ここから先は私のペースで失礼いたします

さかもツインの健康で文化的なようでそうでもない生活をお送りいたします

ささやかな幸せを楽しむのが得意らしい

今日仕事が終わる頃には夕飯何食べようと考えられなくなるほどお腹が空いて疲れはててしまった。家に帰れば作りおきのカレーがあるからご飯を炊くか、パックのご飯をチンするかで夕飯にありつける。カレーの皿を洗うの面倒くさいな、とうじうじ考えててしまったので今日はもう食べて帰ることにした。

  

 じゃあ何が食べたいか、それは悩む。最近暑くて食欲が落ちた。おいしいものはもりもり食べるけど「今食べたいもの」がぱっと浮かんでこない。そういう食欲のなさなので体重は減らない。仕方ない、夏なのでバテないよう食べていこう。

 

そんなときはラーメンか餃子の二択だ。

ラーメンも餃子も大好物なので食が進む。涼しいお店で食べるラーメンっていいな、と思ったら迷うことなくラーメン屋へ飛び込んでいた。

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久しぶりに食べる豚骨ラーメンはおいしかった。硬さは?と聞かれたときバリカタと言ったらやわらか?と聞き返されてしまったので硬めと言い直した。豚骨ラーメンは硬めの麺が好きなのだ。

 

お構いなしにズルズル啜る。おいしい。ニンニクの香りとネギが食欲をそそる。クーラーの効いた店でじんわり汗をかきながらこういうのが食べたかったんだよと謎の納得タイムが始まる。 今日の夕飯は豚骨ラーメンで正解だったらしい。

 

替え玉をしたかったがそれだと食べ過ぎになるのでやめた。豚骨ラーメンの麺は替え玉用に少な目にしてる気がする。いつも足りない。隣の隣の席のサラリーマンが替え玉をしているのを羨ましそうに見て店を出た。ちょっと足りない、のところはスイカを買って帰って食べよう。あぁ完璧だな、とニヤニヤする。

 

電車に乗ると空いていて座って帰れた。車内でおばちゃんが「あっ、花火よ❗きれいね」と大きな声で言うものだから乗客が車窓を一斉に見る。私も振り向いて見たら確かに花火だった。ちゃっかり花火まで見てラッキーだなと思った。

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私はこういうささやかな幸せを楽しむのが得意らしい。家のベランダでスイカを頬張りながらそう思った。この得意なことがあればひとりで生きていくのも辛いとは思わない。楽しめるだけ楽しんでいこうと昼の熱気が残る夜風を浴びながら考えていた。

汗が止まらない

長梅雨で体調が荒れた先月からいきなりの夏。ウワーアツイー。

晴れた日が続いて洗濯物が乾くのが嬉しい!タオルはお日様干しでバリバリ乾く。
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こちらはねねが泊まりに来るときに使わせる。

 

梅雨で見れなかった太陽!よーし浴びるぞおと意気揚々と外にで   

 

れません。

暑くて無理だ。外にでたら死。天気が人を頃しに来てる。

 

外を数分歩くだけで汗がツツツーと流れる。去年とは違う。なぜかと言うと去年の10月からサウナと言うものにハマったからかもしれない。(更年期じゃないことを祈る)

私は汗をかきにくい体質で汗だくになる友人をみて「新陳代謝がよくていいねぇ」と本気で羨ましがっていた。汗をかけない私は冷えて暑がって老廃物が貯まって顔がくすんでいた。

それがサウナと水風呂の交互浴で体質が変わったのか今では汗がツツツーと流れる。

なにが違うかと言うと昔はじとっと汗が臭い嫌な汗。なにかホルモンや分泌の詰まりがあるから不愉快な物が出ていたのでは。今はツツツーと大量だけどさらさらの汗。汗をかいても不愉快ではない。体質もきっと変わっているのだろう。サウナのお陰で。嬉しい。

 

まんきつ先生の湯遊ワンダーランドのお陰だ。身体が元気に汗をかけて爽快になれるようになっている。夏のクーラー冷えで今はサウナに行くべきだと思う。汗の不愉快感をなくすぞ!

湯遊ワンダーランド

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湯遊ワンダーランド 2 (SPA!BOOKS)

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湯遊ワンダーランド3

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死にたくても死ねないのという言葉と向き合うには

 病院にいるとたまに出くわす言葉、「死にたくても死ねないの」

病気と闘う人の苦しさは計り知れない。死んだら楽になれると思っている人は多いだろう。その気持ちを否定するでも肯定するでもない、そんな立場でその言葉を聞く。

 

涙をこらえながら私が来るのを待ち、どうしたのと声をかけると震えながら目に涙を溜め「死にたくても…死ねないの…」と言う。震える瞼から涙が溢れる。

この言葉への適切な答えとは何か?

