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さかもツインの健康で文化的なようでそうでもない生活をお送りいたします

オニオンリング

オニオンリングは嫌いだった。高校生のころ、食べて口が玉葱臭くなって気分が悪くなった事があるからだ。

お題「思い出の味」

家族旅行でアメリカに行った。ロサンゼルス、ラスベガスをめぐる旅程で飛行機移動、空気、温度、文化、食事。普段の生活とは全く違った物は新鮮で楽しいが、外国と言う緊張で体調を崩してしまっていた。

 

具合が悪くホテルにこもっていたのでテイクアウトでおやっさんハンバーガーを買ってきてくれた。それをもさもさ食べていたらフライがあり食べたらオニオンリング。強烈な玉葱臭は普段母親も作らないもので食べ慣れない。食後歯を磨いても磨いても取れない臭いに更に具合が悪くなった記憶は未だに残っているためオニオンリングは15年ほど口にしていない。

 

昨日はねねにとあるレトロおしゃれカフェに連れていってもらった。ねねは前回行ったときにサンドイッチにポテト沢山ついてくるよと魅惑的な一言を放ったので本当はオムライスを食べたかったのたがクラブハウスサンドを頼んだ。

 

 

付け合わせにオニオンリングきちゃった。一番上にどんときちゃった。
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でも、なんだか美味しそう。黄色や茶色は美味しそうな色だもの。食べてみよっと思った。

 

軽い口当たりのサクサク感、とてもさっぱり揚がっているので食感は最高。

肝心のオニオンは最初に日を通してあり玉葱の甘味が出ていてフライの塩気と合わさり美味しい。あまりに美味しくてねねにあげたら


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落下の瞬間が写真に写ったスカイフィッシュみたいだった。

 

ねねも食べると美味しいな~とフンフン🎶していたのでやっぱりこれは美味しいオニオンリングなのだ。

オニオンリングはこんなにも美味しい食べ物だったのか。長年食わず嫌いをしていたのだが良いものに出合えた。オニオンリング克服はババアになって出来た。

 

 

フライドポテトももちろん美味しくて細身なのでカリカリ感もあるのだがほくほくのじゃがいも感もきちんと出ていてあまり食べたことないタイプのポテトだった。

細身=カリカリ、太め=しっとりのイメージか

カリカリでしっとりと言う究極の美味しさでとても良い。一本食べると止まらないスタイルだ。揚げ物は食べるとカロリーが、胃もたれがと気にしてあまりに食べたくないなぁと思もうのだがこれはあまりの美味しさに素直に喜んで食べた。

 

クラブハウスサンドも肉のジューシーさ、そしてパンの絶妙な香ばしさが美味しい。ボリューム満点の一皿、美味しさにスッと食べきってしまう最高のものだった。
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ねねには感謝だ。オニオンリングもポテトも美味しいこんなに美味しいカフェがあるのを教えてくれたから。

 

墓にスイートピーを

仕事の帰り道、乗り換えの駅に青山フラワーマーケットがある。旬のお花をおしゃれに売っている花屋だ。昔ながらの花屋は花を冷蔵のショーケースに入れているので店頭にそのまま色とりどりの美しい花が売られているとヨーロッパの花屋に来たような気分になる。ヨーロッパの花屋など行ったことないけど。

赤、ピンク、オレンジ、黄色、色とりどりの花たちが帰る私の心を柔らかくする。たまに花を買って帰る。誰かにあげるため、飾るため、仏壇に供えるため。好きな花を選ぶというのはとても気分のいいものである。

 

20代の私は滅多に花を買うことはなかったが、30代に入り我が一族の墓が設けられ仏花を買うことが増えた。こだわりの強い私としてはスーパーで売っている仏様用の菊の花の束が嫌いなのである。みんな同じように見えて個性がない。いつも同じような花束をもらったらきっと100年の恋も冷めてしまう。

仏花の菊は邪気を払うとされている、長持ちする、などの理由があるそうだ。それでもせっかくお供えするなら季節の花を供えたい。かわいくあること、華やかであること、が私の仏花を選ぶときのポイントである。

