こんばんは。ねね(姉)です。
今日はちょっと真面目に、結婚に憧れ続けてン十年の婚活武将ねねが結婚について考えたいと思います。
きっかけは職場の一緒に働く人(以下〇さん)の一言。
珍しく恋話になり、〇さんの彼氏について色々聞いてみました。
付き合って1年ちょい、仲良く楽しくやっているそうです。
〇さん曰く「仲良くやっているけど、結婚だけが意見が合わなくて…」と。
「私は結婚したいのだけど、彼が自由な人で結婚はしたくないみたい。彼が変わるか、ダメなら私が次を探すしかないけど、今楽しくやってるからとりあえず現状維持します。」
と悲しげに話してくれました。
あー、彼氏がいるからって結婚にすぐ結びつくものではないんか、とまぁそりゃそうですが結婚までの道のりってほんと厳しいんだなって思いました。
今、結婚願望のない男性って多いのかなって本当に思います。
逆に周りのアラサー女子達は「出産を考えるともうそろそろ決めないとほんとやばい、けど彼氏すらいない」と口を揃えて焦りを叫びます。まぁ一部の女子は結婚を諦めて、マンション買う、ローン組むなど強気な発言も聞かれますが、概ねアラサー女子は結婚したいものです。
ただ、それが相手に伝わると『お、おもい』と重圧に耐えられなくなってしまうので、焦りを隠しドライな婚活武将を偽り飲み会に繰り出し意味もなく敗戦し女子会で語り合う負のループかあるんです。
世知辛いわぁ。婚活。
結婚するメリットデメリットはもうすでに色んな人が色々してるのでそこら辺は結婚に憧れるだけの婚活武将が何を言っても説得力がないので触れません。結婚したことないんだからメリットもデメリットも知らないよ、ファンタジーだよ、フィクションだよ。
独身のメリットデメリットならいくらでも挙げられるけど、今日はそこじゃないんだ、言いたいことは。
32歳、今は元気で体も動く、心も安定している、友達もいる、仕事もある。恋人はいないがそれなりに事足りてて幸せであると、今ねねは思っている。これがこの先を長いスパンで見てみるとどうだろう。実際ねねが感じていることを読んでほしい。
ねねは白衣の天使。病院で、人が生きる死ぬを見ている。見つめている。
ひとつ。忘れられない御夫婦の話。
旦那さんが入院された御夫婦の話。
どんな病気だったかそういう細かいことは古い話なので忘れてしまった。
旦那さんは一人になるとしきりに奥さんを呼んだ。
「おーい、なんとかー(奥さんの名前)」
「おーい、なんとかー」
白衣の天使たち「旦那さん、奥さんは午後来るかな、まだ来てないよ、待ってて」
「あぁ、そうか」
そのやりとりは何回も繰り返され、何度も奥さんを呼ぶ旦那さん。
ナースステーションまで聞こえてくる奥さんを呼ぶ声。また呼んでるよと有名になった旦那。
おばちゃん思考の強い職場だったので、「あらやだまた旦那さん、奥さん呼んでるよ、愛し合ってるわねぇー」とちょっとうるさく思うこともあるけど微笑ましく聞いていた。
ある日、奥さんの名前を言わなくて眠りこけている旦那さん。おかしいなと思った。話しかけてもぱっとしない。
脈が触れずらい。おかしいから奥さんを呼ぼうって言って呼んだ。
奥さんが来たら
「おお、(奥さんの名前)か。」とほっとした様子で話した。
奥さんに会えてほっとしたのか、旦那さんはその後は坂道を転がるような早さで命を終えた。
その間奥さんはずっとそばにいて手をさすったり旦那さんとの時間を過ごした。御夫婦の愛の形をみた。
死亡確認が行われ、奥さんが旦那さんの額にキスをした。
「いつも、してたから。ね。」と旦那さんに話しかけ奥さんは泣いていた。
ねねも堪えきれずに泣いた。
ここで泣いては、一番泣きたいのはきっと奥さんだから、職務上ここで泣いてはいけないと思いつつ泣いた。
結婚して何十年と一緒にいた夫婦の形をありのまま見届けたし、そりゃもちろんいつだって幸せ、2人は仲良し、なんてことはないだろう。
でも、この安らかなキスを見て、この2人が歩んできた道が振り返れば気づかない幸せで溢れていたかを思わざるをえなかった。
結婚って、なんていいものなんだろう。
生涯をかけて思い合える人がいるって、なんてすごくて力のあることなんだろう。
誰かのことを本気で大事に思うことに責任を伴うことが結婚なのかもしれない。
いつか本当に大事にしたいと思える人のそばでそっとキスをする人生もいいなと思った。
もちろん看取り残される方は寂しさが募るので『先に逝ったもんがち』、という言葉もわりと聞かれるが。
死が美しいと言っているのではない。死は寂しいし悲しい、暗くて怖い、そんなふうにすら思っている。
死を知るからこそ、生きることや大切なものをより強く感じるのだと思う。
あの御夫婦の2人の時間はねねの足りない言葉では表せないほど尊いものだった。
だから結婚っていいなと思った。良き日も悪しき日も全てが思い出になり分かち合えるのだから。1人なら日記くらいしか思い出を分かち合えるものなんてないだろう。無機物より有機物のほうがいい。
いずれ体が動かなくなり、今持っているものをいくつも手放し、インターネットなどの娯楽で今ほど心を満たしてくれない日が来る。
そんなとき、手を取り合える人がいたら生きることを少しは頑張れるのではないかと思う。
誰かの目や声は生きる刺激だから。
そんなことを考えて、昔付き合ってた人(SE)に「このまま1人になって、死ぬ時も1人になったらどうするの?」と聞いたら
「それはシステムが解決してくれるはずです」
と言われたので、人の心がいらない人もいるんだなとよく分かった事例もあるが、病院に入院しているおじいさんのほうが奥さんの名前を呼びつけまくり、おばあさんは案外旦那さんの名前なんて一切呼ばず息子の名前を呼ぶケースが非常に多いのを痛感している。
結婚したくない男性が多いと思うが、現実奥さんがいないと困った奥さんいててくれという老年期既婚男性が多いのも現実だと思う。
それとも我々が高齢者になったとき、
旦那さんの名前を呼びまくる奥さん、
娘の名前を呼びまくる旦那さんが増えるのだろうか。
それとも高齢者がさみしくて誰かを呼ばないで済むようなシステムがあるのだろうか。そんなシステムができたなら人間など存在する意味はないと思うのも「昔の人の考え方だね、古臭い」とバカにされる日が来るのだろうか。
もし40年後もブログを書いていたらその現実をありのまま書いてみたいと思うねねでした。
今日のまとめ
・アラサー独身女子が考える(憧れる)結婚とは、お互いが大切な存在であるために成長し続ける糧なのでは
・そりゃもちろんいいことばかりでないことはわかっているが1人だけでは見えない世界が見えるのではないか
・1人だと疎かにしがちな日々の生活に他者の目が入るのでちゃんとしようと自分を律することが出来るのではないか
・あー、結婚したい、という熱い気持ちは熱すぎて結局うまくまとまらなかった
あとがき。
まぁ実際全くもって独り身というのは自分で自分のことが出来なくなったり入院などの医療が必要になった時とても大変で、さかもツインのおやっさんが入院したときも何だかんだ着替えだ手続きだ見舞いだ誰に知らせるだ色々と大変だったので、結婚をもう少し前向きに捉えられる世の中になってほしいなと切に願うねねこと婚活武将でした。