国家試験に出てこないけど1番難しい問題の答えを15年経っても探し続けている。きっとこれからも探すだろうが答えは見つからないだろう。

 

「そっか」

とまず答える。何年も病院にいて、繰り返し朝が来て3度の栄養剤の注入と、何度かのオムツ交換、体位変換、検温。何度も何度も誰かが部屋に来るけど監視されているようで、世間話もたいしてできず天井を見つめるだけ。身体はゆっくりちょっとしか動かない。痒いところを自由にかけない。時が過ぎるのをなんの目的もなく緩やかな死へ向かうだけの日々。

「そう考えちゃったんだ。そうだよね、死にたいって思っちゃうよね。何か楽しみがあれば、出掛けられれば、おいしいものが食べられればいいけどここにいたら何もないからね」と本当のことを言う。

震える目を見つめて髪を撫でる。

死にたくても死ねないことを諦めて受け入れているがたまにこうやって気持ちを涙に溶かしてこぼさないとやっていけない日もある。

 

「泣いてもいいから、悲しくなっちゃったもんね」

としばらく話を聞く。

 

「あなたが死んだら私は悲しい」という言葉は言えなかった。そう言われて嬉しい人もいるかもしれないが、私の悲しいとか寂しいという感情を背負わせて『死ぬことを、死にたいと言うことを禁じる』という宣告をしているようなものだから。あなたの人生であってそこに私の想いは今必要ない。

それで言うと『ご家族が悲しむよ』というのも同様。そりゃそうだ。身内が亡くなれば悲しい。でもあなたもそうやって身内を亡くしてきて、悲しくてもそれでも生きてきただろうから。家族が悲しむから私の辛い苦しいを我慢しろと強いるのか。そんな恐ろしいことはできない。家族のためなら頑張れるというのもあるかもしれないが、家族のために苦しめるというのはそれをよしとすべきではない。

ただ、今の日本では安楽死制度がないので死にたくても死ねないというのが現実。どんなに「死にたい」ともらしても死ねない。死にたくなくても死んでいく人がいるなかで、死にたくても死ねない人がいる。それだけは知っておかなければならない。毎日楽しくて明日が来るのが待ち遠しい人ばかりではないのだ。

 

「いつ死ねるかは私にもわからない。こればかりはいつだよって言えない。だから気持ちが溢れて苦しくなったら泣いていいよ。私が聞くから」

そう言って涙を拭ってあげる。

 

「ありがとう」と言われた。

そんなこと考えていたなんて知らなかったから私は驚いてしまったが、死にたくなるときもあって、それを溢さずにいられなくなるのだ。

慰めの言葉も抑止の言葉も嘘も気休めもいらない。溢れる気持ちを受け止めることが今のところ1番正解に近いのかもしれない。この気持ちや言葉は聞く人の心にも少しだけ傷をつけていくから本当のことはちゃんと言うことにしている。

 

涙が渇れだいぶ落ち着いた表情を見たらそう思っただけの話ではある。

基礎体温測ってないの?

基礎体温測ってないの?」「測んなきゃだめだよ!女の子なんだから」

 

と私に言ってきた人とは近づきたくない。

 

こちら34年生きている人間だ。一応性別は女。生理は遅れたりもするけどちゃんとあり婦人科検診も行く。だが基礎体温は一度も測ったことはない。なぜか、それはめんどくさいのレベルの話ではなく生理的に無理だと思っている。基礎体温を測るのがとても気持ちが悪くなる。自分の身体の中で起こっていることを記録して排卵日だなんだと記録するのがなんだかとても嫌なのだ。この嫌な気持ちは中学生の時に体型が変わっても男女混合でプールに入り水着姿をじろじろと見られるようなそんな感覚。どんな気持ちかは言い表せないがとにかく嫌なのだ。

基礎体温を測り自分のサイクルを知ると言うのは私には必要がない。だって家庭を築き一緒に自分の子孫を残す相手がいないから。あ、今月も生理来たな~位の感覚で人生が進むのが私にとって丁度良い。

子どもを授かりたい、体調管理をしっかりしたいと言う人はやれば良い。だが私はやらない。基礎体温を測ることによって自分が子どもを産むための女だと実感するのがとてつもなく嫌なのだ。なんだか子ども繁殖マシーンになるようでとてつもない違和感しか感じなくなる。

 

測ることにより色んなメリットはあるだろうけどは気分が悪くなるからやらない。

そんな生き方をやらないとだめと自分の観念で押し付けてきた奴は近づかないようにする。心底気分が悪かった。デリケートな話題なのに配慮もせず他人に自分の意見を押し付ける事しか出来ないのかと可哀想に思えてくる。他人を不愉快にさせてることに気付かないで自分が気持ち良くスピーチをするだけの人生って惨めだなぁって。

またその人がこの先基礎体温を測るときに間違えて口蓋に突き刺してウェっとエヅいてくれたらカルマを感じられるよね。

トングとトレー

とある下町に行った。昼下がりで真夏の晴れた青い空とセミの音。ああ夏だなぁと冷たい空気に触れたいと駅前のパン屋に入った。

昼なので沢山のパンが並んでいる。甘いものやお惣菜系、ハードなパンやスライスで厚さが分けられた沢山の食パン。どれにしようかなぁとうろうろと店内を巡り食パンとアップルパイを買うことにした。