 

一族の御霊のことを考えると多分西友などで売っている菊の花を嫌がるだろうと思う。素敵な花ね、と喜んでもらいたいし、素敵な花を供えられたな、という喜びを私も味わいたい。

 

今まで墓の近くにあるおじさんがやっている花屋に行っていた。この花屋は私が子どもの頃からあった。随分昔に母の日にここで何か花を買ったことがあったようなないような。青山フラワーマーケットのようにおしゃれでなく町の花屋といった感じだった。

 

この花屋のおじさんはすごくて、「お墓用の花を、いくらくらいで、菊は入れないで洋花でお願いします。」というとものの5分くらいであっと驚くような花束を作ってくれるのだ。季節の花を入れてくれて、多分少しおまけしてくれていたと思う。値段以上に華やかなのだ。おしゃれな花ではない昔からあるような花を組み合わせて美しい花束を作ってくれる。

何度か行くうちに「いくらくらいで、お墓用で。」と言うと「洋花がいいんですよね?」とこちらの好みを完璧に把握してくれていた。


これは秋の花。赤と黄色が映える。
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これは白ベースで、とお願いした花。紫の差し色が利いている。多分命日のときの花かな。
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これは冬の終わり、春っぽいのをとお願いした。チューリップがかわいらしい。
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これはピンクっぽい感じ、と言った時。この花を持って墓まで行くとき、きっと一族の御霊たちが喜ぶぞ~とウキウキした。花を持ったときの女子は無敵なのである。
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この花屋さんに任せておけば大丈夫と思っていたのだが突然閉店してしまった。今までたくさんの素敵な花をありがとうとお礼も言えなかったことが悔やまれる。今日あるものが明日もあるとは限らないな、と思った。

 

そこからは自分で花を選ぶようにしている。町のおばちゃんがやっているような花屋だと「この花とこの花を入れて…」「あと何入れたらまとまりますかね?」などと言いながら花を選ぶ。

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なかなかあの花屋のおじさんのようにうまくいかないのでこれに関しては花を見る目を養っていかなければならないと思っている。

 

 

先に述べた青山フラワーマーケットに春の花、スイートピーが並び始めた。ふわふわとした白や黄色、ピンクの花びらがかわいらしい。そうか、もう春か。墓にスイートピーを飾ろうか、と思い付く。チューリップやラナンキュラスも合わせて。
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うん、かわいらしい。ピンクの柔らかさが心を和ませる。うちの墓だけ芸能人の墓みたいだね、と笑う。こだわった分いい感じの出来映えになるととてもうれしい。

 

長い冬を終えたら春がくる。花の季節がやってくる。次はどんな花を持っていこうか。きっとまたピンクの花になるだろうが楽しみにしていてほしい。そんな気持ちで仏花を買うのを楽しんでいる。

 

私が死んだらお供えするのはピンクの花にしてほしい。お葬式の祭壇などいらないけど棺のなかはピンクや白、赤のかわいらしい花をたくさん入れてほしい。できれば喪服など来てこないで華やかな色のおしゃれな服を着てきてほしい。どんな死にかたをしたいか、など希望はないが従来の型にはめられた葬式は嫌だ。そしてできれば春にピンクのスイートピーを供えてほしい。死者に口なし、ならば生きているうちに死後の希望を少しだけ言っておこうと思った。

脳ミソとマグカップ

お腹は空く。ご飯を食べても時が経つとお腹は空く。

深夜にお腹が空くと寝れない。

脳ミソが『お腹空いた空いた空いた空いた空いた空いた空いた空いた空いた空いた空いた空いた空いた空いた空いた空いた空いた空いた空いた空いた空いた空いた空いた』としか考えられなくなるから困る。

 

 

深夜2時、めめはお腹が空いた。そんなときはソッコーで決断する、マグカップで作れるラーメンを食べようと。

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乾麺とかやくを入れてお湯を注ぐ。乾麺がマグカップの脳ミソ柄に似ているなと思いながら出来上がりを待つ。このイカした脳ミソマグカップは黄島点心先生の盲脳と言う漫画のグッズだ。大阪の画廊モモモグラで買った。

