである。あの子はキリンになれただろうか。
あの頃のぼんやりとした自我の中でもお姫様になりたいと思っていたのだからその夢を叶えてあげたいと思った。
そうだ、十二単を着よう。
そんな思いが日に日に強くなり京都に行く手配をした。これはねねの34歳の誕生日を自ら祝う物語である。あの日の夢を叶えるために
新幹線に乗り込み京都へ向かった。
京都ではいくつか十二単体験をしている場所があるが今回は西陣織会館でやっている十二単体験に申し込んだ。
地下鉄今出川駅から徒歩10分ほど。西陣織会館は思ったより大きかった。
受付で予約の旨を伝えると3階へ通され体験の支度部屋へ向かう。
このように衣装が用意してあり、この美しさを見てときめく。
こちらは袴。はきやすいようにセットされていた。
まずは肌着に着替える。これから締め付けがあるからブラジャーやガードルなどはつけないで下さいと言われる。ちょっとした緊張が走る。どれだけきつくなるのか、と不安になった。
着物の肌着に着替えるとメイクだ。
もともとしてきたメイクは全て落とし、水化粧というものをする。肌の質感を全て白で塗りつぶす感じだ。ベビーパウダーのような匂いがする。今回着付けとメイクを担当してくださったのは多分70代くらいの方2名で、メイクを塗りつける圧がすごい。パパパパパと圧と力であっという間に平安の顔になった。
眉、アイライン、マスカラをつけて真っ赤な口紅を引いたら完成。かつらもするので頭にネットをかけてちんちくりんな姿となる。
十二単の正式名称は五衣唐衣裳姿 (いつつぎぬからぎぬも)というそうだ。着付けは二人がかり。着る人は身分の高いお姫様(お方様)で女官が着るお手伝いをする。前面で着付けをする人は膝立ちでお方様に息がかからないようにするそうだ。背面で着付けをする人は信頼のある人らしい。見えない場所は命の危険が伴うため何をするかわからない人は確かに任せられない。
長袴をはく
とにかく長い袴なので足先は出ない。移動のときはずることになる。足元の感覚が奪われるので滑って転びそうだ。サイドに大きな穴というか切り込みがあって昔の人はここからおまるを差し込んで用を足していたらしい。トイレにもお手伝いがいるとは。
単衣(ひとえ)を着る
お方様はじっとしているだけで着付けの人が手を動かし袖を通してくれる。なにもしなくても服が着られるシステムだ。動かされた通りにする。腰に巻いている紐は2本を使い回しするので着るごとに下から抜いていく。重ねた分だけ紐があるわけではないのに着崩れしないのがすごいテクニックだなと思う。
五衣(いつつぎぬ)を着る
白を着ると身が引き締まる。白の絹は特別だと思う。滑らかさと光沢、美しい。鏡を見ながら絹の持つ魅力にうっとりする。
五衣は合わせる色は自由で四季に応じて色んな組み合わせをしていたらしい。今回は徐々に色が濃くなる紅梅の組み合わせだそうだ。
桜色。
梅色。
朱色。
藤色。
五つの色の濃淡がとにかく美しい。昔の人のおしゃれはなんと凝っているのか。徐々に身体が重たくなってくる。
着付けの方は説明しながらやっていて汗をかいている。着るのも大変だが着付けるのも大変。
表衣(うえのきぬ)を着る
赤の五衣に緑の表着がよく映える。これはさすがにずしっと身体にのしかかる。重たい布団を何枚も乗っけている感じ。「だんだんた重たくなるからそんなに辛くはないでしょう?」と聞かれる。確かにずしっとくるが身体が徐々に慣れていく。体幹は着ぶくれで2倍はありそうな感じだった。不思議と暑くはない。これが化繊ならば蒸れて仕方ないだろうが絹だからかさらりとしていて心地いいぽかぽかした感じだ。
唐衣(からぎぬ)を着る。
ここで最後に赤がくる。ぱきっとした色味がきれいと言わずにはいられない。好きだな、こういうの、とうっとりする。
裳(も)を着る。
後ろに流れる衣のことだがいつの間にかついていて気付かなかった。
このあと細帯という細い帯を結び着付けは終了となる。
完成
すごい。お雛様みたいなやつ。
髪の毛はもちろんかつらだが、大垂髪(おすべらかし)というらしい。長くて黒くて健康な髪が当時の美人の条件だったらしい。
そもそも宮中は薄暗く、顔がよく見えない時代だったから美人の条件は髪の毛や歌、書く文字、いわゆる教養だったそうで顔は重要ではなかったらしい。それを聞きながらそれはいい時代だわと思って笑った。
12枚着ていないことにお気づきの方もいるだろう。十二単というが12枚着るからではなく十二分に着るから、という意味らしい。重ねれば重ねるほど美しいという理論でもっと着た人もいるそうだがこんなに着ていたら身動きがとれない。行事のときの正装として着ていてあとはもう少し楽な格好で過ごしていたそうだ。
とはいえ京都に都があった時代は今より寒く暖房器具も微弱なものだったためこのように着こんで暖をとっていたらしい。
当時の女性の身長は135㎝くらい、体重も35㎏前後と小さかったそうだ。そんな小さな女性がこの10㎏とも20㎏とも言われる十二単を着ていたなんてどんな力を秘めていたのかと驚いてしまう。
着るのは30分くらいかかったが脱ぐのは一瞬だった。
全部一気に脱いでしまうシステム。
「これがもぬけの殻よ~」と着付けの人が言った。平安ジョーク?
実際にこれを持ち上げようとしても重くて持ち上がらない。ずっしりする。着ていた重みと持ち上げる重みは別だなぁと思った。
これで着付け体験は終わり。メイクを落として自分のメイクをしなおす。
カメラマンのおじさんがねねのカメラでこの行程を撮ってくれたのがありがたかった。行程撮影は自由なのがいいところである。
ちゃんとしたカメラで撮ってくれたのは台紙に入れてもらえる。追加で2,500円払えば別ポーズも撮って台紙に入れてくれるのでちゃんとした写真がほしい人は頼むといい。
所要1時間半ほどで色んな話を伺え貴重な体験ができた。それがとてもうれしいのだけどうまく表現ができないもどかしさもある。楽しかった、きれいだった、それだけではない、文化に触れた感動がある。
満面の笑みでもぬけの殻と記念撮影。
1時間半のお姫様体験はあっという間だったが夢が叶ってうれしい。あの頃のぼんやりとしたねねに言いたい。お姫様という身分ではないところに生まれているけど、お姫様になろうと思えばなれるよ、と。
あの高揚感をまた味わいたいしまた機会があれば体験に行きたい。今度は誰かを道連れにするのもいい。
手間をかけた仕事の凄みを感じてねねのためのねねからのプレゼントを受けとる。それはただの体験以上に価値のあるものだった。
十二単について参考したやつ↓
十二単の基礎知識 | 知りたい | 一般財団法人 民族衣裳文化普及協会