さかもツインはかなりの猫好きであるが、猫を飼ったことがない。実家の母も猫が好きで庭に来る猫に名前をつけて猫が来れば「ミーちゃんがきたぞ!」とわざわざ起こしに来るほどであった。ミーちゃんはそのうち来なくなった。毎日来ていた猫が来なくなると寂しい。何があったかは知る由もないがどこかで元気でいてほしいとミーちゃんの思い出話をしばしばしていた。猫のいる暮らしはいい。そのうちひとつの気持ちがわいてきた。
「猫を飼いたい」
そう訴えたが家が汚れるから、世話が大変だからと飼うことはなかった。その後独り暮らしを始めたアパートはペット飼育禁止で、いつか引っ越して猫飼えたらハッピーなんだろうなとずっと想像していた。
今年の3月。
あれよあれよと引っ越しが決まり、私自身もめめ(妹)と2人暮らしする決意が固まった。本当は独りで優雅に暮らしたかったし生活リズムも違うので2人だと色んなことで揉めるだろうなと心配していたのである。4月、ぶつかり合いながらもなんとか色んなことをクリアして新居でやってきている。
出会ってしまった
Twitterでとある保護猫カフェを見つけた。メンバー紹介の中でひときわかわいらしい猫をみつけた。
今まで色んな猫をみてきたけどこの猫は特別かわいかった。一目見て「わっ!この子すごくかわいい」と思った。急いでめめにラインすると
即好きになってくれた。
さかも一族になんとなく似ている。丸い顔とつぶらな黒目がちの目。
猫を選ぶにあたってすごく悩むだろうと思っていた。私はシャム猫がタイプでめめは茶トラ白がタイプなのだ。全然違う真っ白の猫だけど好きになるってこういうことなんだろうなと思った。
あのこに会いに行く
翌日めめだけで猫に会いに行くことになった。「ねねちゃんはお仕事で行けないからめめちゃんだけでも会いに行ってこい」というやりとりがあったという。派遣である。
「かわいかった」とのこと。写真を見せてもらったら本当にかわいかった。
引っ越し3日目。箱積みの段ボールはまだ30箱近く残っているが猫に会いに行くことにした。全然猫に会いに行っている場合じゃないけど猫に会いたい気持ちのほうが大切なので段ボールのことは一旦無視した。
(段ボールの悲痛な叫び:無視しないで~)
(さかもツイン:無視しま~す)
初めて対面する猫。
ヒィッ!かわいい!大好き!
とても人懐っこいようでなでなでさせてくれた。帰り際にはねねの肩に飛び乗ってきた。
猫が肩に乗るという体験は初めてだったので本当にうれしかった。面白い猫だ。猫も私を選んでくれたのかもしれない。飼うとしたらこの子以外考えられない。運命の猫だった。「うちにおいで」と小さい声で話しかけたが猫はささっと遠くへ行ってしまった。
帰りの電車でちょっとだけ泣きそうになった。飼いたいと思っていた猫を本当に飼えるようになる日が来る、ずっと我慢していた自分の気持ちをきっちり掬い上げたとき、心の中の奥のほうの、そうだな、タケノコの皮のように何重にも包まれた誰にも触れさせない心の芯のようなものに暖かい光が差したみたいだった。そんな柔らかな気持ちになった。そっと目を閉じてあの子と暮らす日々を想像してみた。
現在36歳。
イエネコは10年前後生きる、長生きの猫はもう少し生きるかもしれない。あの子が天寿を全うする頃に私は46歳。また新たな猫を飼いたいと思う気力も体力も、下手をしたら余命もないかもしれない。
最初で最後の猫になるかもしれない。多頭飼いは向かないかもという猫である。私の人生の中でたった1匹の猫。特別な猫になるだろう。猫からしてみれば気持ちが重たいかもしれないが、あの子にはそれほどの力がある。一緒に暮らしたい。そう強く思った。
そして猫が来る
あれよあれよと流れるように物事が進んだ。うまくいくことはスムーズに決まるしうまくいかないことはとにかくうまくいかない。今までうまくいかなかったことは仕方なかったんだろうなと思った。
面談をしてペットを飼う申請をして猫の必要物品を揃えている。こんなにわくわくする日々は久しぶりだ。来週にはもう猫のいる暮らしとなる。
うれしすぎて叫びたくなる気持ちを今精一杯おさえてきる。
きっと大変なこともたくさんあるだろう。うまくやれなくて猫に負担をかけてしまうかもしれない。うれしい気持ちと心配な気持ち。
この顔見たらどんなことも乗り越えていけるような気がする。もう一歩も歩けないほど心が折れてもま白いそのふわふわに触れたら歩かなきゃと生き返りそうな気がする。猫に尽くすという生き甲斐があるっていいんじゃないかな。うん、とてもいい。
そして猫が来る。
この家にきてよかったと思ってもらえるようにお世話させてくださいね、猫ちゃん。