黄色い円盤 (LEED Cafe comics)

黄色い円盤 (LEED Cafe comics)

 

面白いから読むべき漫画。

 

脳ミソイラストのマグカップでも腹がペコペコなら食欲なんて失せるわけない、食べきった。

 

脳ミソ→空腹→乾麺→脳ミソ

 

世界は繋がってるなと意味わかんないけど思ってそれから寝た。

今年の冬セールで買ったもの

ねねは服が好きでけっこう服のことを考えている。こんな服が欲しいな、明日何着ていこう、これとこれ合わせたらいいかもしれない。通勤中の憂鬱な時間は服のことを考えるといい。少しは楽しくなる。

 

月に何着かは服を買っている。ルミネで、マルイで、レイクタウンで、古着屋で、たまに通販で。色んなとこへ服を見に行き、好きな服を見つけたとき、買うとき、着るときの楽しみは特別なのだ。

夏や冬のセールではあちらこちらへ行く。新宿、有楽町、池袋、大宮、たまに北千住、そしてレイクタウンレイクタウンは何だかんだで毎月行っている。埼玉県民なので結構お世話になっているのだ。

 

色々と服を新調したのでご覧ください。(今正月は風邪で動けなかったので買った服は例年より少なめ。むしろセール時期出歩くとテンションが上がりすぎて爆買いしてしまうので風邪で寝込んでいる方がいいのかもしれない)

 

シンプルな黒ワンピース。

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こういうのは持っとくと便利。ちょっとした飲み会もこういう品のいいやつがあればイケる。誘いがあるかと言われたらない。けども、万が一のためにあるといい。パートナーのいない独身女性は非常持ち出し袋と品のいいワンピースは持っとけっておばあちゃんが言ってました(言ってない)

 

スクエアネックのワンピースなので丸顔さんもすっきりした首もとを演出できるという万能アイテム。これでいつでもデート行けちゃうね、うん。ううん。行けないか。誘いがないもん。
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赤いズボン。
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ただただ赤いっ!それだけのスボン。くるぶし位までのゆったりとしたズボン。

最近太めのズボンが流行ってるが、あれはトイレのとき床につきそうになるので苦手なのだ。これは程よい太さで床につくこともないので安心してはける、潔癖設計だ。

そもそもスボンはトイレでの上げ下げが面倒なのであまり履かない。が、最近接骨院に通いはじめてそのときスボンで行くのでどうしても必要なのだ。春先にボーダーのカットソーと合わせて履き倒そうと思う。

 

変な色のコート。
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何色と表現していいのかわからない。ラベンダー色なのか?幼少期にこういうコートを着させられて「ババくさくてやだ」と思った記憶が鮮明に甦る。けどそれがなんかノスタルジックでついつい買ってしまった。

 

ニットのタイツ。
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普段着がワンピース、スカートメインだとタイツは欠かせない。冬はこの厚手のタイプじゃないと寒くて仕方ないのでまとめ買い。

暖かくておすすめ。1度この温もりを知ってしまうと薄いタイツには戻れない。

 

 

ここからはZARAの服。セール時期のZARAは気が狂ったように服がある。そこから好きなものを探すのは宝探しみたいで楽しい。ZARAのセール服は「こんなん誰が着るの…」みたいなのがたくさんあるので好きだ。婦人のロマンがそこにある。それがZARAのセール。

過去買い漁ったZARA服の話↓


これだからZARAの服を買うのをやめられない。 - ここから先は私のペースで失礼いたします

 

花柄のワンピース。おばあちゃんっぽい柄と詰め襟が気に入った。1,990円。買う、ありがとうZARA
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今年のセールで買ったもの1番の問題児がこちら。


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わかりますか?光っているの。これ、総スパンコールのワンピース。

後ろまでぎっちりスパンコール。

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光がすごい!
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あと重い!