 

レジに並んでいてお会計をすると隣におじいさんがやってきた。

大きなふかふかのクルミのパン一つ欲しかったようで手掴みでパンを持ちレジのおばさんにお会計をお願いしていた。

 

「トングとトレー!」と心の中で大声で叫んだ。物凄くハラハラしたが店員さんは何事もなくおじいさんのパンを梱包するためビニール袋を出しておじいさんはその中にクルミのパンを入れた。

代金はお財布の中の小銭をバァンっと釣り銭トレーにぶちまけてそれも店員さんが小銭を拾いお会計を済ませていた。

 

下町だからな。高齢の方が多いんだろうな~。ひとりでお買い物に来ていて偉いなおじいさん。そしてそれをものともせず対応するおばさん店員さん。

とてもナチュラルに結構びっくりしちゃう世界が広がっていた。

都内のお洒落なパン屋だったら手掴みでパンを持ったら即「お客様困りますぅ」だろう。お会計もセルフレジになってどう使えば良いのかわからない人もいるだろうな。

年を取ったら一人じゃ生きていけない。優しく見守ってくれるサポートがないとといけないよね。となんだか老後がとても不安になってしまったのだった。

 

おっさんのモテ仕草

勤め先の病院にはおっさんがたくさん入院している。じいさんもいるがおっさんもいる。個人的な主観で分けるなら70代までがおっさん、80代以上はじいさんになる。

色んなおっさんがいて、色んな理由で寝たきりとなり、色んな病院を転々としてここへやってくる。やって来る頃には寝たきり歴が数年にも及び皆体重が嘘のように落ちている。30㎏、20㎏の患者さんもいる。たまに寝たきりほやほやの人が50㎏、60㎏あるいはそれ以上あると皆「大きいね~」と騒ぎ立てる。重い人を全介助でオムツ交換、入浴、更衣などなどをすると本当にしんどい。重くて大変なのだ。

「俺は好きなもんたくさん食ってぽっくり逝くんだ」とか言って体重のコントロールもできない人ほど脳血管疾患になって後遺症で寝たきりになってうまいもんが一生食えずに生きているおっさんもけっこういるので「俺は好きなもん食ってぽっくり逝くんだ」の逝けない論を私は信じてる。そしてそういう人がめちゃくちゃ重くて看護師さんヘルパーさんの腰を砕いていくので「だからぽっくり逝けないって言ったじゃん!(直接は言ってない)」と叱る。体重コントロールだけはしてくれよな!と思っている。

 

話は逸れたが、寝たきりであってもおっさんはおっさんだ。寝てるだけで汗をかいている。寝てるだけで顔がギトギトになっている。寝てるだけで髭がぼーぼーになっている。寝てるだけで痰が絡んでゲボッゲボッうるさい。うわ、さっき顔拭いてテープ張り替えたのにもう脂でギトギトだ。おっさんは手がかかる。 

「はぁ~手がかかりますな~!」とか言いながら患者さんひとりひとりラウンドする。おっさんの脂ギトギトの顔を拭きにおしぼりをたくさんもってワゴンを転がす。

最近入院したばかりのおっさんの部屋に行く。前頭部から頭頂部がハゲ上がり、耳上の微かな気はくせ毛なのかチリチリしている。毛に関しては絶望要素しかない。顔も脂でギトギトさせながらつまらないワイドショーを心ここにあらずといった表情で見ている。

「お~い、○○さん、顔拭くよ~ん」と言いながら顔を見る。なぜか上目遣いでこちらを見てくるおっさん。

「(なに?このかわいい表情は…)」

おっさんはなぜか子犬のような上目遣いでこちらを見てくる。なぜだかわからないがかわいい。おっさんのくせにかわいい。いや、おっさんにこんなことを思ったって仕方ない。胸をきゅんとさせてしまったことがきゅん損な気がしてショックだった。

 

用事を済ませ退室する。

他のスタッフに「あの新入りさん(入院したての患者さんを新入りさん、新しい人などと呼ぶことがある)、なんか、ちょっとかわいくないですか?」と聞いてみたら、「なんかかわいいよね?」と言われたので他の人の目にもかわいいと映るらしい。 

ならおっさんもモテ仕草を学んだほうがいい。どうせなら皆にかわいがってもらったほうが楽しいだろう。上目遣いでかわいこぶりっこして看護師さんたちにかわいがられる入院生活も悪くないのでは?

笑顔、「ありがと」の一言、しっかり目を合わすとこ、これさえ押さえておけばモテる。残存機能でモテ技をどこまでできるか。無愛想にやってもらって当たり前というスタンスじゃもうやってけない、これからはおっさんも媚びてモテ仕草をしていく時代なのだ。頑張れおっさん、かわいいのために、モテのために生きるのだ‼️