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あとこの服を動かすとスパンコールのカスがでてきて床が汚れる!普通に洗濯したらできた!アタックで洗った!お洒落着洗いという概念がないから!けども!けれども!洗濯機スパンコールのカスだらけ!仕方ない!

 

これを池袋ZARAの2階で、1着だけひっそりかけてあるのを見かけたとき「デタッ!ギラギラ!」と笑ってしまった。こんなの買う人いない、という気持ちもあったのだがその先の これを着たらどうなるだろうか を考えたとき堪らなく欲しくなってしまった。ちょうどめめ(妹)と一緒に買い物していたので「この服で火サスをしたらどうだろうか?」と聞いたら「いいんじゃない」とのことだった。

しかし火サスのためだけに買うのはどうか。値札を見ると5,990円。めめも何かで着るなら活用頻度が上がるのでいいかなと思い「あんたも着ない?」と持ちかけたところ「玉虫みたいで気持ち悪いから着ない」と言われてしまった。

普段はそうそう着られない服か。5,990円。悩む。悩む。悩む。

でも、スパンコールの服って人生で1度は着てみたい。こんな服みたことない。着てみたい。でも用途が限られる。値段。んん~~~。

 

そして悩んだ末に脳はバカになった。

買ってしまったのだ、このスパンコールのワンピースを。

レジに持っていったら楽に3,990円に値下げされた。良かった~と思った。

 

このスパンコールのワンピースを着て2回目くらいに会う人とデートして無茶苦茶に引かれて嫌われたいなとすら思う。

コート脱いだら総スパンコールの服の女は好きですか?

私は好きだな。でも普通は嫌いだろうな。それでいいんです。スパンコールのワンピースは。

 

早速火曜日に着る予定を詰め込んだので着るのが楽しみ、というか着たらレポートします。

 

服って楽しい。今年も服を楽しもうと思った。

 

 

あっしのコート

コートをいくつか持っている。 

春秋用の紺のコート、ベージュのトレンチコート。

やや寒い冬のウールのコート。バカみたいに花柄のやつ、エメラルドグリーンのやつ。

一番寒いとき用のシンプルな黒のコート。白のダッフルロングコート。

インナーダウンとしてユニクロのウルトラライトダウン2着。

今年はくすんだラベンダーカラーのコートを1着買った。

 

黒や紺のコートは何にでも合わせやすいので便利だけどこの時期朝の満員電車からゾロゾロ降りてくる黒のコートの集団を見ると呪いの儀式でも始まりそうで気味が悪い。その一員に加わりたくないのでなるべくパステルカラーのコートを選ぶようにしている。人と同じというのがあまり好きではないあっしのコートへのこだわり。

 

カラーコートはあまり気に入る色が売っていないので探すのは結構苦労するけど気に入ったのが見つかるとうれしい。

 

今年はやや暖冬とはいえ寒いものは寒い。白のダッフルロングコートを毎日着ている。大活躍だ。これはもう3年以上着ている。物珍しいコートを着ていると周りの人が面白がってくれる。好きなものを着て楽しくやるのはいい。

 

あっしのコートの背中部分には血が滲んでいる。2ヶ所、3㎝大の淡血性の付着物。いつついたかはわからないが気味が悪い。多分ここ1週間でついたものと思われる。

 

真っ白なコートの裏地に滲んだ血は多分背血(せなぢ)だ。ニットの襟元がちくちくしてかきむしったのだろう。

早くクリーニングに出したいのだが毎日着る最強防寒具を今は手放せない。防寒のランクは下げられないのだ。

だからあっしのコートには血が滲んだままである。外出先でコートを脱いでハンガーにかけるとき血が見えないよう細工する。気を遣う。このままクリーニングに出したとしてもクリーニング屋さんに気味悪がられるのではないかと不安に思う。

 

あっしのコートはこれからどうしようか。

明日、裏地だけちょんちょん洗いをしてみようか。雪が降ったら干せなくなるから天気の方はコンディションを整えてほしい。

 

彼氏がいなくてよかった。もし優しい彼氏がいたら「コートかけといてあげるね」とあっしのコートを手に取ったとき無為に血が滲んでいたら怖がらせてしまう。

もしくは万が一様々な試練や儀式を通過し男女の仲になろうと彼氏があっしのコートのダッフルに手をかけ肩から腕に手を滑らせコートを脱がせたときそのコートに血が、血が滲んでいたら…彼氏は腰を抜かすだろう。人でも殺めてきたんかって。

 

追い討ちをかけるように「あっしのコートに触れるんじゃねぇ(恥)」と睨みをきかせてしまうだろう。

 

そんなコートを着るな、という話でもある。でもこの話の本質は無為なのである。

最後に笑わしたもんが勝ち

場末の療養病院に勤めて4年目。その前も小さな病院の病棟勤務をしていたので老年期の患者さんと接することが多い。

高齢者の入院の理由としては、脳血管疾患などによる寝たきり、誤嚥性肺炎、褥瘡、経口摂取不良からの脱水、認知症廃用症候群などなど今までの活動が維持できなくなったときが多い。国の方針としては病院に入院する期間を減らし急性期を過ぎたらリハビリをして在宅での療養生活を、とのことだが実際には無理な話だと思う。在宅医療、介護を舐めているとしか思えない。排泄、食事、清潔動作、勉強して資格を取ってやっていても困難さを感じるのに一般の人に家族だからやれというのも難儀なことである。赤ちゃんの世話と同じと考えてはいけない。まず体の大きさが違うし、ひとりの力では着替えをさせるのだっておむつを変えるのだって汗だくになるのだ。腰や肩、腕を痛める。体がキツくなってくると心にもゆとりがなくなる。負担は大きい。

家に帰れる状況でなく生活に誰かの介入が必要、ということで入院している患者さんたちということになる。病院をたらい回しにされている患者さんがいるという現実が今の老年期医療なのである。

 

そんな現実に嫌気がさして療養病院という長期療養ができる職場にやってきた。もちろん高齢者がほとんど。80~90代の方がほとんど。介護認定では要介護4~5。日常生活動作はほぼ寝たきりという患者さんである。

 

患者さんは認知症や脳血管疾患から会話ができない人が多い。会話ができたとしてもちぐはぐな会話だったりする。

 

認知症とひとくちに言っても色んな症状がある。皆さんは認知症についてどんなイメージを持っているだろうか?

メソメソ泣く人、怒鳴る人、怒る人、攻撃する人、何も喋らない人、意味不明なことをぶつぶつ喋る人、まぁ色んな人がいてひとりとして同じではないから対応が難しい。

 

対応が特に困難だな、と思うのは暴言、暴力。めちゃくちゃ暴れる人もいる。唾をかけたり殴ったりつねったり杖で叩いてきたり。「何するんだバカヤロー」は常套句かと思うほど聞いてきた。1度興奮状態に陥ると本当に大変で身体を抑制して気分が落ち着く薬を投与し落ち着くのを待つ。高齢者と言えど暴れてしまわれると女性看護師が4~5人で押さえても隙を見て殴られる。患者さんの正面に立つと蹴りとパンチが飛んで来るので後ろに回ることにしている。後輩が腹パンチを喰らったとき泣いていたのを見てこの行き場のない怒りはどうしたものかと落ち込んだこともある。一言で言うと修羅である。ほんわかとおじいちゃんおばあちゃんとかちゃんづけにして呼べたもんじゃない。「○○さん落ち着いて」と振りかざす拳を押さえるので精一杯である。(推定体重100キロのナースが暴れたおじいさんに馬乗りになり「力で勝てると思わないでね」と言ったら静かになったという武勇伝を聞いたことがある)。力には力で対応しなくてはならない場面(鎮静剤が効くまで)にも出くわすのだ。実際の現場で看護師、介護士が暴力をふるった、というニュースは多々あるが、認知症患者さんがふるった暴力は病気だから仕方ないで済まされてしまう。気分が落ち着く薬をコントロールできないのもひとつだが現場の人間として言わせてもらえばそんな簡単なものではない。殴られて、暴言を吐かれて傷付かないわけないのだ。それに対応するのも我々の仕事ではあるがお金を貰っても生活の為でも仕方ないの一言で済まされない、削り取られていく部分がある。このような患者さんは急性期の病棟でよく見かけたが療養病院では色々とコントロールがつき落ち着いた患者さんが多い。なので私はだいぶ気持ちが楽に働けるようになった。他の病院は知らないので何とも言えないが。

 

全ての患者さんが暴力的であるわけでもないので今日も今日とて働き1日が無事に生きて終われるよう生きる手伝いをする。

 

同じ事を繰り返し叫んでいる患者さんも話しかければ会話ができる。我々を呼んでいるらしい。ひとりでいるのが不安なのか見に来てくれないことに苛立ちを感じるのか、憶測でしかないがこうすると落ち着く、というパターンがあったりするのでなるべく落ち着く方向に持っていく。赤ちゃんが泣いて欲求を満たしてもらうのに近いのかもしれない。その声が「誰か助けて」とか「人殺し」とかだとギョッとしてしまうがそんなこともあるのでちょっと笑ってしまう。

 

目を見てじっくり会話すると優しい言葉をかけてくれる人もいる。「ごくろーさん」とか「ありがとね」とか「お金あげるからご飯食べてきな(実際にはお金はないしもらったこともないが)」とか。子どもや孫を育ててきた人たちの穏やかさが表れることもある。そんなときは「ふふふ」とついつい笑顔になる。

頑張ればこちらの名前を覚えてくれる人もいる。名前で呼ばれるとそれもうれしい。

お風呂で目尻を下げて気持ち良さそうに浸かっている姿もなかなかにいい。喋れない人がそんな表情をみせてくれたりすると我々は「気持ち良さそうだね」と笑顔になる。人と人の関わりなので自分のした看護や介護に笑顔で返されるとうれしくなるのだ。

 

今よく独り言を言う患者さんがいる。今日は訪室するたびに「○○さん生きてる?」と聞いたら「…生きてる」と答えてくれた。○○さんが生きててよかったな~と思い退室する。そんなことを何回か繰り返していたところ「お腹すいた」と言われたので「じゃあ何が食べたい?」と聞いた。経口摂取ができない患者さんなので食べさせることはないのだが聞いてみた。

患「白いごはん」

私「白いごはんだけじゃ寂しいでしょ?おかずは?」

患「黒いごはん」

私「黒?五穀米的な?そんなのでいいの?」

患「金玉ごはん」

私「金玉ごはん!?」

もう笑わずにはいられなかった。腹を抱えて笑った。金玉ごはんとその後も何回も言っていた。

 

完全に下ネタだしギャグである。想像もしないような突拍子のない言葉が出てくるのである。人生で金玉×ごはんのコラボには出会ったことがなかった。パワーワードすぎてしばらく笑ってしまった。金玉ごはんと何回か言ったら疲れたのかお休みになられた。

 

認知症の患者さんの突拍子もない展開には笑ってしまう。入れ歯を味噌汁の中に入れて混ぜ混ぜしていたり、抜いてはいけない管を抜いて、それを発見したとき看護師が「あぁっ!」と言うと「やべ、見つかった」みたいな顔をするのも全てがコミカルでユーモラスなのである。

 

最後に笑わしたもんが勝ちだと思う。我々が患者さんを笑わすか、患者さんが我々を笑わすか。圧倒的に患者さんに笑わされることの方が多いと思う。ふふふ、完敗です。笑ったら負けよ。あっぷっぷ。また来るから。来たくさせちゃうんでしょ、そうやって。と甘くなってしまうのだ。

 

簡単な仕事ではない。悪いことも嫌なことも辛いことも多々ある。でも悪いことだけでも嫌なことだけでも辛いことだけでもない。笑ってしまうこともあるならそこそこいいのではないか。認知症の患者さんと接してそう思うのである。(エネルギーはめちゃくちゃ消耗するけども)

 

不思議な体験

先日めめ(妹)の紹介でマッサージを受けてきた。施術者は全盲のおじさんだが不思議な魅力とすごい技術を持っているとのこと。インターネットやチラシで大々的に宣伝しているわけでもないので一見さんお断りみたいな敷居の高さがあるが運よく予約をとりつけてもらえたので行ってきた。

 

都内の住宅街の一室。出迎えてくれたのは細いおじさん。玄関には白杖があり視覚障害があるということを教えてくれた。

施術室で自己紹介。視力が徐々に弱まりほとんど見えなくなったときにこの仕事を始め十数年経つこと、色んな患者さんがきていること、体が本来の力を取り戻せるようにし長生きできる体をつくることが目指すところだそうだ。

按摩(あんま)という分類になるかと思われる。

 
按摩 - Wikipedia

 

最近のねねの体はだるくていつも眠たい。やる気はないしぼーっとしていることも多い。肩こり腰痛はわりといつも。そんな自覚症状を伝えると早速体をみてくれた。

脈をとり腕をさする。足の様子をチェックする。

左股関節が弱いらしく坐骨神経痛症状も自覚していたのだがそこを見事に当てられる。左足の筋力が低下し右半身に負担がかかっている状態で肝臓周囲のゆとりのなさから肝機能が低下し疲労感やだるさがあるという。

「最近お酒弱くなったでしょう」と言われたがここ1,2年で全然飲めなくなってしまった。ズバリ当たっている。肝臓が弱い自覚はなかったが症状が繋がってくると自覚せざるを得なかった。

 

「最近ぼーっとする」というのも第1脛椎の歪みで椎骨動脈からの血流が弱まり脳底動脈から脳への血流が悪くなっているのでそういう症状が出るとのことだった。普段キョロキョロしたり首だけで振り向いたりスマホを何時間も眺めたり首への負担が大きい。体の歪みから普段の生活のクセを指摘され納得してしまった。

頭や首をトントン叩いたりさするうちに頭がすっきりしてくる。表情を強ばらせていることも多いので顔の凝りも指摘された。

 

仕事で緊張が走る場面も多々あり気付くと喉と顔が力んでしまう。顎、喉元から胸骨あたりまでの突っ張り、緊張感をほぐしてもらったあと、声が出しやすくなった。先生は目が見えないからこそ指先の感覚、触った感覚から感じとるものが多いらしい。経験ももちろんあると思うがこうも普段の体のクセを指摘され、そこをほぐされて症状が改善されていくとすごいとしか思えない。

 

按摩中も色んな話をした。こういうマッサージのときは寝たふりをするねねがずっと喋りっぱなしというのも珍しい。

地域の話、越谷レイクタウンの話、妹の話、次から次へと話し会話が途切れない。リラックスして和気あいあいとした時間をすごせた。

 

普段の仕事では看護にたずさわり患者さんの体に繊細に触れるため腕や肩周りの緊張が強いらしい。人の体に触れるというのは傷付けないよう神経を尖らせているので業務内容に関わらず疲れはある。普段守る仕事をしているから休みの日破壊的な行動をしてみるのもいいよ、太鼓とかやってみたら?と言われた。確かにそれはよさそう。守るためにぐっと力を入れている腕を投げつけたり叩いてみたり力の限り振り回したらうまく筋力のバランスがとれそうな気がする。

 

施術とは無関係だが全盲の人と接する機会がほとんどないので全盲というのはどんな感じなのかと聞いてみたら「光はぼんやりとわかるよ、でも不便不便。家の中は動けるけど外へ出たら何がなんだかわからないからね。でもバスに乗ったり電車に乗ったり色んなとこへ行くよ」とのことだった。

施術室も玄関もトイレも片付いていてキレイだった。身の回りのことを手伝ってくれる人が必須ではあるが携帯電話を操作したり窓を開けたりストーブをつけたりと何でも器用にこなしていた。

視界に依存しているねねは視界がなくなったら怖い。見えないという世界を生きているのはどんな気持ちなのか、勝手に苦しみや不便さを推し量っていただけのようで、あっさり「不便」という先生はその世界を受け入れていた。それと同時に「あの人は○○だからかわいそう」みたいな軽はずみな思考を少し恥じた。全て自分だけの先入観で、その人がどう生きているのか接してみないとわからないものである。手伝いが必要な人には手を差し伸べるべきだが、かわいそうと決めつける必要はないようだ。

ねねの中のコミュニケーションではその人の弱いところや辛かったことを知っておきたいというものがある。そういう経験を越えてきたから今その人が形成されている、という土台のようなものだ。土台を知って敬意を払って関わりたいので先生と関わるために見えない世界と先生のことを少し知れてよかった。

 

ふと「ねねさんからお母さんの感じがします。めめさんよりも強く感じます」と言われた。他界した母の声が先生に聞こえたらしい。どうやら最近のねねの不調が心配だったらしく先生に見てもらいたかったらしい。あんまり無理はしないで、とのことだった。

 

ねねには霊感はないが、その先生の感覚について妙にしっくりしてしまった。

広大な景色を見ているとき、ねねひとりだけの視覚ではないのだ。誰かと一緒にこの景色を見ている感覚があるのだ。そしてそれが多分母であるという感覚がある。これは誰にも言っていなかったが感動するような景色を目の当たりにしたとき、「見えてるよね?」と声をかけたくなるほどひとりではないのだ。それがやはし母だったようだ。

 

幽霊も故人の念も科学的には証明されていないし思い込みじゃない?と言う人もいるだろうけど、思い込みにしてはずいぶんと生々しく感じるのだ。死後の世界についてはよく分からないが、この世には証明できない出来事も多々あるのである。そしてそれをねね自身体感することはないだろうと思っていたが体感していたようである。

 

あぁひとりじゃなかったんだな。

 

とても暖かい気持ちになった。

 

色々とよろしくお願いしますと頼まれたようで先生は「しっかり見させてもらいます」と言ってくれたのがありがたかった。

 

肋間や腕回り、背中をさすられているとき喉がムズムズしてしまった。

「あ~こりゃだるいでしょ、悪いの出てきたよ?う~んだるいだるい。これはひどい。」とどうやら喉の奥から悪いものが出てきたらしい。悪いものが何なのか証明はできないが、喉のムズムズ、咳をしたいような感じが止まらない。

肺の奥の方から病院や色んな場所でもらってきた菌や氣というものだろうか。確かに職場では高齢者で肺炎の人が多く常々痰を吸引して回っているので健康だから肺炎を発症しないというだけで菌をたくさんもらってきている。病室はエアコンをかけ窓を締め切りにしているので空気は悪いだろうな~と思った。

 

喉のムズムズが落ち着くと体のだるさが嘘のように抜けていった。

それと同時に先生の口臭がちょっとキツくなった。それまでは全く無臭だったのに。時間がたてば匂うタイプの口臭ではない。歯周病のようなマウスケアをしても常々匂う臭いだった。この明らかにわかる差に驚いてしまった。

 

患者さんのだるさや悪いものをもらうことは多々あるらしく、そういうときはファミレスのドリンクバーを飲みながらゆっくりしたあと公園を深呼吸しながら散歩するらしい。それで悪いものが抜けるそうだ。

 

きれいな空気を吸うとシャキッとするというのは悪いものが抜けるからだろう。こういうとスピリチュアル要素が入ってきて大丈夫?となるかもしれないが、実際に体感してしまうとやっぱり空気って大切なんだよな~と思う。人間の体の医学や科学では証明できないではない場所からのアプローチはねねの体をとても軽くした。

仕事での身のこなしかたやリラックス方法など為になる話を聞けたので今日早速職場のおばちゃんに「普段守るという仕事で疲れているので休みの日は破壊活動をするといいらしいですよ」と話したら「確かにいらないお茶碗とか割るとすっきりするもんね」とのことだった。壊すということは意図しないとなかなかできないので壊していいものを見つけたらやってみようと思う。

 

ついついスピリチュアル要素たっぷりな話となってしまったが、なんか妙に元気になったのでそういうこともあるんだね、と思ってくださればうれしい。そんな不思議な体験。